陳瑞華を目にすると、少女のように華奢で細身な外見と、科学研究における傑出した業績とが、強烈な対比として驚かされる。

挨拶もそこそこに、彼女は科学者らしく単刀直入に熱愛する研究について語りだした。

3月、傑出した女性科学者賞を受賞した陳瑞華は、母校である台北第一女子高校の後輩たちにとって憧れの存在である。 （台湾ロレアル提供）

がん抑制メカニズムの発見

陳瑞華の受賞対象となった一連の研究は、主に三つのカテゴリーに分けられる。

最初のカテゴリーはタンパク質のユビキチン修飾系である。ユビキチン修飾系とはユビキチンを付加する修飾メカニズムで、「まるで化粧をした時のように、タンパク質がユビキチン化される修飾過程で、修飾を受けたタンパク質の外観と機能が変化します」と、陳瑞華は一般の人には理解が難しい複雑なタンパク質の現象を、例えを用いながら説明する。

この修飾過程では段階的に3系統の酵素が関わっているが、中でも重要なのが第3の酵素群である。この酵素によってどの標的タンパク質にユビキチン化を起すかが決まる。しかも、この種の酵素は千種近く存在するのだが、陳瑞華の研究室では主にユビキチン転移酵素(ユビキチンリガーゼ) (E3)を研究している。E3酵素はタンパク質複合体であり、そのうちの一つKLHL20はどのタンパク質を修飾するかの識別に深く関わっていて、現在の研究室の研究重点でもある。

「E3の研究を通じて、研究は多様な方向に発展していきます」と陳瑞華は言うが、その方向性の一つが腫瘍抑制である。研究によると、E3はがん抑制タンパクPMLをユビキチン修飾し、修飾されたPMLは、細胞の中にあるタンパク質分解酵素複合体プロテアソームに送られ、最終的に分解される。このPMLが分解されると、がんが発生しやすくなるのである。

さらに陳瑞華は、PMLを破壊するKLHL20発生を低酸素誘導因子HIF-αが誘導していて、しかも低酸素状態のときにHIF-αが発生しやすいことを発見した。

「臨床的に言うと、がんの転移と抗がん剤の薬剤耐性ががん治療の難点になっています、低酸素反応は転移と薬剤耐性双方を促進します」というが、陳瑞華の研究の結果、HIF-αがKLHL20を発生させ、KLHLがPMLのユビキチン化を促進し、がん抑制遺伝子を分解させる悪循環が発生していて、がんの転移や薬剤耐性を起す要因となることが分った。この悪循環を断ち切ることができれば、がんの成長を有効にコントロールできると陳瑞華は言う。

陳瑞華の研究の重点はタンパク質のユビキチン化である。

非典型的ユビキチン化の生物的機能

陳瑞華は続いて二つ目の研究項目、ユビキチン修飾系の基礎研究を紹介し始めた。ユビキチンはアミノ酸76個で構成され、分子内の8地点（リジンK6、K11、K27、K29、K33、K48、K63およびメチオニン）が結合場所となる。異なる位置で結合すると、その後の細胞機能は異なり、例えばK48で結合するとプロテアソームに送られ分解されるが、K63では分解されることはない。陳瑞華の研究目的は新しい結合場所でのユビキチン鎖の機能特定で、この研究からK33が有する機能を明らかにすることができた。

三つ目の重要な研究は、細胞内のもう一つの分解システムであるリソソーム（水解小体）の研究である。「このシステムはタンパク質だけではなく、細胞中の様々な物質を分解します」と彼女は説明する。人は飢えた時に自身のタンパク質や脂質を分解してエネルギーに転化する。同じようなことが細胞の中でも起こり、まず細胞内に二重膜構造の小胞であるオートファゴソーム（自食構造）が形成され物質を包み込み、これがリソソームと膜結合して包み込んだ物質を分解し、エネルギーとして放出するのである。

細胞内の二つの分解システムは独立しているのではなく、相互に調整し合っていることを陳瑞華は発見した。細胞内で自食が始まり強まるが、一定時間経過すると次第に弱まり終了することが以前から知られていたが、何が原因で終了するかはわからなかった。彼女の研究は、この自食過程の終了メカニズムの発見であった。

「細胞の自食が始まると、タンパク質のいくつかが活性化し二重膜を形成します。複合体が活性化すると、KLHL20がユビキチン化を開始し、それが分解されます」と、KLHL20が重要な役割を果たし、細胞の自食構造とユビキチン修飾系が相互に調整し合っていると説明する。

