慣れ親しんだ職場を後に
中壢の服飾店の外に多くの見物人が集まっていた。パソコンを用意し、衣料品に照明を当てると、呉俊星がインドネシア語で、店主が中国語で商品を紹介する。二人は台湾に暮らすインドネシア人労働者に向けてライブ配信をしていた。
ライブ配信でショッピングというのは移住労働者の生活の一部となっており、呉俊星は2015年からインドネシアとマレーシアで人気のBIGO LIVEに加わっていた。後に、フェイスブックでも同じサービスを始めたことで、呉俊星は本格的にやりたいと考え始めた。
ラジオ番組の司会という仕事は時間的に自由で待遇もよいのだが、呉俊星はここには新たな挑戦はないと感じ、まだ若いうちに別の分野にチャレンジしたいと考えるようになっていたのである。「大学での選考は経営学だったので、そこに立ち返って専門を活かしたいと思ったのです」と言う。ちょうど台湾政府が「新南向政策」を打ち出したところでもあり、彼はビジネスの分野に参入する絶好の機会だと考えた。
2016年、彼は退社後の時間を利用して、友人の化粧品販売を手伝い始めたところ、大きな手ごたえを感じた。「私のフォロワーは3万人から2倍に増え、他の国から来た人も大勢加わり、さらにインドネシアに帰国してからも私の情報をフォローしてくれている人も大勢いるのです」と言う。その影響力が極めて大きいことから、彼はむしろ商品の品質を重視するようになった。「友人の手伝いをしていた時は、試しにやってみる、という感じでしたが、その後、自分で販売する商品を選ぶようになってからは必ず自分で試してみて品質を確認しています」。こうしてビジネスモデルを確認してから奥さんと弟と一緒に起業し、会社を立ち上げたのである。
まだスタートしたばかりだが、すでに呉俊星の会社で扱ってほしいと、50以上の商品が集まっている。近所の韓国スタイルの衣料品店も、彼の発信力でインドネシア人の消費者に販売したいと言ってくる。「インドネシア人は、不実の広告手法ではなく、真実の心のこもった商品推薦を望んでいるのです」と話す呉俊星は、リアルタイム動画配信の形で商品をじっくりと紹介し、聞きたいことのある人はオンラインで質問を出せば、その場で回答するという形を採ることで、消費者との間に信頼関係を築いている。まだ知名度の低いブランドにとって、これは良好なスタートと言えるだろう。「次の一歩は、インドネシア最大の電子商取引プラットフォームと提携し、商品を紹介販売することです」と言う。そこからさらには商品をインドネシアの一般の商店や百貨店にも広めていきたいのである。
「インドネシア市場は、十年前の中国大陸のように、どんどん開放が進んでいます。それに加えてキャッシュレス化が台湾よりもスピーディに進んでいるので、誰もが起業して稼ぎたいと考えており、強いエネルギーが湧き起っています」と言う。インドネシアの実家に帰るたびに、呉俊星は、成功を追求する現地の人々の積極性を強く感じるという。インドネシア人であり華人でもあるという有利な立場にある彼は、インドネシアと台湾の貿易ビジネスにおける大きな成功に向けて邁進している。
呉俊星は早くからスマホでのライブ配信を開始し、そのブームを牽引してきた。
政府による新南向政策もあり、呉俊星はいかに自分の強みを活かしてインドネシア市場に参入するかを考えてきた。
会社創設から間もないが、呉俊星は近い将来故郷に錦を飾り、家族と成功を分かち合いたいと考えている。
会社創設から間もないが、呉俊星は近い将来故郷に錦を飾り、家族と成功を分かち合いたいと考えている。