活きた産業遺跡――鉄道博物館

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2017 / 12月

文・鄧慧純 写真・林格立 翻訳・松本 幸子


台北市北門の外側、曲がり角に沿う形でカーブを描いた敷地に鉄道部庁舎がある。外壁は赤レンガだが、2階部は木造建築、クイーン・アン様式で、正面左右にタロット(塔)を持つ、台北の人々の記憶に残る美しい建物だ。かつては、近郊からバス通勤で台北駅まで出てくる人たちが、毎朝目にする姿だった。

もう一つ、台北東区のショッピングセンター「京華城」の向かいに建つ台北機廠(車両基地)は、台湾鉄路管理局の車両メンテナンスを行う場所だった。往年には、各種列車が一定の距離や時間を走行後、ここで整備点検を受けていた。この広い敷地には台湾鉄路局の技師や作業員の、数十年にわたる労働史が刻まれている。


台湾鉄道史にとって重要な二つの文化遺産――鉄道部庁舎と台北機廠が、偶然にも今夏そろって一般公開された。このことがネットで公表されるや瞬く間にガイドツアーの予約は満員御礼となった。この二つの鉄道関連施設は、かつては一般の立ち入りは許されておらず、やがてその任務を終え、長く使用されないままだった。それが文化財指定を受けて修復され、鉄道の黄金時代を垣間見せてくれるようになった。

鉄道部―台湾初の科学工業パーク

鉄道部庁舎に足を踏み入れると、人造石の床や彫刻の施された天井など、重厚な雰囲気に包まれる。木の手すりのある階段を上ると四角いホールがあり、天井には楕円形の漆喰彫刻が広がる。決して広いとは言えないが、庁舎の名に恥じない構えと造りを備えている。

建物だけでなく、立地にも歴史がある。かつてここには清朝の機器局があり、機械や兵器の修理や貨幣鋳造などが行われ、劉銘伝によって鉄道が敷かれた時代には整備場になった。日本統治時代には鉄道延長に伴って新たに庁舎が建てられ、ここは台湾鉄道の管理センターとなった。戦後、国民政府によって「鉄路管理局総部」として使われていたが、1993年に総部が現台北駅に移された後は10数年間放置されていた。2006年に文化建設委員会(文化部の前身)、交通部、台鉄局、台湾博物館(以下「台博館」)によって「台湾博物館系統聨盟協議書」が交わされ、台博館によって修復が行われることになった。

つまりこのエリアは、台湾の近代化に重要な役目を果たしてきた。清の時代の機器局では、新式の設備や製造方法を導入して正確さや速度を求めただけでなく、交通機関として機関車を使うようになったことで、時刻も十二支を用いず、何時何分と正確さを追求するようになったのである。

台博館の研究補助員であり、鉄道部庁舎修復を担う林一宏は、「機器局は台湾初の科学工業パークで、台北の近代化はここから始まったと言えます。近代化の重要な条件である正確さや速度が鉄道と工業には必要ですから、まさに近代化追求の表れです」と言う。

台北機廠−東洋最大の車両基地

もう一つの台北機廠も、台湾の近代化や工業化を体現する場だった。1935年の落成時には東洋で最大規模の車両基地であり、今でも台湾都市部では最大面積の国の文化財だ。80年余りにわたり、各種鉄道車両が出入りして整備が行われ、台湾における鉄道整備技術の発展を支えた。

現在の台北機廠は面積17ヘクタール、廠内の各施設には設計などに特別な工夫が見られる。長さ167メートル、高さ20.4メートル、幅23.8メートルの組立工場は、車両整備点検における最初の解体検査と最後の組立が行われた場所だ。コンクリートの外壁と高い天井の鉄骨構造を持ち、屋根部は鋲で鉄骨を接合する「リベット接合法」が用いられ、シンメトリーな構造となっている。窓が多いが、採光は南北からだけで東西からは日が射さないようになっており、風通しや採光面でエネルギー効率の高い空間だ。

