地域のための美術展を

——北投×鳳甲美術館
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2020 / 5月

文・蘇俐穎 写真・林旻萱 翻訳・松本 幸子


晴れた日に鳳甲美術館の屋上に立つと、丹鳳山、七星山、大屯山、軍艦岩などの稜線がくっきりと眺められ、やや下方には、芸術の本拠地である台北芸術大学の建物も見える。美術館の建つ関渡平原は、幹線道路を境に両側に異なる風景が広がる。一方には一面の田畑が、もう一方には工場や民家がひしめく。

文化と自然が隣り合うこの風景を眺めながら、鳳甲美術館が、美術推進の地としてなぜこの北投の地を選んだのか、漠然と理解できるような気がした。

 


「鳳甲」は親しみやすい美術館とは言えない。ビルの11階にあるため気づかない人も多い。館長の蘇珀琪も自嘲気味に「鳳甲は思わず写真を撮りたくなるような建物でもないし、大規模な催しができるほど広いスペースもありません」と言う。

かくも地味な美術館が、地道に展示を催すほかに、人々を呼び込む方法があるのだろうか。

外へ出ていく美術館

冬のある日、鳳甲美術館のキュレーター、葉佳蓉に連れられて、我々は苗栗の山中にある「八窩窯」にやってきた。開窯式に参加するのだ。北投大屯小学校の2クラスを率い、くねくねと続く山道をにぎやかに上っていった。

生徒たちは事前に6週間の陶芸コースを受けており、先生を務めた陶芸家の彭春栄がコース修了時に、生徒の作品を窯に送ってあった。

工場で作られる画一化したものとは異なり、窯で焼かれた作品は薪の灰がふりかかって、渋い色合いや美しい模様を出す。窯焼きは2~3日続くが、待ったかいのある出来栄えになる。

窯に着くと、彭春栄が背丈よりも高い窯の中で、レンガを移動させたり作品を取り出したりと忙しく働いていた。作品が出てくるたびに、生徒たちから感嘆の声が上がる。

作品は北投駅前の送り迎えの風景や、公園の足湯を楽しむ人々(池には魚も)、畑仕事をする住民など、子供たちにとって馴染み深い日常風景のひとコマひとコマが再現されていた。

北投には鳳甲が

鳳甲を語るには、企業家の邱再興の話から始める必要がある。設立20年を超える鳳甲美術館の創設者が彼であり、館名は彼の父である邱鳳甲を記念したものだ。

芸術文化を愛する邱再興はコレクターとしても著名で、愛好者が芸術を楽しめる場を作ろうとサロン形式で始めたのが、鳳甲美術館の前身だ。

名前が鳳山に似ているので、高雄にあるとよく誤解されるが、創設時に邱再興の自宅に近い所でと選んだのが北投だった。この何気ない選択が、それまで大型公立美術館のなかった北投の欠落を埋める形になった。

電子産業で身を起こした邱再興は、特に芸術における科学技術の運用に注目し、鳳甲でも積極的にビデオアートの展覧を催す。2年に1度の台湾国際ビデオアート展は芸術界では著名だ。

だが、油絵や彫刻などと比べ、ビデオアートは一般には馴染みがなく、魅力としては乏しい。

館長の蘇珀琪によれば、より多くの人に足を運んでもらおうと、さまざまな方法を試した。飲食店でビラを配ったりもしたという。

将来にわたる美術愛好者を

創設時から自らを「地域型美術館」と位置付けていた鳳甲は、美術普及の使命感を持ち、地元とリンクすることで人々が美術館を訪れる理由を作り出そうと試みた。

最初は、北投文化基金会との協力で「市民美展」を開いた。素材やテーマを制限せず、広く地元のアマチュア‧アーティストを招き、これでまず知名度を上げてきた。

次に、北投を軸とする理念はそのままに、会期を3年ごとにして計画的な展示を行い、同時にインディペンデント‧キュレーターを招くことで、展覧のテーマや目標を明確化した。

2014年の「地域芸術養成プロジェクト」はその代表的なものだ。鳳甲美術館と北投文化基金会の共同出資で、地元の小学校が主体となって計画を進め、作品が美術館に持ち込まれた後、キュレーターによって展覧の配置などの企画を行った。

