ともに世界を回って
成長したマデは家計のため、国際リゾート施設で働くことにした。芸術的才能が認められ、シルク布の絵付けを教えた。またマリンスポーツやアーチェリーの指導員などさまざまな仕事を経験し、最後には飲食部門でコックにもなった。
リゾート施設で木彫とは遠ざかったが、人生の伴侶との出会いがあった。台湾から来た洪玲芳だ。同じリゾート施設で働いていても交わりは少なかったが、ある日、同じテーブルで食事する機会があり、マデはよく気をつかって彼女のグラスにお茶を入れた。しかも彼女が島の反対側まで行く用事があった際、女性一人での移動は危ないと夜遅くの退勤後にいっしょに行った。こうした思いやりが彼女の心を動かして二人は愛を育むようになり、やがて結婚を決めた。
会社の考えで、職員はなるべく多くの人と知り合い、異なる場所で生活するよう、毎年新たな職場に配属された。幸運なことに、二人は交際を始めて以来いつも同じリゾートに配属になった。バリ島から同じインドネシアのビンタン島、マレーシアのチェラティンビーチ、石垣島と、常にいっしょで、タイのプーケット島にいた際はスマトラ島沖地震に遭遇した。「全身泥や血にまみれた人々がフロントに逃げて来て、うめきや叫び声が飛び交い、まるで戦場でした」と玲芳は言う。
大きな災害の経験で二人の人生観は変わった。「すべては運命に任せ、何かを強く求めなくてもいい。自分に属するものは自ずと自分のものになる」と。その後、二人は別々に石垣島とモルディブへの配属が決まった。10年外国にいた玲芳は故郷に戻りたくなり、ちょうど友人の紹介で台湾に仕事が見つかったため、マデも台湾で新たな生活をスタートさせることにした。
リゾート勤務の間もマデの彫刻への思いは途切れなかった。イベントがあれば果物や氷に彫刻を施して腕を振るったし、休暇には各地のお寺や廟へ彫刻を見に出かけた。石垣島の屋根に置かれたシーサーを見るのも二人の楽しみだった。
マデは下絵を描くことはない。彫刻する木材からインスピレーションを得て、一刀一刀彫り進めていく。