光り輝く人生
「今は、エスニックのアイデンティティといった大きな命題は、自分自身のアイデンティティの補助に過ぎないと思っています。自分自身を認めていれば、その背後のものごとは問題ではないのです」と言って、自分の人生を歩み始めた彼女は、さわやかに笑う。
妊娠したことで、彼女の人生は円満になり、「金色になった感じです」と言う。その時から、彼女は大量の金色のラインと円形を作品に取り入れるようになった。
その作品は流動的で、時が流れるにつれ、彼女は作品の一部を取り除いて他のモチーフを加えるなどして新たな作品へと変える。人生を歩んでいくにつれて立場が変わるのと同じだ。
例えば今年(2020年)、桃園原住民族文化会館に展示した「倒地媽媽」という作品は、三つの大きな部分から成り立っている。彼女は円卓や鍋、自分で作った金属の支柱などを織物で包み、それらを組み合わせて母親のような形を作った。円卓は女性の乳房を表し、そこへお乳を求める子供の手を添えた。傍らにあるハサミは「子供の乳離れを願う思い」だと林介文は笑う。
日々の時間の大部分を育児に取られるようになったが、その作品には強い幸福感が現われている。今年、花蓮鳳林で開かれた展覧会「美好花生」に出品した「Family」を見ると、背景は巨大な緑色の織物で、これは林介文がイタリアの家で完成させたものだ。黒に近い緑や灰色がかった緑、オリーブグリーンなどの糸が組み合わさり、そこに褐色の糸が散りばめられていて、夕暮れ時のオリーブ畑のように見える。その周辺に配置された金色の器物は家族を表現している。飛行機と恐竜は上の息子を、脚立は映画監督の夫を、そして石は、イタリア語で「石」を意味する名前を持つ下の息子を表し、傾いた茶壷は、生命が湧き出す林介文自身を表現している。
まさに子育てに忙しいアーティストであり、身体がいくつあっても足りないと言って笑う。子供の世話をしながらも作品の構想を考え、少しでも時間ができると、すぐに創作に取り掛かれるようにしている。
林介文にとって創作はプライベートな作業であり、集落のアトリエで一人で行なう。アトリエは彼女に命を与えた父親の畑の中にあり、レモンやサクランボの木に囲まれている。そこで彼女は一人織物に没頭し、最初の頃と同様、一人で生命の課題と向き合うのである。
母親になったことで、林介文の生命に対する考えは大きく変わり、作品にもそれまでの陰鬱な雰囲気はなくなった。
新城駅構内に飾られた大型のインスタレーション「織路」は、林介文が集落の女性たちと共同で完成させた作品だ。
林介文が用いる機織り道具は、すべて祖母から受け継いだものだ。
林介文は集落に伝わる伝統工芸を引き継いだというより、織物を通して芸術家として自己を表現していると言える。