廠内に点在する工場の床はヒノキ製で、板の繋ぎ目にはコールタールが塗り込まれている。これは油分を吸収させて床を保護するだけでなく、部品が床に落ちた際に衝撃を和らげるためでもあり、当時の工夫がしのばれる。原動室のボイラーは高圧蒸気を各施設に送るほか、余った蒸気で大浴場の湯を沸かしていた。従業員は仕事の後、湯につかって疲れを癒すことができたわけで、当時すでにエネルギー再利用が実践されていた。

鉄道部庁舎が鉄道運営の中心であったのに対し、台北機廠には台湾鉄路で働く人々の労働史が刻まれており、廠内のあちこちに当時の作業の痕跡を留める。

文化ボランティアの経験が長い蘇允が廠内を回りながら説明してくれた。ディーゼル発電工場と内燃機工場の間の壁に描かれた絵は、従業員が自発的に描いたものだという。また、廃棄部品を組み合わせて作られたロボットもある。工場の壁のあちこちには、チョークで手書きされた数値や作業手順、作業安全を促す標語なども残っており、当時の様子が生き生きと伝わる。

63歳の陳武昌は元廠長、ここで45年間働いた後、定年退職した。彼は私たちを最も蒸し暑かった場所、鍛冶工場に案内してくれた。機関車に必要な部品はすべてここで鍛造されていた。コンピュータなどなかった時代、頼りとなるのは作業員の技術と経験で、最も技術の優れた者が蒸気ハンマーを操作した。廠内には手作業で使っていた鍛造工具も多く残されている。「蒸気機関車1台の部品は何千種にも上りますが、そのあらゆる部品を作る能力を台湾鉄路の従業員は持っていました」と彼は誇らしげに語る。この作業場には、おまけの利点があった。よく誰かが小豆を持って来て、水につけておくと、退勤時には蒸気の熱で小豆汁ができあがっていた。こうしたエピソードは、往年の車両基地特有の物語であり、貴重な産業文化遺産だと言えよう。

台湾で産業遺産保存に注意が払われるようになったのは最近のことだ。鉄道部庁舎は1992年には文化財指定を受けていたが、台博館の博物館系列に組み入れられたのは2006年、修復工事開始は2014年だった。当初は台北機廠の中で大浴場、組立工場、原動室、鍛冶工場が指定されただけだったが、後に機廠全体が保存指定を受けた。民間と文化部との協力で、前世紀の産業の姿を留める努力が続けられている。

文化遺産の保存修復

文化遺産保存の価値を、林一宏はこう説明する。「町には歴史的建造物が必要です。ある時代の経験が映し出された、見て触れることのできる立体物であり、書籍や写真などではできない体験を与えてくれるからです」貴重なものを留めてこそ、元の姿や歳月の痕跡を肌で感じられる。それが遺産修復の精神であり、鉄道部庁舎修復もその考えで行われた。また「異なる時代の痕跡を留めるのは、さらに重要な課題です」という。それは、2階ホールの天井の漆喰彫刻からも見て取れる。新しく修復された部分は真っ白で、元の部分の黄ばんだ彫刻と明らかな差がある。ヒノキの屋根組みも、新材で補強した部分には番号が付されるなど、古いものを残し、新たに加えた痕跡も残す。「未来をイメージするには、過去への理解と現在の思考が大切です」と林一宏は言う。

文化部文化資産局台北機廠運営チームの責任者である劉明興は「文化遺産修復の最重要事項は、遺産の核心的価値を見出すことです」と言う。そのため、台北機廠の第一段階修復は事務所と大浴場に重点が置かれた。この2ヶ所は産業技術史には直接関わりがないように思える。だが当時ここで働いた人々の1日の姿を留めるもので、労働生活史そのものと言える。また、文化部は安全上問題がないことを確認したうえで、修復過程をガイド付きで一般公開するという国内初の試みを行った。修復の様子を実際に見てもらい、さらに身近に文化を感じてもらうのがねらいだ。

国際的な鉄道博物館に

台湾にやっと鉄道博物館が登場すると聞いて、あなたが思い浮かべるのはどのような博物館だろう。幼い頃からの鉄道ファンだった師範大学地理学科教授の洪致文はこう言う。台湾文化の特色は他を取り入れる能力の高いことで、鉄道文化にもそれが表れている。清朝の劉銘伝時代の鉄道に始まり、日本統治時代、戦後の米国顧問の時代と移り変わり、また外交政策に伴って世界各国から列車を購入したため、台湾の鉄道システムは多国籍軍状態だ。そこで、台湾の鉄道博物館は「台湾鉄道史を通して世界の鉄道を知る」ものであるべきだ、と洪致文は言う。

