釘絵の外の九份
美術に関する専門的訓練を一切受けていない胡達華だが、金づちを振るえば懐かしい九份の風景が浮かび上がり、サインペンを持てば、町の風景をさっとスケッチできる。ただの竹片を絵筆にして、インクを付ければ、にぎやかな街の風景が目の前に出現する。
胡達華は自身で創作するだけではなく、その技術を教えることも楽しんでいる。九٪ڤのアトリエで教室を開いており、外国での展覧会でも、外国の友人に釘絵を教える。また、彼は旅に出ればその時の印象を作品にする。チェコの赤い屋根やウィーンの町並み、エジプトのピラミッドなどを釘絵にしてきた。
胡達華の釘絵創作は今では20年におよび、200点余りの大型の作品を完成させてきた。その技法をいかにして後世に伝えていくかと問うと、「この技法を学ぶ人などいませんよ。美術のわかる人は学ばないし、わからない人では会得できないし」と言う。
最近、胡達華の生活は釘絵以外にも広がってきた。2008年には、この釘絵画家は才気あふれる月琴のミュージシャン高閑至に出会った。意気投合した二人は、胡達華が詞を作り、高閑至が作曲したアルバム「老九份之歌」を完成させた。これには「軽便車夫」「電火戯」などの歌が入っているが、胡達華が台湾語の漢詩として九份の物語をつづり、かつてゴールドラッシュに沸いた時代の人生のあれこれを記している。
胡達華は旅に出ると、かばんにスケッチブック一冊を入れて、目にした街や風景を描くのだが、そのスケッチブックを開いてみると、必ず1枚2枚は九份の古い町並みが現れる。その子供時代の思い出を聞くと、トロッコが走るときのギイギイという機械音や、按摩師が歩きながら吹く笛の音、鍋釜を修理する行商職人の立てる音などが記憶からよみがえり、それが何年も経った今、釘絵を打つ音と遠く響き合うかのようである。
楽しく遊ぶ方が創作よりも大切だと言う胡達華だが、「そう言えば、まだ金精製の場面を釘絵にしていないな」と笑う。すでに齢八十。九份の街を深く愛するこの釘絵画家は、今も創作のエネルギーが次々と湧き出しているようで、手を休めるのはまだ早いようである。
「祖孫行」。モザイク画でも石段の奥行きが見事に表現され、祖母と孫の深い絆を感じさせる。
「軽便橋」。かつて胡達華の九份の実家の前をトロッコの軌道が通っており、これをテーマとする作品も数多い。
中国大陸の福建省安渓の茶畑の景色を描いた「茶郷茶香」。
「童趣」。コマ回し、ビー玉遊び、犬や猫など、山あいの町での子供時代の楽しい記憶があふれだす。
「帯椅赴宴(椅子を持ち寄る宴)」。自分の家の木製の長椅子を担いで近所の宴会に向かう。
胡達華の初期の作品にも同じく九份の景観が描かれているが、主な素材はネジや釘、針金である。
霧に包まれた九份の街こそ、胡達華が創作を続けるテーマである。 (林格立撮影)