タイ人労働者の心の支えに
仏の教えは陶雲升の心に慈悲と憐みの基礎を作った。彼のラジオ番組を聞いているタイ人労働者の悩みに気付き、番組に法律知識のコーナーを設けて、視聴者からの相談の電話を受けることにしたのである。時にはタイ貿易経済弁事処の処長を招いて法令の解説をしてもらうこともある。彼の番組は「亜洲之声」から、後に中央広播電台(RTI)になるまで続き、30年にわたってリスナーの問題や疑問を解決してきた。
現在は誰でも「1955労働者ホットライン」に電話をかけて問い合わせたり、申し立てをしたりすることができるが、当時はタイ人労働者はこのラジオ番組を通して情報を得、労使間の多くの誤解を解いてきた。陶雲升によると、誤解の中には習慣の違いから来るものもある。例えば、タイ人は頭部は非常に神聖なもので、勝手に人の頭に触ってはならないと考えるが、台湾人は親しみを込めて相手の肩や頭に触れることがあり、これに腹を立てて辞めてしまうタイ人もいたのである。
「私にはラジオ番組という手段があり、タイ貿易経済弁事処の正確な情報もあるので、彼らを助けることができるのです」と言う。陶雲升によると、かつてインドネシア人、タイ人、ベトナム人、フィリピン人労働者の中で、受け入れ先から逃亡・疾走してしまう比率はタイ人が最も高かったのだが、この番組を放送し始めた初年度から大幅に減り、四ヶ国の中で最も低くなったという。
こんな印象的な事もあった。1999年に雲林県の台湾プラスチック第六ナフサ分解プラントで、移住労働者による暴動事件が起きた。タイ貿易経済弁事処の官僚と陶雲升が夜を徹して現場に駆け付けると、暴動を起こした人々は棍棒を手にしていて退散する様子もない。そこで彼は警察から拡声器を借り、タイ人労働者たちに向って、すでに政府が介入して企業側の高圧的な管理の問題を解決することになったと説明し、「皆さん、温和なタイ人の美徳に従ってください。私が1、2、3と数えたら、手に持ったものを置いて宿舎に帰ってください」と呼びかけたのである。その声はまるで魔力を持っていたかのようで、3まで数えると、彼らは次々と棍棒を手放して宿舎に帰り、危機は解除されたのである。
実は陶雲升は、千人を超える労働者を前に、協力してくれないのではないかと心配していた。「ですが、私が番組の中で法律を説明し、リスナーの問題を解決していたので、彼らも少し信用してくれたのかもしれません」と言う。
こうした貢献から、タイ人労働者にとって陶雲升は第二の親のような存在で、その優しい呼びかけは彼らの胸に刻まれている。
時代が変わり、ラジオを聴く人は少なくなってきた。タイ語放送のリスナーからの手紙も、月に2000通以上あったのが、最近は300~400通に減り、一方でインターネットで番組を聴取する人が増え、オンラインでのメッセージやコメントは倍増している。
タイ語放送リスナーからの手紙は以前より大幅に減ったが、それでも毎月300~400通は送られてくる。