また、台北機廠は敷地全体を保存したため、廠内に残る24本の線路が使用可能だ。これは、一般の模型や平面展示と異なり、体験を楽しむものを多く提供できるということだ。洪致文はこんな例を挙げる。最近、日本の「鉄道博物館」から台湾に583系寝台電車が2両譲渡されたが、これを使えば台北機廠で宿泊イベントを催すこともできる。食堂車をレストランにしたり、昔の列車の車窓の開け閉めやシートの回転を体験したり、天井で扇風機の回る懐かしい光景を楽しむこともできる。古い物を通して人々に台湾鉄道の変遷を知ってもらうこと、それが鉄道博物館の語るべき物語だと、洪致文は力を込めて語った。

一方、北門の外側にたたずむ鉄道部庁舎は、優雅な建築を見せるほか、鉄道文化と鉄道史を語ることも主軸となっている。

鉄道ファンでもある文化部政務次官の楊子葆は、文化部の掲げる「文化平等権」「文化とのふれあい」の立場から次のような考えを語る。現代では芸術に階級的な垣根がなくなり、博物館はもはや教育の場であるという重責を担う必要はない。芸術や文化に対して人々が距離を感じず、「興味は知識の母」であることを博物館運営の原点に置くべきだと。そこで彼は、11月に台北機廠でコンサートを催し、鉄道博物館の新たなイメージを作り出そうと準備中だ。

「スタートが遅かったというハンデはありますが、それが利点にもなります」と楊子葆は言う。フランスや日本の鉄道博物館をコピーしてくる必要はなく、独自の道を歩めばいい。鉄道のキーワード「出発」に倣い、鉄道博物館を訪れた人々にとって、ここが新たな出発のスタート地点となるよう、彼は願う。

台湾人が産業遺産をどのように現代の暮らしに生かしているか、それを世界各地の人に知ってほしいし、この博物館を見るために台湾に足を運んでもらいたい、つまりここを国際レベルの鉄道博物館に、と楊子葆は考える。

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「活」的鐵道博物館

文‧鄧慧純 圖‧林格立

北門外,順著道路弧形轉角而建的鐵道部廳舍,半木造結構、紅磚外牆,左右對稱的塔樓,是屬於英國安妮復興樣式的兩層樓建築。此處不僅是許多老台北人記憶的美麗建築,也是台北近郊的通勤者,搭乘客運公車往返台北驛站路程中驚艷的一瞥。

而位在台北東區、京華城對面的台北機廠,則是台鐵車輛的健檢中心,昔日各式各樣的機電車行駛一定里程、時數後,都要召回進廠維修保養。這偌大的腹地,記錄數十年來台鐵車輛的修檢技術及工人以廠為家的勞動生活史。


今年夏天,不約而同的,台灣鐵道史上舉足輕重的鐵道部廳舍與台北機廠兩處國定古蹟,開放民眾預約參觀。消息一上網公布,導覽名額瞬間秒殺。昔日門禁森嚴的鐵道機構,卸下昔時的任務,人去樓空的空間仍存著歲月的痕跡。藉由古蹟的指定與修復,民眾得以踏入過去的禁區,一窺台灣鐵道歷史的黃金歲月。

鐵道部:台灣第一個科學工業園區

踏入鐵道部,映入眼簾的磨石子地坪與灰泥雕塑的天花板,是低調奢華的迎賓空間,沿木作樓梯扶階而上會遇見長方形的花廳,天花板上橢圓形的灰泥雕塑裝飾巧緻精美,空間雖不算大,卻顯示其作為官方廳舍的講究與氣派。

