『R.A./E./O.M.』記憶の曖昧さと抽象性
反復に関するこうした思考は、続く実験書『R.A./E./O.M.』へと展開する。が、今回示されるのは公共メカニズムの反復だけではなく、「記憶のメカニズム」である。作品には以前の公共空間に関わる『反復のメカニズム』の他に、己の家族写真を実験的に操作した作品が大量に用いられている。
『R.A./E./O.M.』の脈絡において、李浩は家族写真を繰り返しコピーし、それを重ねていく(写真はしだいに不明瞭になる)。そして我々は「写真」が抽象化していく過程を見ることとなる。こうした抽象化と脱構築の方式が、写真を「現実の記録」の枠から離脱させ、我々は写真自体の「物質性」を意識し始め、それが「写真が記録した現実」から「写真自体のパフォーマンス」へと転化するのを目の当たりにする。
李浩は、現実を記録するという写真の枠を抜け出し、「反復」の概念を起動する。『反復のメカニズム』で我々に日常の公共空間のメカニズムに気付かせ、実験書『R.A./E./O.M.』では公共と個人の記憶を融合する。李浩は写真を記録の手段として扱うのではなく、写真自体の展開に注目し、自らの介入を通してこれらの写真素材を遊ぶ(大量の反復動作、ぼかし、スクラッチ、破壊、破砕など)。我々はその作品を通して写真の概念を脱構築し、写真と他の領域との共振の可能性を見出すのである。