文化的シンボルではない、内在的体験
ここに見られる薄暗く怪しげで混沌とした台湾の風景は、台湾文化のシンボルに抵抗したものと言える。『Raw Soul』の作品を見ていくと、何かしらの不安を感じるであろう。私たちが日常的に目にしている光景や事物であっても、李岳凌の手によって見慣れぬ怪しげな状態へと転化されているからである。注意すべきなのは、彼が故意に怪しげな雰囲気を出しているわけではない(そうすれば、またビジュアルスタイルに陥ってしまう)という点だ。彼は意識することを手放して台湾自体が持つ混沌と流動の本質を受け入れており、その作品を観る者も既知のシンボルを離れて未知の生命の冒険へと引き込まれていく。
光明をもたらす視覚の意識とは異なり、『Raw Soul』は暗黒、奇怪さ、音、強度、リズム、流動性、生命力などを感じさせる。こうした「内在的経験」は、文明の装飾を取り去り、私たちに、まだ目が開く前の母胎内の音を聞かせ、そこからさらに台湾に本来内在する音へとつなげていく。不思議なことに、彼は音声を素材とするのではなく、写真の視覚性を用いて視覚と聴覚につながりを生み出したのである。