地元の小学校なので、子供の作品が展示されるとあり、多くの親が美術館にやってきた。

こうして、芸術愛好家から一般大衆まで、美術館は次第に知られるようになっていった。

だが、その後まもなく次の問題にぶつかる。「学校の先生は運営もお上手で、スムーズに共同作業も進むのですが、その先生が他校に移ってしまわれると、窓口役を失います。また、小学校とのコラボでは、観衆は主に保護者で、一度来ると後はもう来ません」と葉佳蓉は言う。

5年前に同館所属キュレーターとなった彼女は方向を修正した。展覧の計画決定を学校から美術館に戻し、キュレーターがテーマを掌握し、テーマに合ったアーティストを学校に送り込むことにした。また、年齢層を学齢前の幼児、小中学生、生涯学習コースで学ぶ高齢者などにも広げた。

20年余りの努力を経て、「反省や改革を繰り返し、地域との交流の進め方も大きく発展してきたと感じます」と蘇珀琪は歩みを振り返る。

北投の日々の営みを

鳳甲美術館が特に力を入れる「北投学」は、近年、各地で盛んな「地方学」ブームに呼応した形だ。文献資料やフィールドワーク、ゲームなどさまざまな方法を通し、地域の暮らしの美に焦点を当てることで、地域に関心を持ってもらう。

鳳甲が私立で小型の美術館であることも有利に働く。大型公立美術館のように政府の方針に沿わなくてもいいし、あらゆるジャンルを網羅しなければならないということもない。明確な方向性をもって「北投学」の発展に力を注ぐ鳳甲は、展覧のテーマを通し、北投における暮らしの風景や精神を、記しながら掘り下げていく。

昨年(2019年)に催した「芸遊味境——北投の味、採集計画」では、テーマを「風味」に絞った。招かれて参加した「胭脂食品社」は、北投の産物で3種類の発酵食品を作った。アート集団「雑草稍慢」は、19種の雑草を組み合わせた雑草茶を作った。大鍋で煮出した「女巫湯(巫女スープ)」は、北投の先住民「平埔族」に伝わる巫女のイメージを取り入れた。

今年はと言うと、「身体」がテーマだ。展示だけでなく、動的なダンスや演劇も催される。陶芸家の彭春榮が大屯小学校で教える陶芸の授業もその一例だ。暮らしの中での人々の動きを観察して陶芸作品を作り出す。しかもこれは、かつて北投に存在した陶芸産業につながる営みだ。

昨年、展覧に作物を提供してくれた農家の人が美術館に来た際、窓の外を指さして館員にこう言った。「私の畑が見えますよ。私の野菜は能禅寺(北投にある)の読経を聞いて育ちます」

「当初の活動は、住民を美術館に招くことでしたが、やがて自分たちが外へ出ていくようになりました」という葉佳蓉の言葉は、まさにこの10年余りの活動のコンセプトを表す。「美術館の外に出ていくようになってから、来館者も増えました」と彼女は満足げに語った。

平埔族の物語を

美術館と北投のつながりの深さゆえに、「北投」は、人々が美術館を知る大切なコードとなってきた。それはまた、異なる北投を知りたければ鳳甲に行けばいいということになる。

例えば最近の展示「デイゴの家を尋ねて——平埔族はどこに」は、北投平埔族を主題にした美術展示で、会期3年のうちの第2ステージに当たる。

北投における最も古い住民——平埔族は、幾度もの居住地移転や土地の収用、また漢人化も進んだせいで、文化遺産が失われてしまった。

この展示のきっかけは、その何年か前に起こった抗議活動に始まる一連の出来事だった。平埔族であるケタガラン族北投社の墓地だった場所が、半ば強制的に収用されて「22号公園」が作られた。乱暴な形で歴史が抹消されたことに、北投社の末裔たちが抗議の声を上げたのだ。後に公園名は「北投社三層崎公園」と改称されたが、園内の50メートルにわたる「歴史文化歩道」にも、平埔族に関する記述はなかった。

彼らの怒りを和らげるため、文化局の委託により、鳳甲がプロジェクトを請け負った。展示やワークショップ、講座を催し、北投の歴史における平埔族の歩みを新たに語ることにしたのだ。

それには、まず辛抱強いコミュニケーションが必要だった。例えば「保徳宮」は、漢人化が進んだ後、北投社の人々の重要な信仰の拠り所だったが、それも上述の墓地さながら、都市鉄道の建設に伴い移転させられており、保徳宮側にすれば憤懣やるかたない思いがあった。「最初の頃は保徳宮に伺っても、何も話してはいただけませんでした」と蘇珀琪は言う。