除了典雅美麗的廳舍,這街廓也來頭不小。廳舍的原址為清代機器局的基地,除作為修理機械、槍枝、製造子彈、鑄造錢幣之外,同時為劉銘傳鐵道建設的修理工場。日本殖民時期,日方發展台灣鐵道交通,亦選在此處籌建新廳舍,成為台灣鐵路管理的行政中心。國民政府來台後,沿用為鐵路管理局總部,直至1993年遷至台北車站現址辦公後,廳舍閒置了十數年,在2006年,才由文建會(文化部前身)、交通部、台鐵局與臺灣博物館(簡稱臺博館)簽訂「臺灣博物館系統聯盟協議書」,委由臺博館代管修復。

從歷史的脈絡解讀這個街廓,在台灣現代化的歷程中別具意義。機器局引進新式設備與生產流程,追求的是傳統社會欠缺的精準和速率;而火車更是重視「時間」的交通工具,將時間從傳統的子時、丑時,切割成幾點幾分,更是對精準的追求。

台博館助理研究員,同時也負責鐵道部廳舍古蹟修復的林一宏說:「機器局算是台灣第一個現代化的科學工業園區,甚至可以把此視為台北現代化的起點。精準度跟速度感是現代化的重要特徵,鐵路及工業都具備這個條件,也呈現出對現代化追求的特色。」

台北機廠:昔日東洋最大火車健檢中心

在城市另一頭的台北機廠,也是體現台灣現代化、工業化的場域。1935年落成時是東洋最大規模的鐵道工廠,而今是台灣都會區面積最大的國定古蹟,八十多年來送往迎來地檢修各式台鐵車輛,見證鐵道修理技術在台的發展。

台北機廠現有面積約17公頃,各廠區的設計與規劃都別具巧思與用意。長167公尺,高20.4公尺,寬距23.8公尺的組立工場,是車輛進廠檢修時最先拆卸檢查及最終組裝出廠的地方。混凝土的外牆,搭配大跨距的鋼製桁架,屋頂結構採人工的「鉚釘榫接法」,呈現工業建築中對稱、挑高及大面積開窗等特色。同時,南北向採光,避開東西側陽光直射,是很節能環保的空間。

數個廠區的地板是以檜木塊拼鋪而成,接縫處以瀝青填補,如此設計,一來可吸附油漬,木頭的避震較好,可減輕零件掉落的損傷,更顯示當時的工技智慧。原動室的鍋爐提供高壓蒸氣驅動各工場機具後,其餘熱力再經由蒸氣管導入員工澡堂浴池,工人下班後到澡堂泡澡、洗去一身疲憊,在當年就早已實踐環保綠能、資源再利用的概念。

不同於鐵道部廳舍屬於鐵道行政運籌中心,台北機廠紀錄的是台鐵工人的勞動生活史,廠內處處留有工人生活的痕跡。

資深文化志工蘇允指著柴電工場與內燃機工場間的壁畫說,這是工人自發的創作;還有台鐵機器人,是員工利用廢棄的零件拼組而成;場區的牆上還有用粉筆寫下該注意的數值或是工序,隨處可見提醒工作安全的警語,讓廠區充滿生活感。

今年63歲,已退休的廠長陳武昌,在台北機廠已工作45年,他領我們穿過環境最悶熱的鍛冶工場,昔日火車所需的零件都是工人在此自行鍛造。在沒有電腦控制的年代,靠的就是工人的技術與經驗,工班中技術最好的,就由他掌控蒸氣錘搥打的深度,廠區還留著許多當年工人自己鍛造的手工具,「一台蒸汽火車的零配件就上千種,當年蒸汽火車所有的零件,台鐵員工都可以自己鍛造。」陳武昌自豪地說。在這區工作也有好處,常有工人帶著一袋紅豆來上工,利用蒸氣熱能、放上一天,下班就有一鍋綿密的紅豆湯可以品嚐。

這些從陳武昌口中分享的點滴,是鐵道工廠裡特有生活經驗,也是難能可貴的工業文化資產。

文化資產保存修復

工業遺址的保存直至晚近才較為台灣社會關注,鐵道部廳舍雖早在1992年即被指定為古蹟,但是2006年才塵埃落定納入臺博館下的博物館系統,2014年方開始修復工程。台北機廠從當初僅指定員工澡堂、組立工場、原動室、鍛冶工場為古蹟,到最後能全區保存,更靠著民間與文化部協力溝通,才得以完整保存台北機廠工業遺址的脈絡,留下上個世紀、工業場域的身影。

