智慧を用いて福を生む
田中央の建築作品を振返ると、50件余りの作品を通じ、社会への関心が重要な軸であることが分る。1995年の礁渓の竹林養護院、宜蘭の大洲教養院から、聖嘉民啓蒙センター、聖嘉民老人養護院へと、田中央は最大の心血を注いできた。「誰でも壮健ではなくなる日が来ます。年長者にバリアフリーの尊厳を提供したいのです」と言う通り、様々な介護や医療の必要性に迫られる中、いかに人にやさしい適切な空間を構築するか、将来に向けて重要な課題となるのである。
田中央の努力の積み重ねは、宜蘭県の各市町村に及んでいる。しかし、公共建築の分野で代表的な事務所として知られていても、しばしば財務上の問題に直面している。「明日の給料日は資金繰りに走らなければ」と、黄声遠は頭を振る。その資金繰りがどれほど大変でも、若いスタッフにまず規定通りに給与を支給する。ベテランスタッフは、必要に応じて半額支給で何日か持ちこたえるのである。
田中央が扱うのは主に公共建設であるため、建設予算には一定の上限が設定される。「先生は常に本質的に物事を捉えて、しかも不断に修正を重ねます。現場を見に来ると、まず一周見てから修正を提案します」と、若いスタッフは半ば真剣に、半ば困ったように話す。できる限りの最善を尽くすのが田中央の座右の銘であるが、そのため黄声遠は常に時間に追われることになると、誰もが知っている。
20年来のパートナー、現場監督の楊志仲は、常に計算機を手に、工事原価を精算している。修正のたびに原価が増えることは知っているが、それでもやらないわけにはいかない。「人生の各段階に、専念すべきことがあります」と、建築を愛する黄声遠は、一人一人が努力することを願う。
公共建設を多く請け負う田中央は、政治が人々の福祉を図るための公器であることを深く理解している。誰が政治を担当しようと、その初心を忘れることがなければ、誰でも最良の選択ができることだろう。
黄声遠はエール大学の修士号を有し、アメリカの著名建築家Eric O. Mossの事務所に勤務し、その作品は何回も国際的な賞を受賞し、高い評価を受けてきた。黄声遠が率いる田中央建築師事務所は、より広い場で活躍できるのかもしれな。しかし、この土地に対する帰属感と、より良い使命感を受け継ぎ、次の世代に夢や希望を抱かせようと、様々な困難に直面しても、黄声遠はここに深い愛着を寄せている。
「スタッフはみんなちょっと似ていて、聡明な若者です」と、田中央の愛すべきスタッフを眺めながら、黄声遠は優しい眼差しとなる。「私は何でも信じるし、特に区別はありません」とする黄声遠は、何事にも真剣に当り、心に恥じることがなければ、天もお見通しだし、ほかの人の目にも分かるものだと考えている。
モダンなデザインの「桜花陵園」入口の流線形の橋。(田中央提供)
「宜蘭社会福祉館」のバリアフリー環境は、利用者にやさしい空間を提供している。(田中央提供)
「員山機堡戦争地景博物館」は黄声遠の手によって救われ、保存されることとなった。