無私のサポート
この日、私たちはフルニエ神父の部屋に案内された。広くはないが、記念品や古い写真、古いラジオなどが並び、生涯にわたる布教の足跡がうかがえる。寝室には小さなシングルベッドとバストイレがある。狭く限られた空間だが、神父はこの空間に満足している。信者の話によると、神父が身につけているベルトは数十年来、修理しては使い続けてきたもので、教会の椅子やテーブルも廃物を再利用したものだという。
「帰る道を忘れてはいけません」とフルニエ神父は信者たちに語り、何事も押し付けるのではなく、自らが手本を示す。こうした自然なスタイルであるため、信者ではない人々も話をしに神父を訪ねてくる。一つの通りの家々を一軒ずつ訪ねていった時には、最後の家を出る時には酔っぱらっていたこともあるという。どの家も農作業の後、夕食時には酒を飲んで楽しむからだ。
こうした暮らしに根差した布教方式はミサの儀式にも表れている。フルニエ神父は先住民族の信者が福音をすべて聞き取れるよう、アミ語の通訳をつける。こうして人々との距離が近いほど、その実際の需要が理解できるからだ。
信者が重い病気になったり亡くなったりした時、神父は毎日のようにその家へ行ってミサを行なう。家族に寄り添って一緒に祈りを捧げるという行為は、家族の心にしみるものだ。「キリストがいなければ、出口はありません。誰かが亡くなったり病気になったりした時、私たちは訪ねていって、少しでも早く神の愛と一体となれるよう祈りを捧げます。こうすれば必ず幸福が得られます」と言う。貧しい人や病気の人を思いやる神父の心は神に導かれたものであり、それがなくなることは決してない。