街と生活の息吹
宿舎を見終わると、蔡済民は私たちを外へ連れ出してくれた。まず向かったのはそう遠くない位置にある武徳殿だ。この龍潭武徳殿は1930年に建てられ、日本式教員宿舎とほぼ同時期に修復された。鉄筋コンクリート壁で補強され、外壁は白と黄色の漆喰に緑色の洗い出し仕上げという素朴で落ち着いた配色が、この街によく馴染んでいる。
東龍路に沿って歩くと、最初に龍潭基督長老教会が見える。鍾家は代々キリスト教徒で、鍾老も幼い頃からこの教会の礼拝に参加していた。彼の長編小説『八角塔下』には「長いヤギひげの老伝道師は、私たちがよく知っている物語を永遠に語り続ける」という記述がある。この老宣教師こそ龍潭で最初に伝道を行った鍾亜妹である。そのまま通りを進むと、地元の信仰の中心である龍元宮が見えてくる。ここは五穀神農大帝をお祀りしていて、鍾肇政の作品にも龍元宮の年越し、元宵、中元のお祭りがしばしば登場する。「鍾家の人々は代々キリスト教徒でしたが、鍾肇政が生後1か月の時には、龍元宮前の広場で伝統的な路上宴席を設けて、近所の人々とお祝いをしたそうです」と蔡済民が教えてくれた。2022年には桃園市の客家文化基金会が、この場所で鍾老の作品と妻・張九妹のレシピをテーマにした音楽パーティを開催し、街の遠い記憶をよみがえらせた。
龍潭の街はそれほど大きくない。細長い形をしていて、その真ん中を龍元路が貫いている。これが地元の人々にとっての「老街」、つまり伝統的な古い町並みだ。「古い写真を見ると、この道が拡張される前は軽便鉄道の線路が敷かれていて、茶葉や物資を運び出していたことがわかります」と蔡済民は解説する。地元の人々は龍源路周辺のエリアを「上街」と「下街」に分けている。第一市場を境に、北の龍元宮方面が上街、龍潭大街方面が下街と呼ばれる。上街と下街の様子は『台湾三部作』や『濁流』などの作品に描かれている。
上街は商店が多く賑やかで、通りには創業60年を超える雑貨店「隆興商店」がある。1935年開業の「松屋冰果店」も鍾老が若い頃、涼みに行った店だ。昔ながらのかき氷と手で絞ったレモンジュースは、龍潭の思い出の味である。龍元宮の薬籤文化を今も受け継ぐ「元春参薬行」は、漢方薬の香りに満ちている。店主が古い切断機の使い方を教えてくれた。龍元宮の向かいにある老舗「牛肉雄」は鍾老の愛した店で、訪ねて来た友人たちをよく案内したという。
蔡済民がひとつひとつ解説しながら、生活感に満ち溢れたこの街を紹介してくれた。すべて鍾老が生前にそぞろ歩いた風景だ。再び上街と下街を分ける第一市場に戻ろう。ここはかつて火災で荒廃した伝統市場だったが、2016年に地元のイノベーション計画が立ち上がり、クリエイティブブランドを集めた「菱潭街興創基地」に生まれ変わった。これが地元のイノベーションの先駆けとなる。菱潭街のイノベーションにたずさわったメンバーは、かつて鍾老の応援と励ましを受けた人々だ。
旧居内に復元された鐘老の書机。創作に打ち込む作家の姿が思い浮かぶ。