僻遠地域の愛の教育 子供たちに道を開く ——

博幼基金会
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2020 / 9月

文・謝宜婷 写真・莊坤儒 翻訳・松本 雪菜


清華大学の李家同‧名誉教授は、僻遠地域での教育機構「博幼基金会」を2002年に創設する以前も、カトリック徳蘭児童センターで長年、教えていた。ある日「お金を寄付すればすむのに、なぜわざわざ自ら教えに行くのですか」と問われたので、李家同はマザー‧テレサの言葉を引用して答えた。「愛のタネは自分でまかなければなりません。しかも1粒ずつ」

20年近く、李家同と博幼の教師たちは生徒に勉強を教えるだけでなく、温かく前向きな力で彼らの青春に寄り添ってきた。


『光華』では2009年に博幼基金会の記事を掲載したことがある。11年後の今回は、博幼の放課後クラスで学んだ経験のある3名を訪問し、博幼が彼らの人生にどのような影響を与えたか語ってもらった。

林昊星——自分の価値に気づく

今年28歳になる林昊星は、博幼の台東センターで数学教師を3年間務め、現在は埔里センターの事務部門で購買を担当する。かつては生徒で、やがて教える側になったことから、教育現場の第一線で教えるには多くの努力や忍耐が必要なことを彼は身にしみて知っている。

林昊星は小学5年で博幼に通い始めた。当時の彼にとって博幼は、「無料の学習塾」であり、ほかの学校の生徒と知り合える場所で、先生も辛抱強く生徒一人一人に合わせて異なる方法で教えてくれた。「あの頃はしょっちゅうクラス替えがありました」当時、博幼では定期的に行なう小テストによって生徒の習熟度を測り、それによってクラス分けをしていた。

週に5日毎晩3時間の授業なので、林昊星もやめたいと思ったことがある。だが中学に上がる頃には考えが変わっていた。厳しい受験競争に直面し、無料なのに充実した博幼の授業を得難いものと感じるようになっていた。

中学2年から林昊星の成績はぐんと伸びた。「特に熱心に勉強したというわけではありませんが、毎晩博幼に行っていましたから。同級生から見ればいつも遊んでいるのに、試験では1位でした」と嬉しそうに当時を思い出す。

博幼で得たものを社会に還元しようと、高校3年の後期にボランティア教師を始め、ベトナムから来た学生に中文を教えるようになった。大学では夏休みになると、博幼の南投信義センターや澎湖センターに赴き、僻地の生徒を教えた。学期中にも永齢基金会による社会的弱者支援プログラムに参加し、子供たちに勉強を教えた。教育を通じて生徒たちにより広い視野と大きな夢を持ってほしいという林昊星の願いは、まさに博幼創設者の李家同の教育理念だ。

大学卒業後、林昊星は博幼の台東センターで数学教師となったが、クラスの何人かはいつもケンカしたり教師に逆らったりして授業の秩序を乱した。「物事がよく見えていないのです。まず価値観を変えなければと思いました」林昊星は授業の前に特別な時間を設け、生徒が他者の目で自分を見つめ、自分をよく知るよう工夫した。

生徒への接し方も知らずと博幼から学んでいたのかもしれない。林昊星はやんちゃな生徒の扱いも心得ていた。「授業が終わったらボードゲームをしにつれて行ってやる」と約束すれば、みな真面目に練習問題に取り組むのだった。習得の遅い生徒には、学習項目をより小さな項目に分けてゆっくり教えると成績も伸びていった。

ただ、彼の目標は教師になることではなく、布教をすることだ。自分は教会で育ったようなもので、助けを受ける側から手を差し伸べる側になり、子供たちの複雑な家庭状況も見える。だが博幼の授業があれば、彼らは光を見出せる。

陳薏婷——チャンスを逃すな

陳薏婷は林昊星の同級生で、勉強でも良きライバルだった。博幼埔里センターで学んでいた頃、明るい彼女はクラスのムードメーカーで、先生のところに質問に行くのが好きな、数少ない生徒の一人だった。博幼で受けた教育はとても大切で、今でも当時のことをよく覚えている。

