1953年、カンボジアはフランス植民地からの完全独立を果たし、当時のシハヌーク国王による現代化推進によって、政治、経済、文化が大いに発展する黄金時代を迎えた。しかし、その時のすべての建設は、1975年から1979年にかけての3年8ヶ月にわたるクメール・ルージュ政権の下で完全に破壊されてしまった。書は焼き払われ、宗教は迫害され、知識人と有産階級は殺害され、その後カンボジアは数十年にわたる貧困と社会問題に苦しみ、文化は後退し、すべてが停滞した。
私は2010年から8年にわたり、カンボジアで写真による記録をとり続けてきた。この20年カンボジアには外国資本が進出し、経済成長を最優先する政策の下で社会は急速に発展したが、その一方で多くの文化遺産や伝統的な風習が消失しつつある。また知識人による伝承が中断したため、歴史的な物語や知識、伝統技術などが失われ、それらを再び取り戻すことは難しい。
しかし、カンボジアの現代の知識人は、それぞれの力を発揮して文化復興に取り組み始めている。文化の力を通して戦争による集団的な心の傷をいやし、カンボジア人としての自信と誇りを取り戻すためである。ただ、必要なリソースと知識が不足しているため、大量の画像を収集・保存してデータバンクを確立する必要がある。それを教育システムと連結させることで、将来役に立つ時が来るであろう。
カンボジアで百年以上の歴史を誇る寺院は10も残っておらず、その多くも保護されていないため壁画の傷みも激しい。シェムリアップにあるこの寺院の壁画には、フランス植民地時代の暮らしぶりが描かれている。通りにはフラ ンス人将校やインドの商人、地元の有力者や物売りなどがいて、屋内では中国人がアヘンを吸っている。
水祭り:水祭りは人々の生活とも密接に関わっており、雨季が終わって漁業と農耕の季節が始まることを祝うものでもある。
盂蘭盆:カンボジアの盂蘭盆は中華圏の清明節に似ている。
万仏祭:万仏祭は陰暦3月の満月の夜に各地の寺院で盛大に行なわれる。写真は蝋燭を並べた曼陀羅の中に人々が入って平安を祈る様子。
伝統建築の斜め屋根の棟には縁起の良い装飾が設けられており、その装飾から建設された年代と地域ごとに異なる信仰がわかる。
1950~60年代にカンボジアの近代化をリードした著名建築家ヴァン・モリヴァンはクメール芸術のモチーフと現代建築を融合させ、全国に大きな影響を及ぼした。写真はその設計になる外語学院。
カンボジアの影絵芝居の歴史は長い。一般に大小の二つの形式があり、大型の影絵芝居では古来の神話物語、小型の影絵芝居では民間故事が演じられる。
盂蘭盆の期間中、人々は家で作ったもち米の握り飯や菓子、果物、蝋燭などをお供えして死者を供養する。僧侶に導かれて盆を手に寺院の周囲を歩きながら死者にお布施をし、