文化資產保存的價值何在?林一宏解釋說,城市裡有古蹟建物是很必要的,因為它是一個看得到、摸得到的立體場域,它反映著某一個時空的經驗,超越平板、書本與舊照片所能帶給人們的體驗。盡可能保存珍貴的原件,使民眾能切身感受實體與時間所留下的痕跡,是古蹟修復的重要精神。也因此鐵道部廳舍的修復,「保留不同時期的痕跡更是重要的課題」。這部分從二樓的花廳可看出,裝飾天花板的灰泥雕塑,新修的白色和原有已泛黃的雕塑相間,可以區別新修與舊作。屋頂的檜木桁架,以新木料補強損害的部分,並編號註記。留著舊的物件,再添上新的痕跡,「我們對未來的想像,就是靠對過去的理解跟對現在的思考才建立的。」林一宏說。

文化部文化資產局台北機廠營運小組組長劉明興說:「文資修復最主要的精神是找回他的核心價值。」因此台北機廠第一階段修復的重點在總辦公室與員工澡堂。這兩處似與工業遺址無直接相關,亦不是技術史本身,但它記錄了台鐵員工一日的生活寫照,與台北機廠的勞工生活史相呼應。文化部並創國內首例,在修復過程中、安全無虞的前提下,定期開放導覽,讓全民一起參與修復的歷程,也是一種「文化近用」的實踐。

國家級的鐵道博物館

當台灣總算有機會打造自己的鐵道博物館之後,你想像的博物館是怎麼樣呢?從小沉迷於鐵道文化、現為師範大學地理系教授的洪致文表示,台灣文化的特色是包容性很強,這在鐵道文化也可看到例證。從清朝劉銘傳時代的鐵道,到日本殖民時引進日本系統,戰後美籍顧問也介入指導;又因著台灣的外交處境,買進世界各國火車,整個台鐵體系就像是八國聯軍,這就是台灣鐵道的縮影。因此,台灣的鐵道博物館應該「透過台灣鐵道的歷史看到世界的鐵道。」洪致文說。

又因為台北機廠是全區域的實體保存,且留有24股軌道可供調度使用,不同於一般展場礙於空間,只能以模型或展板解說,因此未來鐵道博物館能夠玩的東西很多,洪致文舉例說,像台灣剛獲日本大宮鐵道博物館贈與的583系臥鋪車廂2節,就可以考慮舉辦夜宿台北機廠的活動;還可修復餐車,讓民眾實地在莒光號上用餐,體驗開關電車的窗戶,學習電車座椅如何轉向,感受車頂還有風扇在轉動等等懷舊風情。藉由這些老東西,讓民眾理解台灣鐵道演進的過程與從何而來,是鐵道博物館該訴說的故事,洪致文語重心長地強調。

而位在北門外、小而美的鐵道部廳舍,除展示優雅的鐵道建築外,講述鐵道文化和鐵道歷史將是其主軸。

身在公務體系,同是鐵道迷的文化部政務次長楊子葆,站在「文化平權」跟「文化近用」的立場上,他覺得現今的藝術已漸漸成為階級的區隔,而博物館寓教於樂的包袱又太沉重,「喜歡該是一切知識之母」,不能讓民眾對藝術、文化因害怕而疏離,這是博物館經營的起點。他籌備著11月即將在台北機廠舉辦的音樂會,要創造民眾對鐵道博物館別出心裁的想像。

「我們面臨最差的時代,因為我們起步得晚,可是我們也佔盡優勢。」楊子葆說。不用再複製一個法國鐵道博物館或大宮鐵道博物館,台灣的鐵道博物館勢必要走出自己的路。他借用了車站「啟程」、「出發」的寓意,期待來一趟鐵道博物館能成為民眾生命的旋轉門,轉一圈再出發,開啟對一切美好事物的憧憬。

這不僅是國家級的鐵道博物館,楊子葆更期盼讓世界看到台灣人怎麼讓工業遺址活在現代人的生活中,讓更多國際友人為了這個博物館特地來到台灣,成為一個國際級的鐵道博物館。

A "Living" Museum of Trains

Cathy Teng /photos courtesy of Jimmy Lin

Following the traffic circle around Tai­pei’s historic North Gate, one catches sight of the old Taiwan Railways Administration building to the roundabout’s northwest. With brick and half-timbered walls and protruding towers to the right and left of the entrance, the two-story building with a dormered third floor is an example of Tudor-revival Japanese colonial architecture. It’s a beautiful building that features prominently in the memories of many long-time Tai­pei residents.