「また陳薏婷か! 声が大きいぞ」指導担当の呉文炎先生は毎日廊下を巡回し、生徒がおとなしくしているか見ていた。いつも厳しい顔をしているが、陳薏婷は父のように慕っていた。呉先生は生徒それぞれのことを覚えていて必ず声をかけてくれたし、仕事が終われば、おしゃべりのできる友のような関係になれた。博幼を離れて長年になるが陳薏婷は先生のことをよく思い出す。「先日、博幼に行った時にはサインしてもらいました」先生が『尋味:你没有走過的社工路(探す:あなたの知らないソーシャルワークの道)』と『解鎖:我的火火社工路(解く:私の熱いソーシャルワークの道)』という本を出したと知り、うれしくて本にサインをしてもらったのだ。

博幼にはさまざまな先生がいて、異なる影響を受けた。ある英語の先生はバンドをやっていて、もじゃもじゃ頭、授業で語る人生訓は、教える単語の数より多い感じだった。「遊んでもいいけど元手がなきゃダメだ。遊べて勉強もできる。俺のようにな」という言葉が印象に残り、彼女は精一杯遊んで精一杯勉強した。

中学卒業後、陳薏婷は暨南国際大学付属高校に入ったが、普通高校の授業に満足できなかった。もっと実際に使える知識や技術を学びたいと思い、高級職業学校商業管理学科で学んだ。後にドリンク店で働いた時も経営学の知識を生かして経営状況を分析し、20歳で店長になった。

家から逃げ出すような形で桃園へ出て働いて5年、祖母が病に倒れたと知らせを受け、すぐに異動を願い出て家に戻った。

「おばあちゃんは家族5人を支える柱でした。字が読めず、力仕事で家族を養ってくれました。家族みなが言い争っていても、おばあちゃんだけは静かでした」ほかの家族はすでに亡くなったり他所で働いていたりして、今は広い家に祖母と孫の二人だけだ。だが家の中はいつも陳薏婷の笑い声と、孫を気遣う祖母の声で満ちている。

「数多くの親切な人に出会ってきました。もしあの人たちがいなければ、今ごろ私はどこにいたか」と陳薏婷は博幼の先生やバイト先の店主、今の職場の上司に感謝する。人生の経験を語ってくれ、前進する力を与えてくれた。店長となり、経営の大変さをより理解できるようになった今は李家同校長をより尊敬する。十数年間、博幼を経営し、授業料の払えない生徒にも手を差し伸べてくれ、違う世界に進む機会を与えてくれた。

そんな陳薏婷は博幼の後輩を励ます。「人でも本でも必ず何か学べることがあるので、いま与えられたものをしっかり掴むこと」と。

梁郡家——音楽で愛を伝える

幼い頃にアミ族のベビーシッターと一緒によく谷に向かって歌ったので喉が鍛えられた。そんな梁郡家は博幼での音楽会や英語歌唱大会、企業でのチャリティコンサートなどで活躍した。ある日彼女が歌うアイルランド民謡「ダニー‧ボーイ」を李家同が聞いて感動し、「将来、自分の告別式でこの歌を流してくれ」と言ったほどだ。

そんな梁郡家だが、博幼に入る前は内向的な性格で学校でもほとんど話をしなかった。だが博幼のスタッフや先生に心を開くようになり、「博幼では一晩中おしゃべりしていました」という。成績も徐々に上昇、小学校で8点だった英語が中学で90点以上になり、クラスの上位から5%内の成績を維持した。

「博幼の励ます教え方がよかったようです。小テストのたびに賞状がもらえたし、英語朗読や歌唱のコンテストがあって、参加することで上達を感じました」一般の学校の授業は進度に合わせるために教え方が速すぎると彼女は感じる。博幼では基礎を重視し、生徒が理解したと確認してから次のことを教えてくれる。

博幼を出て何年もたつが、梁郡家は今でも積極的に学ぶことを続けている。毎日仕事の後も暇を見つけて英単語を覚え、会話の練習をする。映画を見て感想を書かされた経験から創作への興味もわき、今は詩やエッセイ、歌詞も書く。余暇にはレストランなどのライブで歌ったり、ギターを教えたりもしている。

博幼のソーシャルワーカーや先生たちが勉強や心理面で助けてくれたことを梁郡家はとても感謝している。祖父母に育てられた彼女は、日本統治時代に教育を受けた祖父母とは言葉の面でうまく意思疎通できなかった。博幼のお姉さんたちが聞き役となり、またいろいろチャレンジするよう励ましてくれたおかげで、今や彼女は電気配線‧水道配管工、メイクアップコンサルタント、デジタル‧プラットフォーマーなど多くの肩書を持つ。