キュレーターやアーティストは幾度も足を運び、次第に保徳宮側と打ち解けていった。そうして保徳宮は歴史的重要性もさることながら、鳳甲が進める芸術教育の重要な拠点となっていった。

アーティストの梁廷毓もワークショップを開き、保徳宮の人々に歴史を語ってもらい、地域の人々とともに「私にとっての保徳宮」というテーマで陶芸作品を作った。そして3Dスキャナーを用い、それらの作品を保徳宮の元の位置に合成しようと計画中だ。過去の傷がいくらかでも癒されるように、との願いが込められる。

美術を通し、地域の豊かな文化を掘り下げる。鳳甲美術館の存在は、すでに北投の暮らしを豊かにしている。

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為地方策展

北投×鳳甲美術館

文‧蘇俐穎 圖‧林旻萱

在晴天時踏上鳳甲美術館的頂樓,丹鳳山、七星山、大屯山與軍艦岩,稜線鮮明,甚至連在地藝術重鎮的北藝大也盡收眼底。美術館所在的關渡平原,大馬路分割出截然不同的地景,一邊是一望無際的田野,一邊是櫛次鱗比的鐵皮工廠與民宅。

目睹此景,依稀明白,坐擁人文與自然薈萃之地,鳳甲美術館為何選擇以北投之名,發揚美學於民間。


 

鳳甲,並不是一間容易親近的美術館,藏在大樓裡的11樓,若沒留心,太容易錯過。連館長蘇珀琪也自嘲,鳳甲既沒有美麗的外觀,吸引遊客打卡拍照;也沒有開闊的空間,用以舉辦大型活動。

像這樣一間低調到不行的美術館,除了謹守「本份」,策劃一場又一場的展覽,還有什麼方法,能吸引人走入?

遇見行動美術館

冬日的某一天,我們尾隨鳳甲美術館策展人葉佳蓉,來到位於苗栗山區的「八窩窯」,親躬「開窯」儀式。蜿蜒山徑上,她領著北投大屯國小兩個班級的師生,一大群人吱吱喳喳地往前。

在這一日前,學生先歷經六週的陶藝課洗禮,最後由授課的陶藝家彭春榮協助,將學生的創作送入柴窯燒製。

不似工廠的機械化生產,成品總是整齊劃一,柴燒的獨特性在於燒窯過程中,木料產生的落灰與作品隨機結合,產生猶如釉藥一般的古拙顏色,美麗非常。燒窯是大工程,動輒兩、三天不能間斷,但漫長的等待,絕對值得。

