娘のために人生をかける
この「Hang TV」にアップした動画「母は外国人家政婦」の物語が多くの感動を呼んだ。その母が台湾での契約を終え帰国するとき、見送りの人は別れを惜しみ、雇い主は涙を流していたが、母は泣くことはなかった。その光景に、なぜ泣かないのかとフォロワーは不審に思ったという。
「実は、ずっと母を心配していました。台湾に来る前は気弱な人で、何かあると考えこみ、泣き崩れたものです」と阮秋姮は言う。
しかし、台湾で14年を過ごしてから、母は容易に喜怒哀楽を表に出さない気丈な人になっていた。「一人の孤独や家族への思い、仕事の辛さを全て飲み込み、台湾を離れる時は涙もこぼさず、振り返りもせず出国ゲートに向ったそうです」と阮秋姮は涙ぐむ。
母は、阮秋姮が幼い頃から台湾で働き始め、長女の彼女は中学に入ると母親替りに二人の妹の面倒を見た。携帯もない時代のことで、時折り受け取る母からの手紙が最大の慰めだった。「その後、国際電話をかけられるようになりましたが、家に電話がなくて、母からの送金で固定電話をつけたのです」と語る。
「親戚からは、外国で働く母の苦労を思って心配をかけるなと言われていて、いつもみんな元気で勉強していると話しました。債権者が来ていることも言えませんでした」と話すが、母も子供に心配をかけまいと、台湾ではよくしてもらっているとしか言ってこなかった。
しばしの沈黙の後、阮秋姮は「後になって知ったのですが、台湾に来たばかりの時、母の雇い主は一日にお弁当一つしか与えず、昼に半分、夜に半分食べていたそうです」と明かす。祖母が亡くなった時も、お葬式に戻ることができず、阮秋姮は母からの手紙を読み上げるしかなく、居合わせた親戚は涙にくれたという。
母は娘によい嫁ぎ先を望んだが、ベトナムに戻ってみると、家は相変わらず貧しく、よい嫁ぎ先は望めないと思った。そこで親戚に借金して家を建て直し、娘に教育をと、再び台湾に向い、家政婦の仕事に戻った。母は台湾で14年を孤軍奮闘し、人生をかけて娘たちの未来を照らしたのである。一生母には感謝しますと、阮秋姮は言う。
阮秋姮はベトナム語発音の講師として生徒たちに人気がある。(阮秋姮提供)