複合素材に求めた答え
「造形を追い求め続け、複合素材を始めたのは50歳以降のことでした」と、郭清治は感慨を込めて語る。
中華民国彫塑協会の会長として、国外の展覧会に協会を率いて参加したが、外国の関係者からしばしば「台湾の芸術家は外国の技法を習得しているが、その作品に東洋的なアイディアが見られない」と言われることがあった。それは無念ではあるが、真実を突いた一言であった。
基本的な造形に自身のスタイルを見いだせない中で、複合素材を実験することにした。石と真鍮、ブロンズやステンレスを組合わせたのだが、うまくいかなかった。「各素材の対比と、組合せ効果を明確にできないのは失敗です」と、郭清治は厳しい要求を自己に課した。
1993年になって、花崗岩とステンレスを組合わせた作品「新視界」において、高さの異なる二つの花崗岩の石柱を基とし、高い方の石柱に記号化した目を刻し、もう一つの石柱にはステンレス線を巻いた。これを髪の毛と解釈する人もいるが、郭清治は脳の思考活動と説明する。シンプルな数タッチで彫り出した目は、前を向き新しい世界を見つめることを意味する。具象と抽象を組合わせ、光と影が互いに引き立て合って、彼としては満足のいく作品だった。
1994年に日本の第3回アジア現代彫刻会国際交流展に招かれて出展した「娑婆の門」について、朝日新聞は「二つの目を刻した赤い大理石の左右に付けられた金属の羽が、異なる角度で目に光を反射する。太陽の動きにつれ、時々刻々と変化していく様は、異次元のようである」と評した。鏡のようなステンレスの効果を利用した作品は、様々な角度から見ると姿を次々に変えて見せて、まさに驚きをもって迎えられた。
50歳を境に、郭清治の作品は国際的に評価が高まっていった。基本造形に20年の時を費やしたのだが、造形は創作ではなく技法の一部に過ぎないと知った。それでも基本技法に時を費やしたのは無駄ではなく、この時期に彫刻の技術力を培い、それを基礎に複合素材を取り扱うことで、新しい世界を開いていったのである。
自身の独創的な様式を生み出した郭清治は、ここから素材の制約から解放され、抽象と具象の合間を行き来し、虚と実、光と影の対比を利用し、対立的な素材を組合わせ、これを調和させることで素材を思うままに扱い、自身のコンセプトを表現できるようになった。
(左)郭清治は今も手描きのスケッチを習慣にしている。