走進窯場,只見彭春榮在比人還高的磚窯內忙著搬磚、取件,作品陸續出窯,換來師生的一陣陣驚嘆。

北投車站前送往迎來的人們、公園中泡腳的遊客(池中還有小魚群)、種菜的居民……從生活中拾掇的點點滴滴,在陶作中一一定格,樸拙的陶作正是他們所熟悉的日常。

當北投有了鳳甲

談鳳甲,必須從企業家邱再興說起。成立超過廿年的鳳甲美術館,便是由他創辦,命名的來由,是為了紀念其父親──邱鳳甲。

喜好文藝的邱再興,在本業以外,也是知名的收藏家,因著與藝文界互動熱絡,才決定開闢空間,共饗藝術愛好者,早年沙龍形式的空間,成了鳳甲美術館的前身。

雖然名字肖似鳳山,鳳甲經常被誤認在高雄,但創辦初始,因希望臨近邱再興的私人寓所,故選擇設點北投,這一無心插柳,恰好彌補北投沒有大型、公立美術館的缺憾。

電子業起家的邱再興,格外關注藝術中的科技運用,因此鳳甲積極舉辦錄像藝術的展覽,每兩年舉辦一次的國際錄像藝術雙年展,是藝術圈知名的盛會。

不過,從一般觀眾的角度來說,相較普及性較高的油畫、雕塑,錄像藝術仍是小眾,吸引力不足。

館長蘇珀琪回憶,過去館方為了吸引更多人前往,想盡方法,甚至還動員到早餐店發傳單,成效卻相當有限。

深蹲校園,累積長期觀眾

不過,要請人走進美術館很難,主動走出去,卻容易得多。

打從創辦初始便自詡「社區型美術館」的鳳甲,秉具美學教育的使命,嘗試連結在地資源,為民眾創造出各種拜訪美術館的理由。

好比最早與北投文化基金會合作舉辦「市民美展」,不限媒材、主題,廣邀在地素人藝術家參與,由此打開知名度。

接著,以北投為主線的理念不變,但改為計劃性,三年為一期的展覽,同時邀請獨立策展人加入,讓展覽主題、目標更明確。

2014年推動的「社區藝術培力計畫」可視為代表,鳳甲美術館與北投文化基金會共同出資,由當地國小自主提案、執行,待作品進入美術館,再經由策展人統一配置、策劃。

因國小採學區制,家庭都在鄰近區域,學童的作品展出,自然吸引到了不少家長前往。

就這樣,從藝術愛好者到一般觀眾,逐漸為美術館打開了知名度。

但很快的,下一階段的問題相繼衍生,「學校老師會調派,即便合作得很好,老師被調走就等於又失去了窗口;另外,跟國小合作,觀眾性質較單一,以家長為主,他們雖然會來,但來了一次以後,也就不會再來了。」葉佳蓉觀察到。

五年前以in-house策展人身分加入團隊的她,重擬策略,讓策展權從校方回歸館方,策展人掌握主題,再依主題,媒合不同的藝術家進入校園,學生也擴大到學齡前的幼童、國中小學的學生、樂齡班的銀髮族。

經過二十餘年的努力,「不論是在發展過程中的反省與改變,或者是跟社區互動的方法,如今都已經有了大大的開展。」蘇珀琪以此作結。

挖掘北投生活肌理

鳳甲美術館專注發展的「北投學」,正呼應近年各地興起的「地方學」風潮。藉文獻史料、田野踏查、遊戲體驗等不同方法,看見地方生活的肌理美感,喚起大眾對於地方的關切。

再加上私人、小型美術館有其優勢,一來不須像大型的公立美術館,受限於政策方向,二來不須顧及展覽的普及性,務求雨露均霑地照顧到所有媒材。方向清晰,致力發展「北投學」的鳳甲,透過展覽主題,一步步挖掘、載記與發揚北投生活的精神與風貌。

好比去(2019)年展出的「藝遊味境─北投在地風味採集計畫」,策展主題定調於「風味」。策展人邀請到「胭脂食品社」,以北投物產製作出三種發酵食品,藝術團隊「雜草稍慢」則以19種野地雜草製作成複方的雜草茶,以大鍋熬煮成的「女巫湯」,正與北投平埔族的女巫傳說遙相呼應。

至於今年,則鎖定在「身體」的主題,除了靜態展覽,也有動態的舞蹈、戲劇,交錯呼應。陶藝家彭春榮在大屯國小的陶藝課程,即是一例,藉由觀察生活中的肢體動作,化成陶藝創作的能量,也隱隱回應北投曾經存在的陶藝產業。

去年,為展覽提供作物的農友,也踏進了美術館,透過玻璃窗景,指向遠方,告訴館方:「我的田就在哪裡,我的菜都是聽農禪寺誦經聲長大的。」

「前期推廣,是我們邀請居民來美術館,中後期,是自己走出去。」葉佳蓉總結這十餘年來的策展核心概念,「走出美術館以後,反而有更多人再走進來。」她的語氣不無滿足。

再說一段平埔族故事

因著北投與美術館的聯繫之深,「北投」開始成為大眾認識美術館的重要符碼。換言之,想了解不一樣的北投?不妨就走一趟鳳甲。

譬如近期正展出的「尋找刺桐的家─平埔族群在哪裡?」,這是以北投平埔族為主題所策畫,三年期展覽中的第二檔。

作為北投最早的主人──平埔族,因著多次的遷徙、土地徵收,加上漢化等緣故,文化資產逐漸在歷史洪流裡流失。

辦展的契機,源於若干年前,作為凱達格蘭族北投社族人公墓的場域,被強行徵收轉換成為「22號公園」,北投社後代不滿歷史被粗暴地抹去,開始一連串的抗爭行動,後來公園處雖然將之更名為「北投社三層崎公園」,但包括園內長達50公尺的歷史文化走廊,居然沒有任何的平埔族紀錄。

為弭平族人的憤怒,在文化局的委託之下,鳳甲承接下計畫,透過展覽、工作坊、講座等方式,重新講述平埔族在北投歷史上的歷史痕跡。

從失落到復振,尤其需要不厭其煩的溝通。以「保德宮」為例,這是北投社族人在漢化以後重要的信仰中心,但恰如族人公墓的命運一般,為了興建捷運,被迫拆遷,讓廟方倍覺委屈,「一開始接觸的時候,保德宮裡的大哥很退縮,不管問什麼都不想多說。」蘇珀琪回憶。

