北港朝天宮 神業と見まごうほどの初代神轎
北港朝天宮の祭祀チーム長である紀仁智さんが、現在、宮の事務棟にある「初代・祖媽六角鳳輦」を見せてくれた。1909年、祖媽金順盛轎班会会長の許致さんが12社から寄付を集め、朝天宮の修築を行った名工・陳應彬に依頼し、陳應彬の指揮のもと設計と制作が行われ、3年の歳月をかけて完成したものだ。
文化部の資料によると、陳應彬は己れの全ての技を作品に注ぎ込み、創意工夫を凝らし、最もよく知られた「二層になった透かし彫り」と「角のない竜の装飾が施された壁」の技法を取り入れて、神業とも思えるような祖媽神轎を作り上げた。この神轎は1915年(大正4年)に、台湾南部物産共進会を代表して台南の農業博覧会に出品され、晴れて日本の共進会の技術賞を受賞した。
この六角形の神轎は、入口の所が四海を治める四人の竜王像で守られ、周囲は24師に囲まれている。これは、媽祖の巡行に随行する多くの神々を象徴しており、媽祖の地位の尊さの表れとなっている。神轎の屋根瓦、竜柱、屋根を支える組物、窓枠飾り、扁額などには、細部まで精巧な彫刻が施されている。特に、神轎を支える柱は透かし彫りが施され、内外に重ねられている。また、媽祖が座る位置の後部に嵌め込まれた壁には、「北港朝天宮」の文字が竜の模様に巧みにあしらわれており、人間業とは思えないほどの精巧な技術は、他に類を見ないものだ。
目を凝らして初代の祖媽神轎を見てみると、木彫りの人物がさまざまな表情をしているのがわかる。縁起の良い神獣たちの四肢や細部にも妥協がない。例えば鹿はうつむき加減で何やら含みのある表情をしており、麒麟は鱗の模様がくっきりと見える。神轎の左上45度の角度から見ると、廟の建築装飾と相似しており、まるで廟建築の縮図のようだと神轎工芸研究者・姚伯勳さんは言う。
「車で言うと、神轎界のロールス・ロイスです」 と紀さんは例える。日本統治時代には、4つの団体が初代祖媽神轎の絵葉書を発行していたことから、その芸術的価値がうかがえる。「これは台湾の神轎の最高峰です」と語るのは、媽祖文化を研究する国立空中大学の蔡相煇教授だ。
神轎工芸研究者の姚さんによれば、初代神轎の素晴らしさは、構造とフォルムが重視され、職人が透かし彫りの技法を多用して神轎を軽量化したことや、六角形の開口部にいずれも趣向が凝らされ、信徒がどの方向から見ても内部に鎮座する荘厳な神が見えるようになっている点にあるという。陳應彬がこらした斬新な工夫に気づかされる。
初代の祖媽神轎は1960年代にその役目を終えた。二代目の神轎はオガタマノキ製で、初代神轎をモデルにしている。二代目は、鹿港の名工・李煥美率いる職人たちの手によるもので、李煥美が得意とする西洋の草花の彫刻により、古典的な上品さが醸し出されている。
神轎には、廟建築で屋根を支える部材である組物が取り入れられている。