旧宅の変遷
それから70年、嘉義市蘭井街249号にある陳澄波の旧宅は、今では静かでにぎやかな「咱台湾人的氷(私たち台湾人の氷)」という、かき氷店になっている。
静かというのは、かき氷店は正午から営業を始めるので、開店前はかつてのアトリエのようにひっそりと静まり返っているからである。画家が今もそのアトリエで絵を描いているかのように感じられる。許永森の記憶では、かつて1階には陳澄波の作品が陳列されており、幼い頃には、中に入ってみたいと思いつつ、その機会に恵まれなかったという。
賑やかなのは昼の開店後である。雰囲気は一変して従業員が忙しく出入りし、材料を準備する人、注文を受ける人と大忙しである。大勢のお客が病院の薬局で順番を待つように整理番号を受け取り、希望のトッピングを記入して席に着くと、従業員がかき氷を運んできてくれる。夏はかき氷、冬は焼仙草や白玉団子などの暖かいスイーツを出しており、いつも行列が絶えない。
この店舗は陳家から借りているのだと許永森は言う。二二八事件の後、陳家の人々はこの悲しみの地を離れ、1983年から許永森の家族が借りて商売を始めた。二代目からかき氷を売り始め、すでに20年以上になる。少なからぬ客が店の上の「陳澄波故居」という看板を見て、どんな人だったのかと尋ねてくる。
70年を経た今日、「陳澄波故居」の文字を見ても何の反応もしない人もいれば、遠くからわざわざ画家の旧宅を見に来て、かき氷を食べ終えると記念写真を撮っていく人もいる。
陳澄波の旧宅を後にして嘉義の街を歩いていくと、遠からぬ廟の広場にまた陳澄波の絵がイーゼルに置かれている。1927年の作品「温陵媽祖廟」である。すでに遠い人となったが、その姿が見えるような気がしてくる。笑みを浮かべ、イーゼルを背負い、人ごみの中を歩いていく姿が。