台北市迪化街の永楽市場の階上に位置する社会教育館大稲埕戯苑では、人気演目が続く。今年6月には歌仔戯「樊江関」と豫劇の「穆桂英」と「王魁負桂英」が閉幕したばかりで、7月には歌仔戯「蓬莱伝奇」「陰界呪怨」と客家戯「父子情深」「鎮海女神、林黙娘」が上演される。
8月にはさらに歌仔戯「武松殺嫂」と「長生刺」、それに説唄(講談)の演目が続く。
大稲埕戯苑は、台北地域の伝統芸能の巣で、歌仔戯、京劇、豫劇、客家戯、布袋戯、南管、北管、説唄から黄梅戯など、伝統芸能の演者であれば、誰でも舞台に上がれる。
活動センターを劇場に変えた芸能の巣
台北の開発の歴史を見ると、大稲埕と万華とは最も早くから形成された中国大陸福建省南部からの移民集落である。大稲埕の歴史は現在まで165年に達し、福建南部の移民文化がここに保存されて台湾文化の一部となっている。民俗芸能から言うと、大稲埕ではしばしば歌仔戯、南管、北管などの伝統芸能が上演され、芸能の巣と呼ばれる。台湾の芝居を見たければ、大稲埕を訪れろと言われる所以である。
永楽市場ビルの8~9階に位置する大稲埕戯苑は、2010年3月に完成した。元々社会教育館に属する地域活動センターだったが、2007年よりここで歌仔戯を無料で上演することになり、毎回多くのファンを集めてきた。そこで2009年になって、台北市政府が大稲埕旧市街再現計画を実施した時に、伝統演劇復興のために優先的に活動センターを劇場に改築することにしたのである。
大稲埕戯苑の葉玫汝事務長は、大稲埕戯苑は公演の場を提供するとともに、上演劇団の審査を通じて、演劇界に発表の場を与え、いかにして観客を劇場に惹きつけるかを考えさせようとしたのだと話す。こうして演出家、演者と観客三者に交流の場を構築し、演劇精神の拠点としたのである。
古い幹に新しい枝を
歌仔戯は台湾を代表する演劇で、これまで長年にわたり政府文化部門がその普及に努めてきた。
台北市社会教育館では、1987年から寥瓊枝、陳剰など人間国宝クラスの名優を講師に招き文化芸術研修課程を開設してきた。大稲埕戯苑の設立後にも人材育成を続け、2011年8月に付属青年歌仔戯団を創設し、大稲埕戯苑を訓練と公演の基地としたのである。
若い俳優を中心にキャスティングしたのは、台湾の歌仔戯団の多くが野外舞台を主とした劇団で団員は50歳以上と高齢となっているからである。団員の子弟や、歌仔戯に興味のある若い人が入ることもあるが、野外舞台の役者は口伝の教えを主として、系統的な訓練課程を持っていないため、芸の伝承に断絶を感じることがある。
また、青年歌仔戯団は演劇学校の学生に、プロの劇団に入るまでのつなぎの場を提供する。演劇学校の歌仔戯の人材と言うと、国立復興劇芸実験学校に1994年に設置された歌仔戯学科に始まる。この学校は、2006年の学制改正で国立台湾戯曲学院に昇格し、中学高等部を併設し、大学部まで10年間の一貫教育を採用している。
青年歌仔戯団は18歳から35歳の若い団員を募集しており、将来に夢を持ち、才能ある歌仔戯学科の学生であれば、1年生でも採用される。
武芸十八種、すべてを教授
戯曲学院歌仔戯学科の教師趙振華は、青年歌仔戯団の指導教師でもあり、戯曲学院の在校生が学校でどのような演技をしても、観客は教師や学生と家族友人に限られ、外部に知られる機会はほとんどないという。それが台北市でも重要な歌仔戯の三舞台――大龍峒保安宮、三重の先嗇宮と大稲埕戯苑に出演でき、素晴らしい演技を見せれば、翌日にはネットで口コミが広がるのである。
「青年歌仔戯団では皆が若いので、努力し成果を上げれば役をもらえ、演技がよければ拍手喝采を受けられます」と、戯曲学院歌仔戯学科の教師で、大稲埕戯苑の6月公演「樊江関」で演出を担当した石恵君は言い、若い俳優に出演の機会を与える青年歌仔戯団の方針を評価する。
大稲埕戯苑では、青年歌仔戯団の公演を毎年2~3回行い、また火曜の夜に歌仔戯の名優を招いて授業を行う。課程は所作、歌、化粧、衣装など多岐にわたる。青年歌仔戯団の団員は、それぞれの役柄の演技以外に、上演に関わる諸々も自分で処理しなければならない。
通常の演劇学校の課程では、先生は脚本通りの演技や歌、武芸や位置取りを教える。これで整った演技はできるようになるが、生きた芝居ではなく、生きた芝居には舞台における俳優の対応力が必要である。そのため、大稲埕戯苑では野外芝居の先生を招いて、生きた芝居を教えてもらっている。生きた芝居と言っても決りはあって、たとえば登場に当っての名乗りがある。野外芝居での名乗りは、速やかに役柄や芝居全体の要点をまとめて語らなければならないのである。
文化観光で演劇に新しい生命力を
大稲埕戯苑は、台湾芸能の上演の場と自己を定義し、9階の劇場では主に歌仔戯、南管、北管、客家戯の劇団が公演し、8階の曲芸場では毎週土曜日に布袋戯の上演がある。
今年3月に、大稲埕戯苑は、霞海城煌廟や迪化街の街並み、林五湖旧宅、波麗露レストランなど、大稲埕地区の歴史文化スポットを組み込み、中国語、英語、日本語のガイド・ツアーを実施した。このツアーには青年歌仔戯団、小西園第四代掌中劇団及び集思小劇場の20分程度の公演が組み入れられ、大稲埕の歴史文化の物語が語られた。募集わずか30人と言うこともあって、実施したすべての回が満員となった。
この成功が大稲埕戯苑には大きな励みとなり、今年8月には英語と日本語の翻訳字幕を加えた布袋戯公演で、外国人旅行者をも呼び込もうと計画している。葉玫汝は、こういったイベントを定期的に実施できれば、劇団全体の成長にも力になると考える。劇団の公演のレベルが引き上げられれば、観光客は単なる武芸の技の競い合いばかりではなく、布袋戯などの細やかな文化内容も伝えられるだろう。
市場の階上にあった地域活動センターから、地場の伝統芸能の上演の場に生れ変わり、また人材育成と芸の伝承という使命を負う大稲埕戯苑である。舞台はすでにそこにある。あとは幕が開き、準備万端整った役者がライトを浴びて華やかに登場するのを待つばかりである
大稲埕戯苑は、台北市社会教育館付属青年歌仔戯曲団にとっての稽古と上演の基地である。戯苑のスタッフも劇団の役者たちも若く、歌仔戯に青春のパワーを注いでいる。(荘坤儒撮影)
大稲埕戯苑は台北市迪化街、永楽市場の階上にある。もとは地域の活動センターだったが、歌仔戯の上演によってファン層を増やしている。
大稲埕戯苑は今年3月に文化ツアー「戯遊@大稲埕」を行ない、伝統戯曲と大稲埕の歴史を結びつけ、英語と日本語を用いて外国人旅行者にも歌仔戯を紹介した。
台北市社会教育館付属の青年歌仔戯団は、毎年大稲埕戯苑で3~4の演目を上演している。写真は2013年の「伝説・陸文龍」の舞台。