それぞれの充実した生活
団員はジャカルタとスラバヤの出身で、主婦やインドネシア語教師、司法通訳、プロの翻訳者、病院や移民署のボランティア通訳、博物館あるいは遺跡のボランティア・ガイドなどと、一人で何役もこなす多芸の人が多い。
団長兼指揮者の施鷺音はインドネシア大学中文科を卒業し、インドネシア航空で通訳として勤務し、結婚で台湾に来てからはプロの司法通訳と博物館ガイドとして勤務する。通訳、ガイドから楽団やダンス・チームを創設し、2017年には台湾のバンド黒手那卡西楽団と曲を共作したという。家庭とオフィス以外の第三の場に足を踏み入れた彼女は、そこで広い活動の場を見出し、台湾は次第に第二の故郷となっていった。
廖転運は、一族の中で最初に大学に進学した才女で、結婚により台湾にやってきたが、子供の教育のために自分も学ぼうと大学で一年講義を受けた。司法通訳の試験に合格し、通訳として勤務する傍ら、インドネシア紹介ビデオのナレーターも務めた。
流暢な英語を話す張慧英は、教育部が作成するインドネシア語教材の編集者の一人である。外国語能力の重要性を痛感し、子供にインドネシア語を教えてきたが、息子は期待通り大学卒業後は海外に駐在し、優秀な実績を挙げている。
料理が得意な陳夢娜は、国立台湾博物館に招かれ、バンウコンなどのスパイスを使った故郷の料理を紹介した。さらに美容師の免許も取得し、毎年子供を連れてインドネシアに里帰りしている。
竹韻揚声楽団には第二世代が加入しつつある。
廖転運の息子の羅章佑は、去年ジャワの礼服を身にまとい、中正記念堂で母と共演した。
林夢娜の息子の劉華盛は楽団での経験で自信をつけて、音楽の道に進むために表現芸術科に進学した。中学受験の前日にもリハーサルに参加し、試験が終ると若い人生のもう一つの試練、国立台湾博物館での公演に参加した。内向的だった性格が次第に大人びてきて、自信に満ちた演奏には、お父さんも驚き喜んだという。
アンクルンはインドネシアの西ジャワに起源を有する竹製の伝統的打楽器です。