經過策展人、藝術家鍥而不捨的蹲點、搏感情,與廟方建立起情誼,保德宮不僅成了文獻史料的重要核心,也是鳳甲推廣藝術教育的重要據點。

藝術家梁廷毓在此舉辦工作坊,藉大哥們的口述,邀請民眾一起用陶土捏出「心目中的保德宮」,並計畫將作品數位化,利用3D掃瞄,重新合成到保德宮原址所在的位置。原本難以平復的傷,逐漸從中得到慰藉。

美學為本,地方學為路徑,扎根在地,厚實文化,鳳甲的存在,已然成為北投生活幸福的理由。

Expos for Locals

Beitou’s Hong-Gah Museum

Lynn Su /photos courtesy of Lin Min-hsuan /tr. by JR Lee

Stepping foot on the rooftop of the Hong-Gah Museum on a clear day, the outlines of Mt. Danfeng, Mt. Qixing, Mt. Datun, Battleship Rock, and even that stronghold of local arts, Taipei National University of the Arts, are all visible. On the Guandu Plain in Taipei’s Beitou District, where the museum is situated, a wide road splits the landscape into an endless expanse of fields to one side and a forest of metal factories and homes to the other.

Upon taking all this in, it vaguely dawns on one why Hong-Gah Museum, surrounded by both culture and nature, chose to promote aesthetics to the public using the name of Beitou.


 

Hong-Gah is not the easiest museum to approach. Located on the 11th floor, it’s easy to miss if you aren’t paying attention. Frankie Su, the museum’s director, jokes that Hong-Gah Museum does not have a ­beautiful, photogenic exterior. It also doesn’t have a wide-open space large enough to hold big events. Other than guarding its “turf” and planning one exhibition after another, how does an exceedingly low-key museum like Hong-Gah attract visitors?

Hong-Gah’s arrival in Beitou

When discussing Hong-Gah, we should begin with the entrepreneur named Andrew Chew. Established more than 20 years ago by Chew, the museum gets its name from his father, Chew Hong-gah.

A fan of the arts, Andrew Chew is also a renowned art collector when not at his day job. Active in the art world, he decided to open a space where arts enthusiasts could gather. From this salon-­inspired space arose the forerunner of the Hong-Gah Museum.

Having begun his career in the electronics industry, Chew pays particular attention to the technological applications of art. Accord­ingly, Hong-Gah is actively engaged in organ­izing video art exhibitions. The mu­seum’s biennial international video art ­ex­hibi­­­tion is a major arts event.

However, video art still does not have mainstream appeal like the more popular art forms of oil painting and sculpture.

Building public support through schools

It’s hard to get people to go to an art museum, yet much easier for the museum to go out to them.

Hong-Gah Museum has prided itself on being a “community art museum” from the very beginning, and is devoted to the instruction of aesthetics. It attempts to utilize local resources to create reasons for people visit an art museum.

For example, early on the museum partnered with Peitou Culture Foundation (“Peitou” is another spelling of “Beitou”) to hold the “Citizens’ Art Exhibition,” in­viting local self-taught artists to the exhibit and placing no restrictions on the art media or thematic content of works submitted. This greatly raised the museum’s profile.

Later on, the museum kept Beitou as the core theme, and held an exhibition every year while also inviting independent curators, which helped to keep clear themes and objectives for the exhibitions.

The “Community Art Empowerment Program” launched in 2014 is an example of this. Funded by Hong-Gah Museum and Peitou Culture Foundation, local ele­ment­ary schools made proposals for exhibitions and implemented them all on their own. When the art pieces entered the museum, the curators managed the layout and planning.

Since the elementary schools enroll students according to a school attendance zone system, the students’ homes are all close to the museum. Thus, putting the works of schoolkids on display got many parents to come visit the museum.

In this way, by appealing to both art connoisseurs and regular people, the museum gradually further raised its profile.

But new problems ensued in the next phase of the museum’s operations. Curator Zoe Yeh observes, “Teachers would be transferred. Even if the teachers had a good partnership with the museum, transfers meant losing a point of contact. Also, partnering with elementary schools meant the target audience would be relatively homogenous, comprising mostly parents. Most of them would show up to an exhibition once, but they rarely came a second time.”

