文化部映像及び流行音楽産業局が主催する「2015記録片行動列車スクリーニングツアー」が、8月から台湾全土でスタートした。今年は「探求」をコンセプトに、台湾に関するドキュメンタリー25作品が選ばれた。多様なテーマを通じて台湾人と大地、夢を追う物語、独特の伝統芸能を表現し、台湾文化の内面と社会の多彩な姿を描き出している。
映像で歴史を代弁
過去の作品の巡回上映に加え、近年、台湾映画界ではドキュメンタリー作品の撮影に、分野を超えたエネルギーが凝集されている。撮影手法の刷新や制作規格も向上が続く。今年は抗日戦争勝利70周年にあたり、この数カ月で台湾の歴史を扱うドキュメンタリー映画が4作発表された。制作の意図はいずれも、映像の力で台湾人に自己の歴史を再認識してほしいとの願いである。
『Ataabu 2』歴史の姿
2013年上映の『阿罩霧風雲Ⅰ―訣択』(Ataabu1)に続き、後編『阿罩霧風雲Ⅱ―落子』(Ataabu 2)は台中の霧峰・林家の物語を追う。
阿罩霧とは霧峰地方の旧名で、平埔族(原住民)の言葉「アタブ」の音訳である。作品は、清朝末期の台湾五大名家の一つ、霧峰林家の初代・林石が1746年に台湾に渡ったところから、1956年「台湾議会の父」林献堂が日本で世を去るまでの210年を描く。一家三代の移住、奮闘、興隆、分裂、衰退史、そして一家が清の太平天国と小刀会の鎮静行動に巻き込まれたこと、清仏戦争、日本への台湾割譲、国共分裂に至るまで、台湾に影響を与えた重大な歴史上の事件の中に、霧峰林家はいつも存在していた。
「林家の歴史が台湾近代史をつなぎます」李崗は、当時一族が迫られた決断は一歩誤れば家の滅亡を招くものだったという。その歴史を知って、多くの台湾人が自らの歴史にあまりにも無知であることに思い及び、李崗は映像の力で歴史への思いを呼び起こしたいと願った。「台湾の移民史を知り、移民社会に共感と帰属感を抱くべきです。過去を知らねば、将来と向き合えません」
そこで制作・李崗と監督・許明淳は林家の物語を伝える方法を探し始めた。学術界、ドキュメンタリー、映画界の3分野が協力しなければ「これほど大きなテーマは、誰も単独ではできません」李崗はいう。「歴史を描くドキュメンタリー映画ですから、気を引き締めていかねばなりません。一字たりとも間違えるわけにいきません。林家、学術界、政界に申し訳が立ちませんし、歴史の解釈権にも関わります」
前編撮影に先駆けて、チームは2年間、史料考証の研究に取り組んだ。台湾大学歴史研究所の研究員5人と協力し、後に脚本作家3人も加わった。物語の背景があまりに膨大なため、上中下3作になる予定だったが、資金調達が困難で前後編に変わった。前編制作時、李崗は自分の資金も投入し、破産寸前になった。兄の李安(アン・リー)監督との国際電話でこの計画について話し、李安の賛成で、李崗は覚悟ができた。
『Ataabu 1』は「ドキュメンタリードラマ」の手法を採ったが、台湾では過去に例がない。模索しつつ、5年をかけてなんとか2作品を完成させた。「制作者の個人的な立場や感情を交えず、冷ややかな目と熱い心で作品を作りました。見る者には考える機会となります。次世代の歴史判断力を啓発したいと心から願います」
『冲天』は空軍に表す敬意
「ある若い人たちがいました。飛行の一回一回が永の別れかもしれない。着陸のたびに神に感謝しなければいけない。戦いに臨めば勝敗は一瞬です。彼らは人類史上最大の戦争で成長していきます。選択の余地はありません」俳優・金士傑が寂のある声でドキュメンタリー映画『冲天』のプロローグを語る。
中華文化総会と華人ドキュメンタリーの機関であるCNEX基金会が共同で出資したドキュメンタリー映画『冲天』は、1937~45年の8年にわたる抗日戦争時代へと見る者を導く。中華民国空軍の勇敢な戦いの再現では、日本とアメリカの貴重な映像史料を大量に借りてきたうえに、動画を使って当時の空中戦で使用された機材と、激しい戦闘を再現した。
監督・張釗維が話す。「戦争は男だけのことではなく、女性も大切な役割を果たしました」彼らは空軍と関係の深い3人の女性を選んだ。民国初期の才女・林徽音、台湾文学の母・齊邦媛、空軍四大金剛の一人・劉粋剛の夫人・許希麟である。4人の手紙を大量に収集して、女性のきめ細かい観察と視点を通じて、戦争が人々に及ぼした影響を見つめ直す。1年半かけて制作され、戦闘に加わったパイロットと家族40人近くにインタビューを行っている。
新作上映会の会場として台北市中山堂を選んだ。抗日戦争が終わったとき、日本軍の降伏調印式が行われた場所として、歴史的な意味がある。馬英九総統も上映会に出席した。