今年、22歳の梁郡家は初めて個人のチャリティコンサートを開き、収益を博幼に寄付した。社会的弱者である子供たちに教育の大切さを、それが異なる視野や希望を与えてくれることを教えたいからだ。「私ができたのですから、彼らも必ずできるはずです」

「李家同校長は私の大恩人です。とても心のやさしい人です」李校長が博幼を作っていなければ、僻地の多くの子供の人生はそのままだったと彼女は断言する。授業での李校長はいつも笑顔で、子供への慈愛に満ちていた。こうした愛は子供たちに影響し、やがて彼らがまたそれぞれの方法でその温かさを伝えていくのだ。

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為偏鄉孩子闢路

博幼畢業生追蹤報導

文‧謝宜婷 圖‧莊坤儒

清華大學榮譽教授李家同於2002年創辦偏鄉教育機構「博幼基金會」前,在天主教德蘭兒童中心教學多年,有人問他為何不捐錢就好,要親自教書?他以德雷莎修女的話回應:「愛的種子,必須親自撒出,而且每次一粒。」

將近20年的歲月,李家同與博幼老師們不只帶給學生課業上的協助,還有溫暖生命的正向力量,陪伴他們度過迷惘的青春。


 

2009年,《光華》曾作過博幼基金會的專題報導,11年後,本篇採訪三位就讀過博幼課輔班的學生,談談博幼如何影響他們的成長歷程與人生道路。

林昊星:讓孩子看見自己的價值

今年28歲的林昊星,曾在博幼台東課輔中心,擔任數學專職老師三年,目前是埔里中心的行政組採購專員。從當年聽課的學生,轉變為講台上的老師,林昊星深刻體會在第一線教學現場,要付出許多努力與耐心。

林昊星在小學五年級時進入博幼,當時他只覺得那是間「免費的補習班」,可以認識來自不同學校的朋友,而老師也很耐心地依每個人的學習狀況,給予不同教學方式。「我記得那個時候,一直在換班。」當時博幼會定期舉行小考,檢驗學生的學習成效,並依成績變化分班。

不過,面對一週五天,每晚三小時的密集課輔,林昊星其實也有想過離開。但是在升國中前,他的心態開始改變,面對競爭激烈的升學考試,博幼免費又豐富的學習資源顯得更為珍貴,他不再視為理所當然,而是珍惜所有的學習機會。

升上國二後,林昊星的成績大幅進步,「雖然我平常沒有特別認真念書,但是晚上都會去博幼。同學看我常常在玩,可是每次考試還是第一名。」他開心地回憶著。

深感在博幼得到的一切,他決定回饋社會,從高三下學期就開始擔任志工老師,教導越南籍的學生學習中文。大學期間的每年暑假,他也到博幼的南投信義中心與澎湖中心,教導偏鄉學生。甚至學期間,他也透過永齡基金會的計畫,教導弱勢學童課業。林昊星希望透過教育,幫助學生有更高的視野與更大的夢想,正呼應博幼創辦人李家同的教育理念。

大學畢業後,林昊星進入博幼的台東課輔中心,擔任數學老師。在他的班級內,總是有幾個學生會打架、頂撞師長、不遵守上課秩序,「他們太自我了,要先從改變價值觀開始。」林昊星除了指正他們的問題,還特別設計課前活動,幫助學生認識自我,試著從別人眼中看自己。

也許是受到博幼潛移默化,林昊星面對調皮的學生,也知道該如何因材施教。他跟學生約定好數學課結束之後,會帶著大家玩桌遊。原本課堂上愛嬉鬧的學生,開始認真完成練習題目,每天都期待遊戲時間。面對學習速度較慢的學生,他將每個觀念拆解成更小的概念,並放慢教學步調,學生成績因此有了起色。

雖然大學時期就投身教育,林昊星坦言自己的目標不是成為一名教師,而是一個「傳道的人」。從小在教會長大的他,希望透過教育,幫助每個孩子找到他在世界上的價值。從受助者成為助人者,林昊星看見更多不同家庭背景的學生,「不是每個孩子回家,都有人在等他」,但因為博幼的課輔班,讓他們在黑夜裡看見了光芒。

