光の廟・華よ再び
深く人々の心に刻み込もうと、基金会は2012年から「感光城市」プロジェクトを進めている。台南、屏東、嘉義などで、地域に感動の灯を点しはじめた。
「感光城市」、町の光を感じるというアイディアは、基金会の役員である蒋勲による。あるとき上海での講演に招かれた。車が空港を出で市街地へ向かう道中、高架道路の両側にケバケバしいほど派手なLED広告が並んでいた。「テクノロジーは人の暮らしを改善するはずなのに、光害汚染になってしまっている」複雑な思いがした。
蒋勲のテクノロジーと環境への思いが、基金会の「感光城市」プロジェクトを動かした。最初の場所に、基金会は台南の風神廟を選んだ。
姚政仲は、風神廟を選んだのは偶然のめぐり合わせだったという。他の廟に比べ、清代に建てられた風神廟には物語があった。
台湾で唯一、風神を祀る風神廟には、昔の人が海を渡って台湾に来た時の、異郷の地を踏む想像と未来への渇望が満ちている。「故郷から異郷へ渡る『賭け』は、台湾精神そのものではなかったか」姚政仲は考える。しかし、航海の無事を守り、衆生を護る役割も機能も、すでに過去のものだ。基金会は、風神廟に新たな時代の意義を見出そうとした。「今日も、風神廟は旅人の守護神ではないでしょうか」新時代の新しい身分も、風神様の承諾を得なければならない。一行は廟を詣で、敬虔な気持ちで香を上げ、擲杯で神の意向を伺い、許可を得た。
そこで、基金会は周錬に依頼し、2年後の2013年9月、ついに風神廟に再び灯りを点した。
改造後の風神廟は、眩しい街灯を撤去し、光源を壁の足元に移していた。廟の鐘楼・鼓楼は、眩しくない照明で高い透光構造が強調された。入口の赤い提灯は四角い吊り下げ照明に換わった。夜の風神廟は暖かな黄色い光に包まれ、百年の古廟の静けさで、人々に神の加護を感じさせる。
実行チームにとって、風神廟の新しいビジュアルはきっかけでしかなかった。目的は、光に導かれて、忘れつつあった身近な伝統文化へと視線を呼び戻すことだった。ひとたび見えれば、胸に芽生える誇りは言葉にできないものである。
そうした変化は、風神廟管理委員会理事長・謝明峰に最も顕著だった。謝家は代々風神廟を守り、謝明峰が三代目である。毎日香を上げ、境内を清める。敬虔な信仰と尊崇が、日常として演じられる。時代は移り、自信と誇りはいささかも変わらないものの、代々守ってきた廟に娘がまったく興味をもたず、若い世代も伝統文化に関心を示さないのを見て、嘆かわしく感じていた。
改造を経て廟が生まれ変ると、人々の注目が集まり、百年前の古廟の華が戻った。門前で市が開かれ、日韓スターしか眼中になかった娘も、友達を廟へ見物に連れて来るようになり、一族三代が守ってきた重みと栄誉を理解したのだった。
それこそが基金会の目的である。「つまるところ、光はきっかけに過ぎず、忘れかけた大切な過去を見直し、この地に備わっていた力を取り戻すことが目的だったのです」姚政仲はいう。
風神廟は基金会の感光城市プロジェクトの最初の成功例として、地方行政の注目を集め、チームの自信も増した。だが徐芳筠は打ち明ける。風神廟プログラムの当初、設立間もない基金会はプロモーション経験がなく、形式ばったタイトルをつけたという。「光環境モデルプログラム」。この名称はすぐさま基金会役員の林懐民に突き返された。「知らない人は、行政の入札案件かと思いますよ」最終的には林懐民が建築家・安藤忠雄の光の教会にインスピレーションを得て、風神廟に「光の廟」の名をつけることとなった。
改造された風神廟はその表情を大きく変えて多くの人が訪れるようになり、百年前の華やぎを取り戻した。