世界のベジタリアンが見た台湾
オーストラリアのアンドリュー・ニコルス、アメリカのエルバート・グー、南アフリカのミシェル・カゾンと、異なる国から来た三人が、同じビーガンの理念を通して台湾で巡り合った。
台湾に来て9年のアンドリューは、オーストラリアのスポーツ科学および教育の修士で、運動選手の調整とトレーニングが専門で、ピラティスの講師でもある。1988年に『エコロジカル・ダイエット(Diet for a New America)』を読み、家畜に対する不当な扱いや殺戮の描写が、幼い頃に見た家の農場での屠殺風景と同じだと思った。その後、シンガポールでヘルシーな生活の普及に努めながら、多くのケースを扱い、健康に対するビーガンの良好な影響を証明するに至った。ビーガンとして25年を過ごした彼は、この8年の台湾におけるベジタリアンの発展に感銘を受けた。当初、台湾では精進料理と言うだけで、栄養も味も重視されていなかったが、今では毎月のように新しいベジタリアンのレストランが開店し、彼にとって台湾は第二の故郷となった。
同じく台湾にベジタリアン・レストランを開きビーガン普及に努めるミシェルは、台湾人に啓発されてビーガンとなった。当初、台湾には観光で来ただけだったが、台湾で菜食が一般に普及し、ベジタリアンを尊重する態度を見て、他国では及びもつかないと感じた。そこにある健康重視と動物愛護の態度を理解し、ビーガンとなることを決意した。もともとシェフであった彼女は、台湾の野菜の種類が豊富なことに驚いており、「台湾の野菜は種類が多く芥藍(カイラン)、龍鬚菜、空心菜、山蘇(オオタニワタリ)など、南アフリカにはありません」と言う。台湾には四季を通じて野菜や果物の種類が多く、その豊かな環境での生活は、一種の幸福であるという。
「ベジタリアンとなったのは12年ほど前、娘が産まれようとしていて、殺伐としたこの世界にあって何とか殺生を少なくしたいと思い、食べ物でも動物を避けようと思いました」と、台湾に来て4年のエルバートは話す。中国南京芸術学院の客員教授の彼は、美術教育と展覧会で世界各地を回っていたが、どこでもベジタリアン・レストランを見つけるのは難しかった。それが台湾では、ちょっと歩けば見つかる。台湾は時代ごとに異なる文化の洗礼を受けてきたので、菜食においても多様な料理が食されてきたと言う。近年、彼はベジタリアンに関する芸術創作を試みている。乳製品や肉類のパッケージには楽しそうな動物の図柄が描かれるが、その背後には動物の墓場と悲しみが隠されていることを表現したいのである。
台湾ミートフリー・マンデー招集人の張祐銓(右)と荒野基金会の徐仁修董事長(右)。