足つぼマッサージ
ベツレヘム・ミッションの神父の中で最も早くから人々に知られるようになったのは「足裏療法」を編み出したジョセフ・オイグスター(呉若石)神父であろう。
今年78歳のオイグスター神父は、今ではベツレヘム・ミッションの中で最も若い神父である。1970年に台東へやってきて、北は長浜から南は永福まで、広大な教区を担当してきた。日曜日は朝6時に起床し、永福天主堂、長光天主堂、長浜天主堂の3ヶ所で、それぞれ2時間にわたるミサを行なうが、神父は少しも疲れを見せない。
若い頃に新竹で訓練を受けていた時にリウマチを患い、独学で足裏療法を編み出して以来、健康を保ってきた。教会の先輩からもらったドイツの医学書は、もう黄ばんでボロボロだが、この一冊が神父を救い、人々を救ってきたのである。
長浜天主堂の外に貼られたポスターには「一家に一人できれば、家族の医療費を削減できます」と書かれている。オイグスター神父は数十年にわたって各地で足裏療法を指導してきた。
長浜天主堂の廊下にはベンチが並び、神父の教え子が専門の道具を手に人々に足つぼマッサージを施しながら指導している。136時間の厳しい訓練を必要とする足裏療法は、当初は人々の健康のために推進されたが、今では地元住民が生計を立てる重要な技術となった。
研修を受けに来る人々は、最初の頃は先住民が多かったが、今は東南アジアから台湾に嫁いできた新住民が多い。ベトナムから嫁いできたグエンさんは、4年前に職業訓練センターでオイグスター神父の足裏療法を知り、仕事の合間に天主堂で学び始めた。訓練を修了すると、彼女は仕事をやめて足つぼマッサージに専念することにした。以前と比べると生活はシンプルになり、長年悩まされてきた頭痛も大きく改善された。そんな彼女を見て、長浜に暮らす他の新住民も足裏療法を学ぶようになり、今は20人の生徒の大部分を新住民が占めている。さらに海外ではスイスやアフリカ、ドイツにも神父の教え子がいる。
しかし、初めの頃は地元住民より県外や海外から来た人々に人気があった。「近くのものより遠くのものをありがたく思うものです」とオイグスター神父は突然台湾語で話した。「神父は台湾人より上手に国語を話し、台湾語もアミ語も現地の人々より上手です」と秘書の林素妃は言う。
この3種類の言語は苦労しながら学んだものだ。その過程では笑い話のようなことも多々あった。例えば、「台東は庄脚(田舎)です」と言ったつもりが、発音を間違えて「台東は喀称(おしり)です」と言ってしまい、皆を笑わせたこともある。神父はこうした失敗は少しも気にせず、積極的に街へ出て地元の人々と言葉を交わしてきた。そして、疑わしそうな顔をしていた相手が、笑顔でうなずくのを見て、自分の台湾語が通じるようになったと気付いたのである。
神父の教区には8つの民族の先住民が暮らしているが、その中で最も多いアミの人々に布教するためにアミ語も学び、今では長光天主堂の2時間のミサもアミ語で行っている。
幼い頃は教師か医者になりたいと思っていたが、その夢を地球の裏側でかなえた。「これも大将(キリスト)が与えてくださった使命かもしれません」と言う。台湾へ来て47年、オイグスター神父と言えば何より足つぼマッサージを思い浮かべるが、「私の本職は神父です。足つぼマッサージは人々と触れ合い、布教するための方法の一つなのです」と言う。
足裏療法は人々の身体だけでなく心も治療する。マッサージを受ける人々が痛がって声を上げると、神父はいつも「痛いということは、生きているということですよ」と言うのである。
ベツレヘム・ミッションは台東の僻遠地域に学校や病院を設立し、貧しい人々を支えてきた。写真は1965年に設立された台東職業訓練センター。(ベツレヘム・ミッション提供)