英語ヒアリングの勉強に
アメリカ生まれのパーソナリティ、ジョセフ・リンは、英語は母語だが、ラジオ番組の司会者となるために長年鍛錬してきた。有名なトークショーの司会者の話し方や常套句などを真似し、それからしだいに自分のスタイルを生み出していった。以前は大手企業のコンピュータ技術者だったが、ICRTの総経理との面接の電話をきっかけに、台湾に移ってきたのである。
当初はICRTで2年働いたらアメリカに帰国する予定だったが、あっという間に20年もたってしまったという。彼はその魅力的な声で「子供の頃からなりたかった職業だからです。自分で音楽を探し、音楽を聴き、しかもレコード会社から無料のCDももらえるのです」と言う。
ICRTは、台湾で初めて番組放送中にリスナーからの電話を受け付け始めたラジオ局でもある。電話を受けるだけでなく、ジョセフ・リンは10年にわたって番組中に電話をかけるコーナーも続けている。リスナーからの求めに応じて、愛の告白や誕生日のお祝い、リクエストやいたずらなどの電話をかけるというもので、聴取者も一緒になって感動の涙を流す。「リスナーのプロポーズの電話は30回以上ありました」。電話の相手はジョセフ・リンの電話を受けると歓声を上げる。
ICRTはまた、学生たちのヒアリング練習にも役立っている。デビッド・ワンやジョセフ・リンの番組は中国語と英語の二カ国語で、先に中国語を30秒ほど話すので、聞いているうちにヒアリングの能力がつく。SNSが発達してからはオンライン番組をスタートさせ、多くの人がアプリでラジオを聞き、英語を勉強できるようになった。
1993年から、政府はラジオの周波数を開放し始め、ラジオ局間の競争が激化した。そうした中でICRTは大規模な野外イベントやチャリティイベントを開催し、台湾社会との接点を増やして忠実なリスナーを増やしてきた。十年以上続いている「客家風情」のコーナーは、各地の客家文化を楽しく紹介する。またICRTでは毎年、独身パーティやハロウィーンパーティ、自転車デーなどのイベントも催し、パーソナリティとリスナーが一緒に楽しみつつ交流している。
洋楽分野で他をリードするラジオ局として、新人アーティストの育成にも力を注ぐ。2007年から始めたイベント「バトル・オブ・ザ・バンド」は今も続いている。于淑٥D副総経理によると、ICRTの番組には内外の優れたインディーズ・バンドから楽曲放送の依頼があり、音楽をリスナーに届けるチャネルとして認められているという。
アメリカの「台湾関係法」と同じ年齢のICRTは、今年(2019年)開局40周年を迎える。7月13日にはオールディーズのコンサートを開催し、懐かしい歌を聴きながら、ICRTがリスナーとともに歩んできた歳月を振り返る。
写真一番右のデビッド・ワン(王再得)はICRTの伝説的なパーソナリティである。
局のスタジオを出て、台北市天母で行なわれたハロウィーンイベントの会場から生放送。
ICRTが開催する「バトル・オブ・ザ・バンド」は、内外の優れたインディーズバンドやアーティストがリスナーに確実に音楽を届けられるプラットフォームである。
ICRTのかつての名パーソナリティ、トニー・テイラーは、1997年に台湾でコンサートを開いたボーイゾーンにインタビューした。
パーソナリティのジョセフ・リンは、無名の頃からジェイ・チョウ(周杰倫)を番組に招いていた。(ジョセフ・リン提供)
ICRT元パーソナリティの聶雲と歌手の光良と品冠。
独身パーティで、仮装して登場したICRTのパーソナリティ。