映画のスチル写真は、記録であり再創作でもある。
「再創作」のプロセスがなく、ただ記録するだけだとすれば、現在のテクノロジーなら映画フィルムの中からスクリーンショットを撮れば済むことだ。再創作というのは、現場でファインダーと心の目を通し独特の素材を見出すことだ。映画とは切り離せないが、映画からは独立した存在なのである。
スチル写真は映画制作の中でも独立した項目である。スチルカメラマンの仕事は映画撮影現場にあり、作品撮影中にカメラの傍らで静かに写真を撮るのだが、映画制作そのものに直接かかわることはない。撮影現場以外での写真もある。リハーサルの段階で衣装を着けて役作りをした俳優たちを撮ることもあるのだ。発表されるのは数枚に過ぎないが、スチルカメラマンは作品全体のストーリーや役柄だけでなく、監督の創作理念も十分に理解していなければならない。こうして撮影されたスチル写真が、新聞や雑誌、あるいはインターネットで露出され、一般の人々の目を引き、映画を観たいと思わせるのである。
スチルカメラマンと映画のカメラマンは、同様の技術や機能を共有しているのだが、両者の仕事の本質はまったく異なる。映画カメラマンは映像作品の撮影に集中し、最後にそれらを編集して作品に仕上げるが、スチルカメラマンは生き生きとした瞬間をとらえることに専念し、時には映画では見られないシーンを通して作品の魂を伝えることもある。
スチルカメラマンになったのは、私としては予想外の展開だった。
1986年に初めて侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『恋恋風塵』のスチル写真を撮り、それから21年後に鍾孟宏(チョン・モンホン)に依頼されて監督デビュー作『停車』のスチル写真を撮った。ここ数年、鍾孟宏は監督だけでなくプロデュースも多数手がけており、1~2年ごとに作品を発表している。この11年で私は『第四張畫』『失魂(Soul)』『一路順風』『大仏普拉斯(大仏+)』『小美』『陽光普照(ひとつの太陽)』などのスチル写真を撮ってきた。
スチル写真と聞いて「映画撮影現場でなぜわざわざ別に写真を撮る必要があるのか。映画が完成したら、フィルムの中から一コマ選べばいいじゃないか」と思う人もいるだろう。この疑問に対する答えとして、鍾孟宏監督が私に語ったスチル写真への要求を引用したい。「スチル写真は映画の中にはない画像であってほしい」というものだ。これこそ再創作のプロセスと結果である。映画と切り離せない関係にありながら、映画の外にある。スチルカメラマンは映画を題材として独立して成立し、カメラマン自身の演出を経て、静止した映画であるかのように人々に見せるのである。
『第四張畫(四枚目の似顔絵)』2009年(劉振祥撮影)
『第四張畫(四枚目の似顔絵)』2009年(劉振祥撮影)
『陽光普照(ひとつの太陽)』2018年(劉振祥撮影)