料理で近所付き合い
蟾蜍山に暮らして10年、好蟾蜍ワークショップの林鼎傑は、「ここは都会の中の田舎なんです」と言う。その通りである。食卓に集まった人々は、皆で料理を取り分け、酒を注ぎ、おしゃべりに花を咲かせる。こうした人情と熱気には、酒を飲まなくてもほろ酔い気分になる。
林鼎傑は1928年に撮られた古い写真を見せてくれた。当時、日本の総督府は蟾蜍山の付近に農業試験所や養蚕業改良場などの農業機関を設け、山麓の芳蘭路の一列目に職員用の官舎を建てた。それが現在の集落の始まりである。戦後になると、軍は山の斜面に沿って39世帯から成る煥民新村を建設したが、後の60~70年代には各地から人々が移住してきて自力で家を建て、建て増しを重ねて今のような景観となった。蟾蜍山の住民は、どこから来た人も、どんな背景の人も受け入れ、それぞれが懸命に生きてきた。そして平屋ばかりということもあって、近所同士の交流は自ずと盛んになった。
手作りの韮菜盒(ニラ入りお焼き)を持ってきた葉さんは、このお焼きは近所の陳さんに教わったのだと言う。子供たちは幼い頃、いつも近所の家に遊びに行き、そのまま食事をごちそうになっていたそうだ。王さん夫妻は江蘇省の出身で、かつて上海でレストランを開いていたこともあり、旧正月には上海風の盛大な正月料理で近所の人々をもてなしてきた。