小説家の進撃
それぞれ成り立ちや目的、方法が異なるとはいえ、時代の動きを鋭敏に観察し、小説によって台湾社会に関わろうという精神は一致している。
日本統治時代を舞台にした時代小説『華麗島』は、従来の歴史小説にありがちな悲壮で重苦しいムードとは決別し、軽いタッチで描くサブカルチャー的なエンタテイメントになっている。だが小説家のねらいは、読者に歴史を見つめ直してもらうことにある。何敬堯は「起点は娯楽、過程は冒険、終点は静かな思考を目指します」と言う。楊双子もこう言う。日本統治時代に台湾の文芸界で叫ばれた「台湾は、台湾人の台湾だ」という言葉は今でも当てはまり、「台湾は1945年に突然出現したわけでなく、昔から多くのものが存在していたのです」と。歴史を再認識し、生まれ育った土地を肯定することから、台湾文化の主体性は展開すると、彼女は考える。
彼らより規模が大きく、創作と実践を結び付けようという字母会は、現代の時代状況により強く反応する。近年の台湾は国際的環境に恵まれず、キャンパスにも社会にも閉塞感が漂う。そんな「何か起こりそうで何も起こらない」現象を、楊凱麟は「閉塞経済、閉塞哲学、閉塞世代」と呼ぶ。だが、張愛玲に始まる華麗な文学作品群が40年代の香港という特異な時代背景から生まれたように、環境の切迫感が創造力の源となることはある。或いは小説がきっかけとなり、新たな言語、新たな観点が生まれ、新たな時代が到来するかもしれない。
1904年にイギリスでヴァージニア・ウルフをはじめとする作家、芸術家、思想家が立ち上げたブルームズベリー・グループが前衛的な思想や創作によって保守的なヴィクトリア時代への決別を宣言したのに似て、字母会の意義も時代の脈略の中に置いてこそ、その価値が見えてくる。楊凱麟はこう言う。「これは小説完成までの実験です。コンセプト、出版、評論、デザインなどを最も新鮮な状態で台湾読者や華文読者に披露します。トップクラスの創作者が現代の社会状況にどのように応えるかを」
衛城出版社の編集長である荘瑞琳は、人文社会科学分野の書籍出版に長年携わってきた。台湾社会は文学の価値を深く論じていないと感じた彼女は、「台湾は文学を論じ得るか、文学から社会を論じ得るかを、字母会で試してみたいと思ったのです」と言う。
衛城出版社はそれまで文学書をあまり扱ってこなかったが、時代に欠乏感があるという共感によって彼らは意気投合した。そこで、陰りを見せる台湾文学市場においては贅沢とも言える『字母会』シリーズの出版となったのだ。
黄崇凱(右)は、楊凱麟(右)に出された命題から、小説家として馴染みのない物事に触れるきっかけを得たと言う。二人は慣れ親しんだ世界を離れ、従来とは違う表現を試みている。