史艶文の原型は18世紀の章回小説『野叟曝言』にあり、それを台湾布袋戯の大御所、黄海岱が『雲州玉聖人――史炎雲』に改編、その登場人物を息子の黄俊雄が史艶文に変えたのである。
40年余りの間、台湾の布袋戯は多くのヒーローを生んできたが、いまだに史艶文ほど完璧なキャラクターは存在しない。
黄海岱はかつて布袋戯を「一声で喜怒哀楽を、十指で古今の物語を表す」と形容した。布袋戯は単なる人形劇というだけでなく、人々に倫理を説く役目も持つ。人間的に完璧な人物が登場し、正義や忠孝を体現することで、観衆にとって一服の清涼剤となる。これも布袋戯の目指すところだ。
テレビの威力を実感した黄俊雄は、人形を伝統のサイズからさらに大きくし、西洋管弦楽や特殊効果も加え、撮影技法にも工夫を凝らした。こうして布袋戯は一世を風靡するテレビ番組となり、史艶文は、どのスターも及ばないほどのヒーローとなった。黄俊雄の子供たちもそれらを継承し、霹靂、天宇、金光(天地)といったシリーズを生んで巨大な布袋戯帝国を作り上げた。こうして子の代がすでに事業を成しても、80歳を超えた黄俊雄は公演の招きに応じ、絶技で人形を操る。「布袋戯は私の命ですから」と黄俊雄は言う。
台湾文化を代表する布袋戯を、「光華」は40年の間に幾度も扱った。「光華」も史艶文とともに成長し、台湾文化の発展を経験し、今や同様に新たなメディアの挑戦を受ける。布袋戯もメディアをテレビ、映画、スマホへと変えてきた。黄俊雄はこう言う。伝統と刷新の両立は、創作者の変わらぬ目標である。まして史艶文は、いつの時代もヒーローであり続けるのだから、と。
布袋戯は私の命です。『光華』と同様に、伝統の継承と改革の追求という、創作者にとっては常に変わらぬ精神で歩みます。
――黄俊雄
雲州大儒侠・史艶文がテレビに登場したのは40余年前、すでに台湾テレビ史の伝説となっている。