山地と平野をつなぐ温もりの送迎
梨山から台中へのもう一本の道は、大禹嶺、武嶺を迂回し、台14甲省道を通って霧社と埔里を経由するルートである。1999年の台湾大地震の後、この道は梨山住民が台中へ出る主要な聯絡道となった。この道を、豊原客運の路線バス「6506豊原-梨山」が通っており、16年にわたって山地と平地をつないできた。
バスは豊原を出て、石岡、東勢、埔里、上武嶺、松雪楼、大禹嶺を経て梨山へと到着する。この6505路線バスの停留所は86ヶ所に上り、走行距離は170キロにおよぶ。午前9時10分に豊原客運の営業所を出発し、午後3時前後に終点の梨山に到着する。大禹嶺から梨山までの間は、工事で通行が制限され、1時間に10分しか通行できないことも多い。通行量が多く、天候が悪い時などは、7~8時間かかることも珍しくない。
6506路線は3人の運転手が支えている。その一人、余佳徳は同路線が開設された時からずっと担当してきた。2000年に路線が開設された当初は、一日3便のすべてがほぼ満員で、梨山住民が山を下りるには、このバスだけが頼りだった。その後、中部横貫道路が開通すると、6506路線の段階的任務は終了し、平日の乗客の多くは町の病院へ行く高齢者、週末は梨山や合歓山へ行く登山客がほとんどとなった。
6506路線のバスが豊原を出発すると、運転手の余佳徳は必ず埔霧公路沿いにある青山茶行(茶葉を扱う商店)に寄り、新聞の束を受け取る。山の上に暮らす住民たちに「今日」の新聞を届けるためだ(郵便だと翌日の配達になる)。山の住民は余佳徳に野菜の苗などの運送も依頼しており、余佳徳は可能な限り協力する。青山茶行のおかみさんである許秋玲は、「この路線の住民と彼ら(豊原客運の運転手)は、乗客と運転手という関係を越えています。天候が荒れて住民が孤立した時など、運転手さんたちはできる限り必要な物資を届けています」と言う。余佳徳は許秋玲の称賛の言葉を聞いて、少し気まずそうだが、これこそ彼らが常に心掛けていることで、暖かい心で山の上と麓をつないでいるのである。
6506号線は標高200メートルの豊原から、一気に台湾の自動車道の最高地点である3275メートルの武嶺まで駆け上がる。路線の標高差は3000メートルを超え、天候も道路状況も極めて不安定である。余佳徳は、山の上で大吹雪に見舞われ、一週間も山から下りられなかったこともある。さまざまなトラブルがあるものの、他の路線の担当に異動したいと思ったことはない。春は桜、夏は緑、秋は楓、冬は雪という四季の美と雲海が心の中にしみついているからだ。
小さなバスの中、乗客の一人一人に人生の物語があり、おしゃべりにも花が咲く。北京から初めて台湾を訪れたという老夫婦は、埔里からこのバスに乗ってきた。1949年に国民政府とともに台湾に渡り、梨山に定住した伯父に会いに来たのだと言う。60年ぶりの再会の、旅の最後の道は6506路線バスが結ぶ。松雪楼のバス停では、ここに住んで一ヶ月半になる母子が迎えてくれ、運転席の窓越しに、ショウガ茶や湧き水、リンゴなどを余佳徳に手渡し、言葉を交わす。この母子も乗客として知り合い、何かと特産物を差し入れてくれるのだと言う。バスで結ばれた縁である。
梨山で少し休憩し、午後5時になると余佳徳はバスの路線番号を6508に付け替え、梨山中小学校へ生徒を迎えに行く。これが終わると一日の業務がようやく終了し、武陵農場に宿泊するのである。下校した子供たちが乗ってくると、バスの中はにわかににぎやかになる。余佳徳は無邪気な子供たちが大好きで、すでに9年も彼らを載せているので、気心も知れている。途中の停留所で、子供たちは駆け下りて行く。ここには珍しく雑貨屋があるからで、余佳徳のバスは子供たちがおやつを買って戻ってくるまで待つ。子供たちの満足げな笑顔が、バスの風景の一つとなる。
台湾で最も標高の高い道路を走る豊原客運6506路線バス。