台湾に残る条件
「他人の目を気にせず自分を肯定するには、まず自分が変わらねばなりません」努力してベストを尽くし、台湾社会のために何かをすれば、「やがて気づいてもらえ、周囲の見方も変ります」
彼女はさらに自分を磨こうと、番組司会者養成講座に通い、自ら番組の題材も見つけた。バイト以上の働きぶりだったが、大学卒業後のことを考えると不安だった。当時、外国人大学生が卒業後も台湾で働くには、2年以上の仕事の経験と、4万8000元以上の月収という二つの条件を満たす必要があった(2012年以降はハードルが下げられて月収3万7619元以上の専門職或いは技術職となり、2年の経験は必要なくなった)。彼女は2年の経験はあったが、新卒でそんな高収入の仕事を見つけるのは難しかった。
香港やマレーシアからの同級生が次々と帰国するのを見て気が気ではなかった。そんなある日、台湾国際放送(RTI)の上役に呼ばれた。ベトナム語番組のディレクターから、彼女を同局に残してくれと要望があったと言うのだ。彼女の努力を周囲は見てくれていた。彼女は晴れて番組司会者として台湾に残れることとなり、次の仕事である紀行番組『越南行脚台湾行(ベトナム人台湾を行く)』の撮影が始まった。
人手も経費も限られた番組で、両国には国交もなかったが、1年半にわたる台湾国際放送の努力と、外交部(外交省)や駐台北ベトナム経済文化弁事処の援助で、ベトナムのテレビ局が初めて流す台湾紹介番組となった。「多くのベトナム人が番組を見て台湾の面白さを知り、旅行に行きたいと視聴者から手紙が寄せられました」こうして故郷ベトナムでの台湾宣伝も成し遂げた。
ラジオだけでなく、テレビの旅行番組の司会も務める。(大愛テレビ「在台湾站起」提供)