社会の問題は分野を越えて
高校を卒業すると、沈芯菱は清華大学人文社会学科に進み、台湾大学新聞学大学院を経て今は台湾大学商科大学院の博士課程に学んでいる。専攻した三つの異なる分野は、公共の問題に異なる視野をもたらした。
11歳の時からパソコンを使って活動してきたが、情報科学の道は選ばなかった。「台湾にはコンピュータエンジニアは大勢いますが、人文社会の人材は不足していますから」というのが理由だ。
以前は、地方の弱者の姿を見て熱心に行動してきたが、その問題の原因は分からなかった。それが人文社会学を通して僻遠地域の教育問題や弱者、貧困といった現象についてより深く理解でき、少しずつ答えが見えてきたと言う。
大学院では新聞学を専攻した。もともとカメラとペンを手に台湾各地を歩いて記録してきた彼女は、早くから記者のような活動をしてきたのだが、新聞・マスコミ学では「やりながら学ぶ」ことが重視されることに惹かれた。
沈芯菱の活動の物語は中学高校の教科書でも扱われるようになったが、それでも疑問の声も聞かれた。「この方法は本当に有効なのか」という疑問だ。公益活動と同時にさまざまな実力を身につけられることを証明するために、彼女は台湾大学新聞学大学院の他に、同商科大学院、清華大学社会学大学院、交通大学科学技術管理大学院など9つの大学院に合格して見せた。
昨年9月、沈芯菱は商科大学院の学生となり、これまでの活動にビジネスの視点が加わった。ビジネスと社会活動の間には決して対話がないわけではなく、昨今注目される社会的企業などが良い事例である。そして、彼女自身がこれまで取り組んできたさまざまな社会活動は、実は商学理論で扱われる「破壊的イノベーション」なのである。彼女が始めた農作物のネット販売や無料教育サイトなどは、今では珍しい存在ではないが、15年前に彼女が始めた時は「時代の最先端」を行く快挙だったのである。
教育と僻遠地域の問題に関心を注ぐほか、今は社会問題の定義を広げて従来型産業にも目を向けようと考えている。
昔、父親が一度は経営に失敗した小規模な衣料品事業は、後に沈芯菱がウェブサイトを開設してから再び少しずつ軌道に乗り始めた。しかし、サイトはマーケティングの一部分にすぎず、本当にやらなければならないのは産業の転換だと彼女は考えている。
雲林県や嘉義県といった地方の中小の従来型産業は、いずれも同様の状況に直面している。「産業の転換を通して、これまで議論されてきた『僻地教育、都市と地方の格差』といった問題に解決の道が見出せるかも知れません」これが沈芯菱が計画している次の一歩なのである。
(下)北は基隆から西は離島の澎湖まで、僻遠地域の学校で沈芯菱は希望の種をまき続けている。