観念5:生涯学習
経済建設委員会の試算では、20年後の大学新入生は18.3万人になり、現在より43%も減少する。一方、高齢者の学習需要は高まるため、新しい教育メカニズムが必要になる。
2008年から教育部は大学に対し、既存の資源を活用して高齢者と若者が一緒に受けられる特色ある講座を開くよう奨励している。教育部が講座開設費を補助し、55歳以上なら学歴を問わず1500〜3000元の学費を払うだけで、一学期の大学生活を送れるというものだ。昨年は実践大学や高雄師範大学など56の大学で開設された。
仏光大学ロハス生命文化学科では、保健と人生哲学の講座を開いた。薬膳や台湾民間信仰など、高齢者には親しみのある実用的な内容だ。「一生に一度は書かなければならない企画書」というカリキュラムでは、生と死を論じ、遺言や生前契約などについて考える。
退職すると「自分はもう年寄りだ」と限界を設けてしまい、社会の急速な変化に不安を抱くものだが、こうしたカリキュラムに参加すれば自分を充実させられ、若くて元気な同級生と励まし合うこともできる。
こうした学習制度の他に、シルバー世代のために旅行と教育を結びつけた活動も内外で人気を呼んでいる。アメリカには世界最大で最初の高齢者向け学習旅行機関「エルダーホステル」があり、孫と一緒の熱気球研究、学生の管弦楽団へ参加、海洋研究などといったプログラムを提供している。
観念6:一人暮らしも良し
内政部の「老人状況調査」によると、台湾では子女と同居する高齢者は減っている。1986年の70%から2005年には57%へ13ポイントの減少だ。逆に高齢の夫婦だけ、または一人暮らしの割合は1986年の25.5%から2005年には35.8%へ増えている。
呉静吉教授は、子供を頼りにするのではなく、自分の人生の意義を見出さなければならないと言う。また親しい友人の存在も重要だ。
「友人関係も夫婦関係も同じように親密で互いの信頼の上に成り立ちます。友人関係の方が利害や嫉妬がない分、支えになることもあります」と言う。
台湾大学ソーシャルワーク学科の林万億教授はこう指摘する。就労機会が地方から都市へ移り、グローバル化が進んだことによって、子供がいつも親の近くに暮らすことはできなくなった。逆に、生活・経済面で自立し、結婚した子供と同居しようとは思わない健康な高齢者も増えている。一般に子女との同居には無言の「交換条件」がある。祖父母が孫の子育てをし、高齢になったら子女の世話になる、というものだ。
「問題は、本当に世話が必要になった時、子女にその意思あるいは能力があるとは限らないことです」と林万億教授は言う。そのため、誰もが安心して老後を迎えられるよう、家庭によるサポートシステムと国民年金やコミュニティケアシステムを結び付けておく必要がある。
高齢化による家庭形態のもう一つの変化は「竹竿家庭」の形成だ。これは子供が一人しかいない世帯で、親の寿命が延びたため、四世代同居というケースも出てくる。
林万億教授によると、こうした家庭の課題は、子供が過保護に育って社交が苦手になりがちという点で、教育による協調が必要になる。また、若い世代にとって高齢者の扶養が大きなプレッシャーになるため、年配者は自立を学ぶ必要があり、コミュニティケアも重要性を増す。最後に、叔父や叔母などを含む伝統の親族ネットワークが縮小し、さらには消失していき、家庭は「私的なサポートネットワーク」機能を持たなくなる。その時点で、人々は公のサポートネットワーク(教会やボランティア団体など)を求めなければ、孤立無援の状態に陥ってしまうのである。
年齢差別をなくす
「性差別」は正しくないというのはすでに全国民の常識だが、「高齢者差別」はまだこの社会に溢れている。
世新大学社会心理学科の邱天助教授は、台湾は「高齢者意識」が非常に欠如した社会で、習慣的にさまざまな差別が行なわれていると指摘する。例えば統計学上、65歳以上の高齢者を「依存人口」と呼ぶことがあるし、55歳優遇退職プランでは50代の人に早期退職を促す誘因を打ち出すが、これは高齢者の人権や就労権を奪うものでもある。
元立法委員で医師の沈富雄さんは、昨年スポーツジムで「70歳以上はハイリスクグループ」として入会を拒否された。毎日ジムに通い、4キロを20分で走れる彼は、いじめられているように感じたと言う。
「一般の人々は今も『高齢者イコール社会問題』という非常に遅れた考えを持っていて、高齢者の増加は社会の負担を増やすと考えています。人類の寿命が延びることを一つの機会ととらえ、高齢者が社会へもたらす良い影響を考えるべきです」と邱天助教授は言う。
輝かしい人生の第三幕が開こうとしている。自分の人生の主人公となるために、己の心が求めるものを見つめ直せば、家族や友人との関係においても、社会参加においても、また娯楽やレジャーの面でも、より大きな満足が得られることだろう。