Meanwhile the Tai­pei Railway Workshop, located in eastern Tai­pei across from the Living Mall, was built as the TRA’s center of train repair when the area was still on the outskirts of the city. This industrial complex became a second home of sorts to the workers who inspected, maintained and repaired train cars and locomotives there.

 


It was by coincidence that the two locations—alike national historic sites that played important roles in the history of railways in Taiwan—were both opened to public tours this past summer. When the tours were announced on the Internet, they immediately filled up. Access to these railway institutions had been tightly controlled, so train buffs were eager to avail themselves of an opportunity to visit sites so crucial to the golden era of rail in Taiwan.

Taiwan’s first “science park”

Upon entering the former Taiwan Railways Administration building, which was built to house the Japanese colonial railways administration, one is met with eye-pleasing terrazzo floors and an ornate plaster ceiling in a low-key but well-appointed lobby. Ascending a split staircase, one arrives at a long conference room with a marvelously ornate oval ceiling that bears witness to the colonial government’s attention to detail and to the importance it placed on making a stately impression.

The location has a long history that predates these elegant offices. The site was originally home to the Tai­pei Machinery Bureau during the Qing Dynasty, when it functioned as a machine repair shop, arms factory, mint, and railway repair workshop. Then in the Japanese colonial era the current structure was built as the administrative center for Taiwan’s railways. After Taiwan’s return to Chinese rule at the end of World War II, the building’s use for administering railways continued under the TRA, which later moved to the newly constructed Tai­pei Railway Station in 1993. The old office building stood empty for a few years, until 2006 when the National Taiwan Museum was given responsibility for restoring it.

The site is significant in terms of the history of Taiwan’s modernization. The Machinery Bureau introduced new equipment and manufacturing processes to Taiwan, aiming to increase precision and speed, and trains, to be sure, were a means of transportation that placed great stress on the importance of timeliness. Lin Yi-hong, an assistant researcher with the National Taiwan Museum who was responsible for the building’s renovations, says: “The Machinery Bureau counts as Taiwan’s first scientific industrial park. You could even say that this is where the modernization of Taiwan began.”

Largest train repair facility in the Far East

Located on the other side of the city, the Tai­pei Railway Workshop was the largest train repair facility in East Asia when it was constructed in 1935. Today it is the most expansive nationally designated historic site in Taiwan. Its history bears witness to the development of train repair in Taiwan.

The Tai­pei Railway Workshop now spans some 17 hectares. Each area of the plant features unique designs and building layouts. At 167 meters long, 20.4 meters high and 23.8 meters wide, the erecting shop features concrete exterior walls, large span steel trusses, the symmetry of industrial architecture, and high expansive windows, among other special features. At the same time, with windows placed on the north and south sides but not the east and west, the sun cannot cast rays directly into the building when low in the sky. It’s thus a highly energy-­efficient space.

Many of the workshop areas’ floors are made of large blocks of cypress wood, with asphalt used to fill the gaps. The choice of flooring helped to absorb oil, dampen shocks and limit the damage from dropped heavy parts. The boilers in the engine room provided high-pressure steam to power a variety of machines at the plant. The excess heat was carried by pipes to warm the workers’ baths. After employees got off for the day, they could go for a soak to wash away their fatigue. By emphasizing the reuse of resources, it was a green design of its era.

The Tai­pei Railway Workshop embodies the history of labor on Taiwan’s trains. The industrial complex was a second home to workers for most of their lives, and they left their marks throughout the facility. The murals in the complex’s diesel‡electric locomotive shop and internal combustion engine shop were created by the workers themselves. There are also whimsical “TRA robots,” which were built by workers from spare parts. These features really bring life to the complex.

