伝統神具からモダン家具へ
大渓を代表する木工芸は、清の時代から100年余り続く伝統産業で、1970~80年代の最盛期には200~300軒の木製家具店が存在した。だが、やがてほかの伝統産業と同じく、中国や東南アジアの安い労働力に勝てず、プラスチックやスチール製品の普及、やがてはIKEAなど大型家具ブランドの進出もあり、大渓の家具店は3分の1に減ってしまった。
代々経営されてきたのは主に小中の家具店で、欧米や日本の大型家具ブランドとは比較にならない。だが職人の優れた技は昔も今も大渓が誇る貴重な財産で「技術なら我々は外国に負けません」と「洲宇木業」創設者、李汪宇さんは言う。
昔の人は家具を代々使っていく物と考えていた。嫁入り道具や、祖先や神を祀る台など、いつまでも使える精巧な工芸が選ばれたのである。しかし今は、工場で大量生産された廉価な家具が広く受け入れられ、シンプルなデザインも現代人の感覚にマッチする。一方、品質は大きく劣化したうえ、材料や工芸についての人々の知識も失われてしまった。低価格で出回る家具は見た目は良くても壊れやすいと、こぼす人は多い。
大きな時代の変化に直面し、大渓の家具店では2代目3代目が跡を継いだ場合、積極的に変革を試みている。上の世代の高い技術を受け継ぐだけでなく、台湾人のニーズに合った高級家具を作ることを目指す。
例えば、李汪宇さんは幼い頃から家の工場を手伝っていた。彼の祖父の李順益さんは若い頃に日本留学の経験があり、後に木材を扱う「建漢実業」を設立した。木材の知識が豊富で、地元では「木材博士」と呼ばれている。
そうした上の世代の技術や知識を受け継ぎ、李汪宇さんは6年前に独立して「洲宇木業」を設立した。重厚な伝統家具は扱わず、現代的な家具に狙いを定めながらも、大渓の無垢材家具やオーダーメイドの伝統を大切にする。
注文が入ると李さんは必ず客と細部にわたって話し合い、ニーズに合わせて調整する。また無垢材の触感を肌で感じてもらおうと、自社製品には一般のワニスを塗らず、食用できるようなオイルで仕上げる。李さんはいかに細部に注意を払って家具を作るか説明してくれた。例えば、ほぞ継の正確さが家具の寿命を決めること、或いは、気温も湿度も高い台湾では、引き戸にも温度差を考慮したゆとりが必要なことなどだ。
幸い、木博館をプラットフォームとし、考えを同じくする若い2代目たちが集まって、五つのブランドからなる「木創巣」という学習グループを立ち上げた。互いに情報交換し、外部との交流も行なう。創意を刺激し合って、伝統を新たなビジネスにつなげるためだ。
木博館でも「木沐MUKKI」というオリジナルブランドを立ち上げ、大渓の職人とともに製品開発や量産などを学ぶ。豆干の形をした印鑑や、コマからヒントを得た線香皿などの製品は、大渓の人々の記憶を作品化したものだ。「参加する職人さんには、一般的な販売ルートの価格設定と生産戦略を知ってもらいたいのです。つまり、これは商品開発というだけでなく、人材育成の場でもあるのです」と木博館の陳佩歆秘書は言う。
かつての栄光を背負いながら変革の道を歩むのは容易ではない。だが人々の暮らしとともに歩んできた大渓の木工は、100年の町の名に恥じることなく、やがて大きな実りを生むことだろう。
関帝生誕の祭りは本来は一日だけのイベントだったが、あまりに多くの信者が参加するため二日の活動へと延長された。この二日間、小さな町はまるで春節のようににぎわう。
関帝生誕の祭りは本来は一日だけのイベントだったが、あまりに多くの信者が参加するため二日の活動へと延長された。この二日間、小さな町はまるで春節のようににぎわう。
大漢渓にかかる大渓橋は幾度もの修築を経て今日の姿になり、この町の発展を見守ってきた。
大渓木芸生態博物館は地元住民の求心力を高める役割も果たす。
「街角館」は文化体験の場であるだけでなく、観光客と住民が直接交流できる機会も提供している。
大渓は高級なローズウッドの家具製造で知られ、 高級素材と精密なほぞ接ぎが特色だ。
大渓は高級なローズウッドの家具製造で知られ、 高級素材と精密なほぞ接ぎが特色だ。
海外から移住してきた鍾佩林さんは大渓の交通の便の良さと人情味のすばらしさを語る。
木工芸の家に生まれた李汪宇は、実務経験が豊富で、現代的な家具の製造に情熱を注いでいる。
李汪宇が製作する家具や小物。伝統技術と現代的な洗練された造形が融合している。
李汪宇が製作する家具や小物。伝統技術と現代的な洗練された造形が融合している。