バンドと産業を結び付ける
貴人散歩音楽祭の初日の夜、台南の古い建築物を改装したレストラン「鷺嶺食肆」には夜通し明かりがともり、音楽が流れていた。日本統治時代、政財界の要人が集っていたここで、台湾のインディーズバンドと内外のミュージシャンがオープニングパーティを開いていたのである。
多くの商業型音楽祭はチケット収入をメインとしているが、貴人散歩音楽祭は国内のバンドと海外の業界との「仲人」の役割を果たし、双方が交流できる場を提供している。こうしたタイプの音楽祭は「ショーケース」と呼ばれ、バンドの売り込みの絶好の機会となる。
2017年、洪維寧と小白兎レコードの経営者KK(葉宛青)が貴人散歩音楽祭を創設した。毎年、東南アジア諸国の中からキュレーターを選び、その人に現地のバンドを紹介してもらい、また、現地のレーベルによるワークショップ開催なども歓迎して双方が出会う場を作っていく。「台湾はアジアの中間に位置するので、どこから来るにも便利です」と洪維寧は言い、台湾のこうした地理的優位性を活かして近隣諸国とつながりを持てば、台湾の音楽産業発展に役立つと考える。
台湾のバンドと海外のレーベルの交流の成果を高めるために、貴人散歩音楽祭は毎年「事前訓練」を行ない、バンドの履歴書に相当するEPK(Electronic Press Kit)の書き方や手紙の送り方、礼儀作法、音楽祭期間中に業界人と知り合う方法などを伝授する。パフォーマーと業界人がオフィシャルサイトに登録すると、すべての人の連絡方法がわかり、興味があれば直接約束し、イベント後も連絡を取り合うことができる。
洪維寧が模範生と呼ぶバンドの緩緩(Huan Huan)は、2019年に初めて貴人散歩音楽祭に参加し、事前訓練をまじめに受けてフェスティバル中のフォーラムにも参加した。そのおかげで、初参加ながら「貴人(力になってくれる人)」に出会うことができ、海外の音楽祭——ポルトガルのMILとオランダのMOMOに招待された。残念ながら新型コロナの影響でどちらも実現しなかったが、同じく音楽祭で知り合った日本の代理店が彼らのファーストアルバム『Water Can Go Anywhere(水可以去任何地方)』を日本で発行することとなり、TBSテレビの取材も受けた。
「音楽祭のオープニングパーティで懸命に自己紹介をして、自分たちの演奏時間を告知したところ、聞きに来てくれたのです」と緩緩でボーカルを務めるCocoは言う。
2017年に最初のEPを出した緩緩は、ボーカル兼ギターのCoco、ベースの阿柏、ドラムの一珍から成り、ステージでは「体熊専科」のギタリスト包子が加わる。最初は激しめのポストロックやシューゲイザーだったが、今は穏やかに心の内面を歌っている。「音楽は人と同じで、何かに一辺倒ということはありません。僕たちの歌は穏やかですが、よく聞くとたくさんのものが込められていることがわかるでしょう」と阿柏は言う。
数々の音楽祭に参加してきた緩緩だが、毎回そのパフォーマンスは大きく異なる。「貴人散歩はゆったりとした感じがして、ステージに上がっても心地よく、台南の空気に染まったような感じがします」とドラムの一珍は言う。
「貴人散歩音楽祭」は、なぜ首都の台北ではなく台南で開催するのか不思議に思う人も少なくない。KKによると、海外でも多くの音楽祭が首都で開かれ、あまり特色がないが、台南は台湾でも味わい深い都市だと言う。インディーズレーベル顔社の創業者‧迪拉胖は「国や都市のイメージの強さは、音楽を作る際の競争力の基礎になる」と考える。音楽祭が開かれる地域がユニークであれば、バンドのパフォーマンスも印象深いものになるということだ。
貴人散歩音楽祭を主催するKK(左)と洪維寧(右)。