ゴールデンホースアワードの主席を務める監督・張艾嘉も空軍の家族であり、多忙な中で林徽音の声を引き受けた。戦死した弟を悼んだ林徽音の詩を録音室で朗読したとき、涙に声を詰まらせた。本作は抗日戦争中の勇士の記録であり、人生を浮き彫りにした抒情史詩でもある。
元従軍慰安婦の光陰を綴る『蘆葦之歌』
1991年8月14日、韓国の被害者・金学順が初めて第二次大戦における日本軍の悪行を公にし、ここから慰安婦制度の事実が証明された。韓国・中国大陸・日本で関連するドキュメンタリーが制作されてきた。それから24年後のこの日、台湾人慰安婦だった老婦人のドキュメンタリー映画『蘆葦之歌』が上映された。2011年から2012年にかけてこうした女性の晩年の姿を記録したものである。
3年以上かけて制作され、監督・呉秀菁の制作手法は、従来のこのテーマの悲壮感から抜け出し、訴訟が失敗に終わった悲しみを乗り越え、生きる強さと力に変えていった様子に重点を置いている。心身ケアワークショップに参加するおばあちゃんたちの可愛く楽観的な姿勢を記録し、上映会場には何度も笑い声が響いた。だがその努力と強さが、逆に胸に刺さる。
ドキュメンタリー映画のロードショーは資金調達が難しいが、20年間台湾人慰安婦とともに歩んできた婦女救援基金会がこの資金集めを引き受けた。クラウドファウンディングで資金を募集することで、この問題がより多くの人々の関心を集めて、スクリーンで台湾の女性たちの命の勇気を共に検証できることを目指した。わずか1カ月余りで目標金額が達成された。台湾人の関心の深さがうかがわれる。
『故郷―湾生帰郷物語』思いと時間
抗日戦争勝利によって、台湾生れの日本人は生まれ育った場所を去ることになる。1895~1946年の間に台湾で生まれた日本人を「湾生」という。国籍は日本人でも、故郷は台湾である。
湾生22人の物語が収録された同名の原著は、当時日本人が台湾の後山(東部)を開拓した日々、母国日本に送還されてから差別と貧困に苦しむ生活、再び台湾を訪れて昔の故郷を尋ね歩く過程を記録している。原作者であり映画の制作者でもある田中実加(中国語名・陳宜儒)は湾生の子孫である。12年を費やして台湾と日本で湾生の物語を尋ね記録した。40人近い翻訳・通訳者を動員し、資金調達のために家を売った。「湾生」のルーツ探しのために、映画は5年の準備を経てついにスクリーンに映し出された。
まず映画監督・柯一正が、心に響くナレーションで物語へと導く。湾生8人が台湾を訪れた過程を撮影している。映画の最初、88歳で一人暮しの富永勝が慌てた様子で花蓮を訪れ旧友を尋ね歩くが、みな世を去っていた。失望と悲嘆にくれる中、他の湾生のルーツ探しの物語が幕を開ける。それは25万人の湾生に共通の物語である。
作品としての質を上げるため、上空からの映像が時空の光景に融合され、カンヌ受賞録音技師・杜篤之による音声制作、音楽の大家・鍾興民は壮大な楽章を書き上げた。18ヶ月の編集・テストを経て、6万分の素材から110分を切り取った。笑いと涙、感動と哀愁、希望と愛の新しい形のドキュメンタリー映画になった。
台湾の歴史は、ドキュメンタリー数本で語り尽せるものではない。しかし、資金調達が困難な中で、今日も多くのクリエイターが制作に加わり、自らの歴史に発言権を求めている。映像に表せるのは歴史のほんの一部かもしれないが、すべてが先人が命をかけて奮闘した物語である。作品を通じて過去を理解することは、今日の公民社会の視野を高めるだろう。そして、こうした作品によって、台湾のドキュメンタリー映画の創作に、新たな出発点が生み出されるのである。
ドキュメンタリー作品展「2015記録片行動列車スクリーニングツアー」では、25本の優秀な作品を「追憶」「追芸」「追夢」の3つのテーマに分け、台湾各地で巡回上映した。(文化部映像及び流行音楽産業局提供)
台湾の名門、霧峰林家では、三代にわたり壮烈な死を遂げたが、いずれも台湾史と密接な関係にある。『阿罩霧風雲Ⅱ―落子(Ataabu 2)』はドラマ形式のドキュメンタリーで、先人が命を懸けて奮闘した涙の物語を伝えている。(安可電影提供)
抗日戦争当時の中華民国空軍をテーマにした『冲天』は、戦争や生死と向き合う空軍兵士の姿と、その愛情や友情を女性の視点から見つめる。(CNEX提供)
台湾人従軍慰安婦だった女性たちをとらえた『蘆葦之歌』は、被害者というステレオタイプの悲壮なイメージを抜け出し、おばあさんたちの真の日常生活をとらえる。(緑色国際提供)
『湾生回家(故郷―湾生帰郷物語)』は生死を越えた友情や家族愛の感動と、逆風の中で強く勇敢に生きてきた人々の姿を伝える。(牽猴子整合マーケティング提供)