しかし、劇団「雅音小集」の存在がこの現象を変えることになる。国父記念館での「竇娥冤」公演は二日とも満席となり、6000人が京劇を鑑賞するという記録を樹立した。その功績は、劇団創設者である郭小荘の京劇革新に帰すことができるだろう。
「光華」では1985年に、「京劇の流行を再び」をテーマに、この演劇芸術の新しいブームを紹介した。
「雅音小集」ではその後も「白蛇と許仙」「木蘭従軍」「梁山泊と祝英台」などの新しい舞台を上演し、40歳以上の人であればその名前を聞いたことがあるだろう。新演出の舞台では長すぎる歌を減らし、重複する台詞を極力避けることとした。光華の記事の中でも「観客は芝居を見に来るので、聞きに来るのではありません」と郭小荘は話している。
「雅音小集」の舞台は郭小荘が常に主役を務め、西洋の戯曲と現代の舞台芸術を大胆に取り入れたため、保守的な人々からは伝統に背くものと見なされていた。しかし、これが台湾の京劇に新しいページを開き、観客の世代交代を図り、京劇という中華文化を代表する伝統芸術の国際化を推進したのである。
1970年代の郭小荘は、一俳優としてCTV中国電視のドラマ「一代紅顔」や映画「秋瑾」などに出演していたが、画家張大千の勧めがあって、転向して京劇を演じるようになった。張大千は雅音小集に題字し、郭小荘といえば雅音小集と言われるようになった。
京劇改革に力を尽くした郭小荘は、台湾の文化芸術の発展にエネルギーを注いだ。十大傑出女性青年に選出され、国家文芸賞特別貢献賞などを受賞しており、その生涯の伝記は、台湾の小学校と高校の教材にも紹介されている。
西洋の戯曲と現代の舞台芸術を大胆に取り入れた郭小荘の新たな京劇は、多くの若い観客を魅了した。