陳薏婷:鼓勵學弟妹抓住機會

陳薏婷是林昊星的同班同學,年紀相同的兩人常常互相切磋學業。過去在博幼埔里中心時,她總是班上帶頭炒熱氣氛的那個人,但也是少數喜歡去找老師解題的學生。個性積極的她,很珍惜在博幼獲得的資源與鼓勵,當時在課輔班的回憶仍歷歷在目。

「陳薏婷又是妳!小聲一點。」吳文炎督導每天在走廊上巡邏,管理學生秩序,看起來不苟言笑的他,卻是陳薏婷心中溫暖的嚴父。他記得每個學生的近況,遇見時總會給予幾句關心,卸下督導的身分後,他也是一位可以聊天的朋友。亦師亦友的關係,讓離開博幼多年的陳薏婷,總是惦記著這位督導。「上次回到博幼,我還跟他要簽名!」陳薏婷得知督導出了新書《尋味:你沒有走過的社工路》和《解鎖:我的火火社工路》後,還興奮地請他在書上簽名。

博幼的課輔老師背景多元,對陳薏婷產生不同層面的影響。有一位玩樂團的英文老師,頂著鳥窩頭,上課時講的人生道理永遠比單字多,「你可以玩,但是你要有本錢,要會玩又會唸書,像我一樣。」老師一番話從此烙印在陳薏婷心上,她盡情地玩,也盡力地讀書。

國中畢業後,陳薏婷進入暨大附中念書,她發現一般學科無法滿足她對知識的渴望,因此毅然決然轉入高職,學習應用層面的知識與技術。商業管理科的背景,讓她在飲料店工作時能從不同角度分析門市生意,於是在20歲時就成為店長。

在桃園工作了五年,原本是為了逃離失和的家庭,直到接到奶奶生病的消息,陳薏婷馬上申請調職,回到老家陪伴她的「阿婆」。

「阿婆真的很辛苦,是當時我們一家五口的支柱。她不識字,只能靠做工養家。每次家裡吵架,她永遠是最安靜的那一個。」陳薏婷說起奶奶的付出,心裡滿是不捨。隨著其他家人的離世與出外工作,現在只剩祖孫兩人同住,偌大的房子顯得空曠,卻充滿陳薏婷的笑聲與奶奶關心的話語。

「我覺得一路上遇到很多貴人,如果沒有他們,現在我不知道會在哪裡。」陳薏婷很感謝博幼的老師、打工時的老闆與現在飲料店的主管,他們分享的人生經驗成為她前進的力量。現在身為店長的她,尤其能體會經營的辛苦,她很尊敬李家同校長十幾年來對博幼的付出,讓繳學費有困難的學生,能接受免費的課後輔導,他們未來才有機會擁有不同的生活。

陳薏婷也鼓勵博幼的學弟妹:「無論是人或書,都會有一兩個可以學習的地方,要好好把握當下的環境和資源。」她記得有一回老師發給同學一人一本李校長的書,給同學半節課時間摸索,有人只是放著,但自己卻很認真地閱讀,如此積極的態度讓她往後的發展獲得許多機會。

梁郡家:用音樂傳遞愛

小時候,常常與阿美族的保母對著山谷唱歌,梁郡家練就了好歌喉,經常出現在博幼各類音樂表演:英語歌唱比賽與企業慈善演唱會。有次李家同聽了梁郡家唱的愛爾蘭民謠Danny Boy後,非常感動,還請大家未來在他的告別式時播這首歌。

舞臺上耀眼的梁郡家,在進入博幼之前,其實是個內向的孩子,在學校經常整天沉默。但是進入博幼的課輔班後,親切的社工與老師讓她敞開了心房,「我在博幼可以說一整個晚上的話。」而她的成績也漸漸進步,英文考試從國小八分提升到國中90幾分,名次也一直維持在全班前百分之五。

「博幼的鼓勵式教學讓我被激發!每次小考後會得到一張獎狀,讓我感覺被肯定。而且有很多英語朗讀比賽與歌唱比賽,參加後我才發現,原來自己也可以變好。」她認為一般學校的教學節奏太快,學生還沒釐清觀念,老師就開始趕進度,但博幼強調扎根基礎,確認學生懂了才會教新觀念。

