小鎮創生学:文化、旅、農業
竹山の夜は静かで、どの家もテレビの連続ドラマを見ている。通りを自転車で走りながら家々の窓をのぞいていくと、ドラマの内容がつながるほどだ。そこで何培鈞は、家業を継ぐために戻ってきた林家宏をさそって夜のジョギングを始めた。二人は走りながら、いろいろ話し合い、SNSで呼びかけて廟の門前に集合し、みんなで走ることにした。一度は数百人が一緒に走り、熱心な住民は物資を提供してくれたり、お茶を出してくれたりした。地元以外からの参加者もあったが、警察から治安維持が大変すぎると言われて停止せざるを得なかった。
何培鈞と林家宏は、いかにして竹山の竹芸産業を復興させるかも話し合っていた。
林家宏は元泰竹芸社の三代目で、その家業は竹産業の栄枯盛衰の縮図でもある。初代は耳かきを製造し、二代目は編み棒を作って商売は繁盛していたが、2005年に編み機が出現して編み棒は売れなくなった。2010年に家業を継いだ林家宏は業態転換を試み、2015年に環境にやさしい天然素材をアピールして竹製の歯ブラシを打ち出した。さらにDIYコースを開くなどして、現在は年間5~6万本を売り上げている。工場のほかに店舗も開き、そこでは竹のストローや元気凹豆杯などがよく売れている。竹細工の日用品の開発を続けていくことで斜陽産業を盛り立てようとしている。
一方、何培鈞は2013年に竹生活文化協会を立ち上げ、竹芸講師に依頼して竹工芸家を育成し、竹籠や花器などを作成して企業に売り込んでいる。
2015年、彼は使われなくなった台西客運の社宅を借り、5500本の竹ひごを編んで天井板と柱を覆った「竹青庭人文空間」とした。2018年には鶏肉や豚肉とタケノコの料理やスイートポテトなど、地元食材を用いた料理を出し始めて、小鎮文創の新しい活動の場となった。
今年(2019)、路線バスが再び台西客運ステーションまで来るようになり、一階の待合室には新たにオープンした台西氷菓店が入っている。そこで売られるのは竹製の器に盛られ、持ち帰り用にも竹の器が使われている。
現在、小鎮文創では「小鎮農春」と名付けたファーマーズマーケットを開いて竹製品や小規模農家の作物の販売に力を入れている。高校卒業とともに竹山を離れた林承陽は、3年前にがんで亡くなった父親を看取った後、機械関係の仕事を辞めて竹山へ戻り、84歳の母親の近くで暮らすことにした。彼はまず農業委員会農民学院で農業を学び、それから実家の農地を「艾合美農場」として耕し始めた。2018年からは安定的に収穫できるようになり、中でもヤングコーンは自然農法で育てており、甘みがあって歯ごたえがよく、毎月安定的に収穫できる。
「小鎮農春」マーケットでは地元の農産物をいろいろ扱っている。例えば十年以上前に有機認証を取得した茶農家の陳儀龍が夜明け前に収穫したばかりの竹山春筍と、甘くておいしいサツマイモが並んでいる。濁水渓社有機栽培範の蘇鏈琪はこう話す。「小鎮文創は私たちの商品デザインに協力してくれます。特にeコマースのルートは大きな助けになります。以前はあちこちで露店を出しても売れ残るのが心配でしたが、今は消費者から注文が入るので、朝採れのものを新鮮な状態で産地直送できます」
何培鈞はさらに起業を目指す若者を集めようとしている。ある日、彼が隣りの雲林県林内郷を通った時、道端でマントウ(饅頭)を売っている渠珈朵を見かけ、その場で竹山へ移住してこないかと声をかけた。渠珈朵は本当に竹山に移ってきて店を開き、光点小聚に参加し始め、小鎮文創の理念にしたがってサツマイモなど竹山の農産物を使ったマントウを作るようになった。このほかにも、手作り石鹸を売る陳思帆、竹材店二代目の邱炳昌、画家の顧孟菁らも、小鎮文創を基地として青年起業家グループを作っている。
青年起業家の陳思帆(左)と竹工芸家の邱炳昌は、タケノコの形の手作り石鹸や竹ひごで作った文化クリエイティブ商品などで竹山の特色ある工芸品を打ち出している。