Yeh, who joined the museum team five years ago as an in-house curator, reformulated the program so that the curation rights went back to the museum, and cur­ators were in charge of the theme. Based on this theme, the curators would negotiate for different artists to go to the schools. The range of students was expanded to include preschoolers all the way to primary and middle school students, and the program was also opened up to elderly people in senior citizen learning centers.

Unveiling the Beitou life

Hong-Gah Museum then focused on developing “Bei­tou studies,” echoing a trend towards local studies that has gained popularity all over in the past decade. Different resources and approaches such as historical documents, field surveys, and game play have helped people notice the texture and beauty of local life, and take an interest in their homeland.

Small private art museums have their own advantages. For one, they are unfettered by the policies large-scale public art museums must follow. They also do not need to strive to include all art forms and media out of concern for comprehensive coverage. Hong-Gah Museum has a clear goal to advance Beitou studies, and through their choice of expo themes, they are able to discover, chronicle, and enhance the spirit and look of life in Beitou one step at a time.

For example, the theme of the 2019 exhibition “Beitou Local Flavors Collecting Project” was “flavors.” The cur­ators invited the Yanzhi Pickling Club to make three fermented dishes using Beitou products. The “Weed Day” art group used 19 types of wild weeds to create a weed tea formula. A cauldron was used to make a “Witch’s Brew” in a salute to the legends of witches seen in the folklore of the local Ketagalan Aborigines.

This year the theme is “the body.” In addition to static artworks, there is also performance art in the form of dances and plays. For example, in the pottery classes given by the ceramic artist Peng Chun-rong at Datun Elementary School, the children draw on their observations of the movements of the body in daily life for inspiration to create works of ceramic art. It is also a nod to Beitou’s once-flourishing ceramic industry.

“Our promotion policies in the early stages involved inviting local residents to our museum. For the longer term, we need to go out into the community,” says Zoe Yeh, summing up the core principle of the exhibitions over the past decade. “By venturing outside the museum, we have actually inspired more people to come visit,” she says with some satisfaction.

Another story of the Ketagalan people

Since Beitou and the art museum are so deeply connected, “Beitou” has become the token by which people get to know the museum. In other words, if you fancy learning about a different side of Beitou, come to Hong-Gah Museum.

“In Search of Tiger’s Claw—Where are the Ketagalan People?” was the second expo featuring Beitou’s Ketagalan Aborigines in a three-year exhibition plan.

As the earliest rulers of Beitou, the Ketagalan people have seen their cultural heritage swept away in the torrent of history through forced migrations, land acquisitions, and assimilation into the incoming Han Chinese culture.

The critical event which led to the creation of the exhibi­tion occurred some years ago when the public cemetery for the Ketagalan people of Ki-Pataw (“the place of the witch”—the old Ketagalan name from which “Beitou” is derived) was expropriated by the city government to be turned into “Park 22.” The descendants of the local Ketagalan were not content to have their history violently erased, so they began a series of protests. In the end, although the name of the park was changed to “Ki-­Pataw Shan Tseng Chi Park,” the more than 50-meter-long history and culture corridor inside the park completely lacked any mention of the area’s indigenous people.

To dispel the anger of the Aborigines, Hong-Gah Museum was commissioned by the Taipei City Department of Cultural Affairs to retell the story of the Ketagalan in Beitou’s history by holding exhibitions, workshops, lectures, and the like.

For example, Baode Temple was an important place of faith for the Ketagalan of Ki-Pataw after they became sinicized, but faced a similar fate to the cemetery when it was torn down to build a metro station, creating a deep sense of grievance. “At the beginning, the temple elders were very reticent. They didn’t want to talk much about it, no matter what they were asked,” museum director Frankie Su recalls.

By having the museum curators and artists work untiringly to form amiable relations with the temple elders, the relocated temple not only became a crucial hub for historical documents, it is now also a key center for Hong-Gah Museum’s promotion of art education.

Artist Liang Ting-yu held a series of workshops at which the temple elders recounted local history and residents were invited to come and mold clay into sculptures representing “Baode Temple as they saw it.” Liang plans to digitize their works using 3D scanning and place replicas of them at the site of the original temple, and in the process ease some of the deep pain of its loss.

With aesthetics as the core, local studies as the path, and its deep local roots and rich culture, the existence of Hong-Gah has become a reason for enjoying life in Beitou.

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