即使已經離開博幼多年,梁郡家依舊保持積極的學習態度,每天下班後會撥空背英文單字、練習會話。當初課堂上的電影心得寫作,也啟發她對創作的熱情,現在她會寫新詩、散文與歌詞,工作之餘,也會到餐廳駐唱,兼任吉他老師,累積教學經驗。

梁郡家很感謝當時的社工與老師,在學業與心理層面都給了她很多協助,曾經是隔代教養的她,很難與接受日式教育的祖父母溝通,但是博幼的大姐姐們不僅耐心聆聽,也鼓勵她多方嘗試,讓她成為今天的斜槓青年,身兼水電師傅、彩妝顧問與電商平台經營者多職。

今年,22歲的梁郡家舉辦了首場個人公益音樂會,將所得捐給博幼,她想告訴經濟弱勢的孩子,教育可以帶給人不同視野與希望,甚至可以翻轉原生家庭的貧窮,「我覺得我做到了,他們一定也可以!」

「我的大恩人是李家同,他是一個心很柔軟的校長。」梁郡家相信如果李校長沒有創辦博幼,許多偏鄉孩子的生命就不會被改變,她也永遠記得,李校長到課輔班上英文課時,眼裡盡是慈愛,不停地對孩子露出笑容。而這份愛,影響了一群孩子,他們正透過不同的方式,讓更多人感受到這份溫暖。   

Paving the Way for Rural Children

Boyo Graduates Share Their Experiences

Tina Xie /photos courtesy of Kent Chuang /tr. by JR Lee

Before Lee Chia-tung, professor emeritus at National Tsing Hua University, founded the rural educational organization Boyo Social Welfare Foundation, he taught at St. Teresa Children’s Center for many years. When asked why he didn’t just donate money instead of teaching at the center, he quotes Mother Teresa of Calcutta in saying, “We ourselves must sow the seeds of love, and we must do so one at a time.”

Over the past two decades, Lee Chia-tung and other teachers at Boyo have not only assisted students with their schoolwork, they have also spread positive energy to help students navigate their confusing adolescent years.


Taiwan Panorama previously reported on the Boyo Foundation in 2009. Today, 11 years later, we interview three students who attended classes at Boyo after-school centers to discuss the role Boyo played in helping them grow and find their own ways in life.

Lin Haoxing:

Getting children to realize their own value

Lin Haoxing, 28, used to take classes at a Boyo after-­school center in Puli, Nantou County, and was a full-time math teacher with Boyo in Taitung for three years. He is currently a procurement representative for Boyo’s Puli center. Having gone from student to teacher, Lin has an intimate understanding of the effort and patience required at the front lines of education.

Lin Haoxing started at Boyo in fifth grade, and all he knew of it at the time was that it was a “free cram school.” Classes there gave him a chance to make friends with students from different schools, and the teachers would patiently adapt their teaching methods to best accommodate each individual student. “I remember that I was constantly changing classes back then.” At the time, the Boyo Foundation held regular tests to measure each student’s academic progress, and divided the students into classes based on the results.

When he was a second-year in junior high school, Lin’s grades improved dramatically. “I usually didn’t study especially hard, but I would go to classes at Boyo every evening. My classmates noticed I was always messing around, yet still getting the highest score on ­every test,” he recalls happily.

Truly inspired by all that Boyo gave him, in his last semester of senior high he decided to give back to society by becoming a volunteer Chinese language teacher for Vietnamese students. Every summer during college, he went to the Boyo centers at Xinyi in Nantou County and in Penghu to teach students from rural communities. Lin hoped that through this work he could help broaden students’ perspectives and get them to set bigger goals for themselves, an educational philosophy held by Boyo’s founder, Lee Chia-tung.

When he graduated, Lin joined Boyo’s Taitung after-­school center as a math teacher.

Perhaps due to his time as a student at Boyo, Lin always knew the right way to deal with unruly students. He did so by arranging a time with the students to play board games after math class. Students who would normally mess around during class started working harder to finish the practice problems in anticipation of playing board games afterwards. To help students who learned at a slower pace, he would split each concept into smaller, more easily digestible parts. By slowing down his teaching, he helped these students achieve noticeable improvements in their grades.

Lin Haoxing went from getting help to giving it, and in the process came across students with a variety of family backgrounds. “Not every child has someone waiting at home for them.” After-school classes at Boyo let these less fortunate children see some light in the dark.

