故郷への恩返し
白沙屯媽祖の親しみやすいイメージは、信徒から信徒へ、さらにメディアの影響で台湾全土に広がり、かつては地元の信徒ばかりだった進香も、今では全国規模のイベントとなった。統計によると20年前の参加者は3000人余りだったが、今年(2024年)はなんと17万9971人にまで増え、史上最多を記録した。
洪瑩発さんによると白沙屯媽祖信仰がこれほど短期間で広まったのは、白沙屯田野工作室の存在があったからで、彼らが2003年に創刊した『白沙墩』という年刊誌は代表的な結縁品の1つとなっていたという。
白沙屯で生まれ育った仲間が2001年に白沙屯媽祖の巡礼に触発され、白沙屯田野工作室を立ち上げて2003年に『白沙墩』を創刊した。これはかつて笨港媽祖文教基金会が発刊していた『笨港 白沙屯媽祖進香特刊』が担っていた文化を記録するという役割を引き継いだもので、やがて2015年に白沙屯田野工作室は白沙屯拱天宮の文化組に合併され、刊行物も『白沙墩』から『白沙屯媽』に改称されたが、研究、記録、保護、伝承、宣伝の五大目標の下、彼らは白沙屯媽祖の進香活動の歴史を記録し続けている。
白沙屯拱天宮文化組の洪建華執行長によると、『白沙屯媽』は毎年2500部作られ、進香の日時を決める「擲筊」の儀式当日に配られるほか、進香活動中、随時、「香灯脚」に贈られるという。進香に参加できなかった信徒は公式サイトで読むことができる。
『白沙屯媽』は進香の過程を詳細に記録して学術分野での研究資料となることで、間接的に白沙屯媽祖信仰文化の蓄積、伝承に資するものとなっており、それこそが創刊の意図だった。「文化とはそもそも時間が積み上げて来たものなのです」と白沙屯拱天宮の林幸福副総幹事は語る。
「その蓄積が、あるレベルに達すると、その影響力は我々の想像を超えるものになります」と林さんは言い、さらにこう続けた。「それは信者から得たフィードバックというよりも、この蓄積自体が歴史の軌跡の中で得た大きなフィードバックだと言えるでしょう」
文化組のボランティアは毎年、進香活動の隊列の中を行き来し、白沙屯媽祖の進香の伝統を記録し、伝え、守るために努力を続けている。「私たちは起こったことを記録しますが、それをどう見るかは提示しません。どう理解するかはあなた次第なのです」林さんのこの言葉は、拱天宮文化組の核となる考えであり、『白沙屯媽』が信者に届けたい価値でもある。
結縁品がどのような形のものであっても、それはすべて信仰に根ざしている。その原点を理解することによって、白沙屯の先人たちが人々から差し伸べられた助けの手に感謝し、人と人、人と神との間に純粋な縁を結んでいったことがはじめて実感できるのだ。
白沙屯拱天宮文化組の洪建華執行長(左)と林幸福副総幹事(右)。白沙屯で生まれ育った2人は正真正銘の白沙屯媽祖文化の保存、伝承、宣伝のために努力している。
近年、白沙屯媽祖の進香には1万人を超える人が参加するようになった。
香炉の上で3度回して煙を浴びせる。そうしてはじめて「結縁品」は本物になる。
長年、宗教文化関連の研究をしてきた洪瑩発さんによれば、結縁品の登場は進香文化の変遷と密接に関係しているという。
朱朱さんが毎年、贈る小さな媽祖カードは口コミで広がり、人気の結縁品の一つとなった。(朱朱さん提供)
苗栗県後龍にある山辺媽祖廟の神輿を担ぎ、大喜びの朱朱さん。(朱朱さん提供)
朱朱さんは台湾全土の媽祖の姿をすべて記録した。(朱朱さん提供)