このメカニズムがうまく働かないと、細胞の自食を終了できず死に至る。糖尿病のマウスの実験でも、細胞の自食が止まらず筋肉が萎縮することが分かった。

現在の研究で、多くの疾病が細胞の自食と関連することが分かっている。例えば糖尿病による筋肉萎縮は細胞の過度の自食であり、アルツハイマー病は自食が足りずにタンパク質が脳内に堆積することで起こる。KLHL20の機能を抑制、あるいは強化して細胞の自食をコントロールできれば、疾病を治療できるかもしれないのである。

実験室では糖尿病のラットを用い、細胞の自食終了が筋肉の萎縮をもた らすことを発見した。

細胞の自食終了の謎解明

陳瑞華は自身の研究テーマを簡潔に説明したものの、なぜ科学の道に進んだのかについては、説明に戸惑うようであった。

若い時は何をしたいかわからなかったと言いながら、高校時代は理系も文系も成績は良かったという。理系コースに進んだのは、数学の試験を試しに受けたら受かったからだという。

大学は台湾大学農業科学科に進んだ。先輩たちの多くは、卒業後に海外の大学院に進学していたが、聞いてみるとほとんどが卒業後は海外で就職していた。「その当時、外国に残って外国人になるのは嫌だと思いました」と、卒業後に就職しやすい実用的な食品科学や栄養学課程を選択したが、あまり興味を持てなかった。卒業間近になっても何をやりたいか分らず、そのまま大学院に進学することにした。

生物化学課程に進学し、恩師･呂勝春に巡り合って、ようやく科学研究の道に進むことになった。それから基礎研究が応用より好きになったと、陳瑞華は語る。

現在、中央研究院生物化学研究所の彼女の実験室は15人ほどの規模を有し、女性は4分の1に過ぎない。年中無休の研究室に、修了証書だけが目的の学生は来ないと、彼女は笑う。

彼女が研究に専念できるのも、家族の支持があるからであろう。そのご主人の周玉山も、中央研究院生物医学研究所の研究員である。

実験室では糖尿病のラットを用い、細胞の自食終了が筋肉の萎縮をもた らすことを発見した。

片手に哺乳瓶、片手にビーカー

研究能力に男女の別はないかもしれないが、女性研究者の成功はパートナーに係っている。中央研究院分子生物研究所の統計によると、女性研究者の多くは学界関係者と結婚しているが、男性の場合、妻の職業はまちまちという。学界に身を置く夫でないと、研究に専念する女性研究者を理解し、サポートできないということなのである。

女性研究者ではあるが、母としての経験も決して疎かにはしていない。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校でポスドクの研究中に子供ができた。母が産後1カ月は手伝いにアメリカまで来てくれたが、その後は、陳瑞華は朝5時に研究室に出かけ、午後1時に家に戻り、夫は午後から夜まで勤務して、育児を二人で分担した。

二人が台湾に戻ったとき、子供はすでに自分で動き回るようになっていたので、週末は交代で勤務し、一人が家で子供の面倒を見た。「当時は父か母のどちらかしかいなかったので一人親家庭のようでした」と陳瑞華は笑う。

子供が大きくなると、子供連れで勤務するようになった。二人の子供は中央研究院の研究室で育ったようなものだが、上の子は設計を、下の子は経営学と、二人とも科学研究には進まなかった。

台湾に戻って研究室を開設してから20年になるが、基礎研究を熱愛する陳瑞華は、これまでずっと起業をするとか技術移転といった商業化に興味がなかった。

「それでもこの年になってくると、社会への貢献を考えるようになってきました」と彼女は語る。KLHL20を抑制できれば、がん治療や新薬開発に役立つかもしれない。そこで構造生物学者の蔡明道と協力し、KLHL20とPML結合モデルを解明して、二つのタンパク質の結合構造を理解すれば、この結合を切断できる低分子医薬品をデザインできるだろうと話す。

そうはいっても、基礎科学を応用するにはなお長い道のりが必要となる。低分子医薬品を作れても、それを臨床に運用するのは長い時間のかかるプロジェクトとなり、しかも成功するとは限らない。基礎研究に打ち込んで30年の陳瑞華は、それでも諦めることなく「バイオ医学とはそういったもので、成功できればがん治療に大きく貢献できます」と静かに、しかしきっぱりと語る。

傑出した女性科学者と評価され、経歴に花を添えたが、これまでの研究者生涯で性別を特に意識したことはなかった。

「学術研究は能力主義で男女の別は関係ありません」と言うが、それでも仔細に見ると、女性の方が注意深く専念できるかもしれないと笑う。

陳瑞華からはスーパーウーマンの雰囲気は感じ取れないが、台湾女性の誠実で揺るぎない意志の力を見て取ることができる。

陳瑞華は中央研究院生物化学研究所で大規模なチームを率い、年中無休で研究を続けている。（陳瑞華提供）

陳瑞華は中央研究院生物化学研究所で大規模なチームを率い、年中無休で研究を続けている。（陳瑞華提供）