Chen Yiting:

Seize every opportunity

Chen Yiting was in the same Boyo class as Lin Hao­xing; they were the same age, and would often compare study notes. When Chen was a student at Boyo’s Puli center, she was the one leading the way in livening up the atmosphere, but she was also one of the few who liked going to the teacher for help. Energetic and positive in nature, she values the resources and encouragement she received at Boyo, and recalls her time there vividly.

“Not you again, Chen Yiting! Please quiet down.” Super­visor Wu Wen-yen patrolled the hallways every day to make sure students followed the rules. While he looked stern on the outside, to Chen Yiting he was like a strict but caring father. Wu kept up with every student, making sure to ask them how they were doing when he saw them. More than just a supervisor, he was also a friend with whom the students could talk. With her time at Boyo many years in the past, Chen still thinks about the supervisor who was both a teacher and a friend.

Teachers at Boyo after-school classes come from diverse backgrounds, something which affected Chen in a number of ways. Her English teacher, with a head of tousled curly hair, was in a band, and taught the students more life truths than English words. “You can play if you want to, but you have to know how to pull it off. You need to be good at playing and at studying, like me.” The teacher’s words made a lasting impression on Chen, who played hard and studied hard.

After graduating from junior high school, Chen began her studies at the Affiliated Senior High School of National Chi-Nan University. She discovered that regular academic classes did not satisfy her appetite for knowledge, so she made up her mind to transfer to a vocational school to study knowledge and technical skills with practical applications. After studying business administration, she was able to conduct a sales analysis from multiple perspectives while working for a beverage shop, which resulted in her becoming shop manager at a mere 20 years of age.

She worked in Taoyuan for five years to escape her estranged family. When she got the news that her grandmother had fallen ill, Chen applied for a job transfer so she could go back to her hometown to be with Granny.

“I think I’ve come across a lot of special people. Without them, I don’t know where I would be now.” Chen is grateful to her teachers at Boyo, her previous boss at her part-time job, and her boss at the beverage shop. The wisdom and knowledge they shared with her became a force that keeps her moving forward. As a shop manager, she has come to appreciate the difficulty of running a business. She respects Lee Chia-tung for the many years of effort he has put into Boyo, ensuring that students who can’t pay tuition can have access to a free after-school program and a brighter future.

Chen Yiting has these words of encouragement for Boyo students: “There is always something to learn, whether it be from a person or a book. You must take advantage of where you are and whatever resources you have.”

Liang Chun Chia:

Love through music

By singing in a mountain valley with her Amis nanny when she was younger, Liang Chun Chia was able to develop a proper singer’s voice. She took part in all sorts of musical performances at Boyo, including an English singing competition and a corporate charity concert. One time, Lee Chia-tung was so moved by the Irish folk song “Danny Boy,” which Liang had sung, that he asked every­one to play the song at his future funeral.

A bright star on stage, Liang Chun Chia actually used to be a reserved child before coming to Boyo, often spending her days at school in silence. But upon coming to the after-school classes at Boyo, the friendly social workers and teachers got her to open up. “When I was at Boyo, I could talk all night.” Her grades also started to improve, such that she went from as low as eight points on elementary-­school English tests to more than 90 points on her junior-high-school tests, and always stayed within the top 5% of the class.

Despite having left Boyo many years ago, Liang still has the same go-getter attitude towards learning. Every day after work she makes time to memorize some English words and practice speaking. A movie commentary she wrote while at Boyo also ignited in her a passion for creative writing. She now writes poems, prose, and lyrics. Outside of her day job, she is a resident singer at restaurants and has gained teaching experience as a guitar instructor.

Liang is grateful to the social workers and teachers who helped her in her studies and provided emotional support.

This year, 22-year-old Liang Chun Chia gave her first solo charity concert and donated the proceeds to Boyo. She wants economically disadvantaged children to know that edu­cation can give you hope and a different perspective, and can even help you escape poverty. “I think that my success is something they can also achieve!”

“The person who helped me the most was Lee Chia-tung. He is a very soft-hearted person.” Liang Chun Chia believes that had Lee not founded Boyo, many rural children would not have had their lives changed for the better. She always remembers how when Lee came to their English classes, he looked at the kids with genuine affection, and a constant grin on his face. It is this love which made a lasting impact on so many children, many of whom are spreading this warmth to even more people in whatever way they can.      

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