ヒューマニストの宇宙観
人々は銭穆先生を歴史学者と定義するが、彼自身は歴史を通してこそ未来と過去に向き合えると考えた。人々は考証学における業績だけを見ていて、先生が一生を通じて厳格な考証に基づいて文化や思想における斬新な視点を世界に向けて提出してきたことを見過ごしているのである。というのも、中国文化の天人合一観が人類全体に極めて有益だと先生は確信していたからである。中国伝統の生命の価値を重視する観点を用いて西洋文化に欠けている部分を補い、人の立場から思考し、幸福とは何かを思考したのである。
新しい世代の知識人は西洋化しているので、一旦は根源に遡って問題を見る必要がある。「先生は、ご自分は皆の言うような民族主義者でも狭い意味の愛国主義者でもないのだが、と仰っていました。自分は人類の立場に立ち、世界文化の発展と未来の観点から中国文化を見ているのだと話されました」と辛意雲教授は言う。というのも、今日の世界は多元化に向って発展しているように見えるのだが、実際には今も単一の西洋物質文化にリードされていて、人間の最も重要で根本的とする生の価値に関する文化を欠いているため、未来に向けて必ずや袋小路に陥ってしまうと先生は認識していたからである。
中国の古典を翻くとは、概念的なロジック分析の思考に留まるものではない。その書を理解し、その内容を自己の生の希求と結び付けていくことにある。世界を見通すとは、人の心に依って立つことで、書かれた文字によるものではない。
銭穆先生はソビエトがいつ頃に崩壊するかを予言していて、学生に向かっては「ソ連が崩壊しないのであれば、君たちは私の本を積み束ね、読む必要はない。そもそも中国の書も積み束ね、読む必要はなくなるだろう」と語ったという。さらには「西洋科学をすべて吸収出来れば、中でも人間が生においていかに幸福を求めるかに関する部分を吸収出来れば、新しい人間観を発展できるだろう」と語った。この考えが先生晩年の著作に通底していると辛意雲教授は言い、中でも生前の最後の著作『晩学盲言』では、中国と西洋の学術文化について総合的な議論を全面的に展開していたのである。