時代の波の上に立つ
1981年に成果を台湾に持ち帰ると、魏福全は恩師の「無私・人助け」の理念を貫き、学んだものを日々患者の治療に注いでいった。3年後のある日、羅先生から、海外で開催されるマイクロサージャリー・シンポジウムに行くよう命じられた。「初めての国際会議で、尊敬していたシンガポール・香港・タイの先輩方と並んで論文を発表することができて、とても嬉しかったのを覚えています」発表を経て、国内のマイクロサージャリーの技術が他国に劣らないことを初めて実感した。以降、マイクロサージャリーの国際会議があれば、必ず参加し、最新の研究発見を発表した。そうして台湾のマイクロサージャリーの技術が、他に劣らないばかりか、他国を超えたことを示したのである。
徐々に、魏福全は海外の大学や医学研究機関から客員教授の招聘を受けるようになる。「我々も最初は他国から学んだのだから、今度は我々が国際社会への還元を考えるべきだと思っていました」羅先生の無欲な利他精神が、心の中で膨らんでいった。後に顕微再建外科界のノーベル賞といえる「ハリー・J・バンク賞」を受賞する医師は、台湾独自のマイクロサージャリー指導体制を一歩一歩築いていった。
魏福全は、マイクロサージャリーにできるのは、命を救うことだけでなく、身体の機能や外観を回復することでもあり、これは人の尊厳に重要な役割を果たしていると考える。加えて台湾の全民健保制度が折りよく発展の余地を提供したことで、患者に高額の医療費を負担させずに手術ができるようになったのである。また、マイクロサージャリーの2つの応用分野は、一つが外傷、もう一つが癌の治療である。たとえば舌癌の場合、舌の病巣を切除するには、マイクロサージャリーの技術がなければ修復ができない。化学療法と放射線治療では舌癌への効果はあまり期待できず、費用もかさむ。
そこで、魏福全は医療チームを率いて長年にわたり努力を重ね、マイクロサージャリーに血管・神経・リンパ・管状構造といった再建のサブカテゴリを生み出していった。世界的にもこれほど全面的なマイクロサージャリー技術はなく、同時に様々な世界一の栄誉も達成している。開発した術式最多、国際的権威ある医師最多、単一の医療機関の症例数最多、論文発表最多など、世界をリードする業績に、世界中の専門家が争って来訪し、学んでいく。
「世界ではマイクロサージャリーを手掛ける人も機関も、まだまだ少ないと感じています。ですから、この優れた技術を最も効果的な方法で、できるだけ広めることが、私の願いです」効果的な方法とは、シード教師の育成であり、こうした教師が世界中の必要とするところへ伝えることだという。つまり「Train the trainers」、指導員を指導するという考えである。この理念を訴えるべく、長庚大学と教育部を幾度となく奔走し、ついに2015年、従来の「臨床顕微再建術研究員」制度を転換し、臨床研究員制度と修士課程を一つにした「長庚顕微手術国際修士プログラム」の設置にこぎつけた。このように理論と実験と臨床経験を兼ね備えた修士課程は、世界においても初の快挙であった。
マイクロサージャリー再建センターから国際修士プログラムの設立に至るまで、これまでの37年間で世界83か国から、一年以上の「研究員」150人、研修期間が長短異なる「客員研究員」2000人近くを育成してきた。こうしたトレーニングの蓄積から、ユニークな指導体制と構想が生まれたのである。
外来患者への実際の説明を通して、マイクロサージャリーを学ぶ修士プログラムの研究員に患者のニーズを理解させる。写真は足の指を手に移植した症例。