困難も創作の養分
心中の苦痛も創作の養分と言うが、豊かな感情は残酷な現実に打ち砕かれ、二回の結婚は離婚という結果に終ってしまった。
「アジャ・リンポチェに済度されました」と、チベット仏教の影響を語る。それは李光裕の魂を救い、創作にも深い影響を与えた。「修行により覚醒したのです。自我と我執を乗り越え、無我の境地を得ることができました」と言う通り、悟りを得ることで自我の束縛から解き放たれたのだという。作品のスタイルは豊満な写実から要素の再構成へ進み、扁平な透かしの空間に行きついた。虚実が合い混ざり、無窮の宇宙に遊ぶ行雲を感じさせる。
「形に拘泥することなく、彫刻に囚われることもなく、すべての事象は転換して芸術の養分となっていくのです」と、李光裕は彫刻の講義においても、多面的な転換を求め、ジャンルを越えて相互に通じていくことを主張する。
「太極拳において、連綿と続く気を感じます。それは全く新しい身体の悟りなのです」と語るが、その作品シリーズ「手」において、畏れず怖気ず、向き合い、解き放つ精神を表現した。「掌を凝視すると、それは五線譜のように無数の音符が動き出し、跳躍し、いつまでも音楽を奏で続けるのです」と言う。
「仏の教えの中から、無漏の智慧の悟りを得ることができました」と、解脱を追い求める李光裕は、天地の間に美が満ちていることを、そして手を延ばせば、そこに悟りがあることを知った。「霊感とは何処からくるのか」と問われるが、芸術と人格が重なり合い、魂が満たされれば、創作は枯渇することはないのである。
李光裕の作品「闘牛シリーズ」は、東洋の禅の境地と、民俗的な要素を組み合わせ、2017年のベネチア・ビエンナーレで異彩を放ち、高い評価を受けた。これまでの芸術生活において重要な位置を占めると共に、国際的に台湾のソフトパワーを示す作品シリーズとなったのである。
李光裕の作品「小公園」は、その手で作り上げた温もりある空間だ。