Retired Taipei Railway Workshop chief Chen Wu-­chang, 63, guides us through the forge and metallurgy shop, which would have been a hot and stuffy place back in the day. The plant’s workers themselves could fashion any needed spare part here, and indeed the workshop area still holds many tools that the workers made themselves. “A single steam locomotive has thousands of parts, and the workers here could make all of them,” Chen says with pride. The anecdotes that Chen shares portray a unique way of life inside the factory.

Restoration of cultural assets

It is only relatively recently that the preservation of our industrial heritage has received much public attention in Taiwan. The TRA offices were designated as an historic site back in 1992, but the Tai­pei Railway Workshop was only brought under the authority of the National Taiwan Museum in 2006, and restoration did not begin until 2014. At first only the workers’ baths, erecting shop, engine room, and forge and metallurgy shop were designated historic sites. Only later did the entire complex gain that designation thanks to discussions among citizen groups and the Ministry of Culture (MOC).

Wherein lies the value in preserving cultural assets? Lin Yi­hong believes that historical sites, as tangible three-dimensional spaces that impart a sense of history, are things that a city needs. Such places illuminate the experiences of certain places and times. Preserving them as close to their original condition as possible, so that the public can personally experience the physical objects and the traces left by time, is a paramount aim of restoration efforts. For the restoration of the TRA offices, “preserving the traces of different eras was an important concern.” In the ornately plastered second-floor conference room, one can clearly distinguish between the white new sections and the yellowed original ones. “Our imagining of the future is reliant on our understanding of the past and pondering of the present,” says Lin.

Liu Ming­xing, who leads the team at the MOC’s Bureau of Cultural Heritage that is responsible for preservation of the Tai­pei Railway Workshop, says, “Recovering a place’s core values is the driving force behind cultural preservation.” Consequently, the first stage of restoration was focused on the general offices and the workers’ baths, because the two places are redolent with social and historical context that animates the life histories of the workshop’s laborers. Furthermore, during the period of restoration there were scheduled tours of those areas that could be accessed safely. These both gave the public a chance to participate in the restoration process and helped to achieve the goal of “cultural accessibility.”

National-level train museum

When you think about Taiwan finally having a chance to create its own railway museum, what kind of a museum would you imagine?

Railway expert Hong Zhi­wen explains that Taiwanese culture is highly tolerant and inclusive, which is evi­dent when you look at the island’s railways. From the earliest tracks laid under the Qing-Dynasty governor Liu Ming­chuan, to the introduction of the Japanese system, to the guidance provided by American ­consultants after the war, Taiwan has purchased trains from various nations. Thus the whole railway system in Taiwan has a highly cosmopolitan flavor. A Taiwan railway museum ought to “use Taiwan’s history to show the trains of the world,” says Hong.

Because the Tai­pei Railway Workshop restoration project involves preservation of the entire site, including 24 different stretches of track, many elements can be brought into play for a future rail museum. For example, Hong notes that Taiwan has just acquired two 583 Series sleeper cars from the Railway Museum in Sai­tama, Japan. They could be made available for overnight stays. Restored Chu-­Kuang Express dining cars, meanwhile, could be used as the museum’s cafeteria. Old things can inform the public about the evolution of the island’s rails. They help to tell the stories that a train museum should tell.

Apart from conveying the elegance of railway architecture, the central focus of the restored TRA offices will be in taking a “small is beautiful” approach to describing railway culture and history.

From the standpoints of “cultural equality” and “cultural accessibility,” Deputy Minister of Culture Yang Tzu-pao, who is a train buff himself, is worried that contemporary art is gradually becoming stratified by social class. He emphasizes that museums have the difficult mission of making learning fun. “Enjoyment should be the mother of knowledge.” You don’t want to intimidate or alienate the public. These considerations must be the starting point for the museum.

“The late start taken to create a Taiwan train museum poses serious challenges but also offers advantages,” Yang says. He uses the metaphor of a train station being a place of departure. He anticipates that the railway museum will provide a gateway for the public to look back, turn around, and make new starts—all the while holding bright expectations for the future.

The plans call for exceeding a mere national-level railway museum. Yang anticipates that the museum will demonstrate to the world how the people of Taiwan can bring disused industrial sites to life for modern people and will prompt more foreign friends to take special trips to Taiwan. The institution will thus ascend to the ranks of truly international­-class railway museums.

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