農業を通した人のつながり ——

宮崎県の「台湾塾」
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2020 / 1月

文・鄧慧純 写真・莊坤儒 翻訳・山口 雪菜


一風変わった交流プロジェクトである。九州の宮崎県が支援し、宮崎県産業振興機構顧問の高峰由美さんが考案した「台湾塾」だ。台湾をよく知らない宮崎県と、宮崎をよく知らない台湾が、貿易や数字を論ずるのではなく、まずは友人になることから始めるというものだ。


宮崎県の人口は約1000万人、気候は温暖で、主な産業は農業である。日本では数少ないマンゴーやライチの産地でもある。自然景観に恵まれたこの土地は、環境も物産も台湾とよく似ていて、多くの人は台東に似ていると言う。

まずは友人になる

2016年10月、宮崎「台湾塾」塾長の高峰由美さんはフェイスブックに「親愛なる台湾の友人たちへ」という文章をアップした。「台湾塾の目的は台湾への輸出を増やすことではなく、台湾を深く理解し、台湾と日本が互いに信頼できるパートナー関係を築いた後、何ができるかを考えるというものです」と。

高峰由美さんの専門は国際マーケティングで、毎年物産展の機に台湾を訪れていた。台湾が大好きな彼女はバックパッカーとして台湾一周旅行もした。旅の途中で先住民の農家の若者と話す機会があり、日本から安く入ってくる商品で台湾の産業が脅かされているという話を聞いた。「これが台湾塾を始めようと思った最大のきっかけです」と言う。

台湾と日本の交流は盛んだが、物産展のような一方通行の取引関係ではなく、双方にメリットのある形はないかと彼女は考えた。

当初、宮崎県は高峰さんが何をしようとしているのか理解していなかったが、それでも全力で支援することを決めた。彼女は2014年に、100人の友人を作ることを目標に集中的に台湾を訪れ、同年末に台湾塾を立ち上げた。

それからの一年で7回の交流を行ない、日本の塾生が台湾の農家を訪問し、台湾人も宮崎へ招かれて双方の農業や制度を理解した。

宮崎県産業振興機構でプロジェクトの企画と連絡に協力している藤藪志保さんはこう話す。2015年4月に宮崎から台湾を訪れた訪問団は、宜蘭と桃園を訪ねた後、台北で発表会を行ない、塾生の一人ひとりが自分の物語を紹介して台湾との交流を深めた。その時、宮崎の仲間たちは、最初の挨拶は中国語でやろうと決め、つたない中国語で「皆さんこんにちは、私は〇〇と申します」と話し、大きな喝采を浴びた。宮崎の人々は台湾人が親しみやすくオープンなことに感動した。

交流の中で違いを見出す

台湾塾における交流は、互いの知らない部分も発見させることとなった。

日向市のミカン農家の田中伸佳さんは、台湾での発表会をあまり流暢とは言えない英語で行なうことにし、懸命に練習して会場を盛り上げた。しかし、彼が語ったのは農家としての苦しみだったのである。

田中さんの家は広大なミカン畑を持ち、大自然の中で働いているが、自分がまるで生産機械のように感じ、楽しくないと思えていた。彼はもっと消費者と交流し、環境にやさしい農業を行ないたいと思っていたが、現実的にそれが難しいと感じていたのである。

日本の農業協同組合(JA)には分業制度があり、農家は生産だけに専念し、作物の販売はJAが担っている。厳格なルールがあり、農家が何かを変えたいと考えてもなかなか難しい。

そんな中、台湾塾への参加は一つの契機になった。田中さんは英語を勉強し、さまざまな本を読み、多くの友人を得た。台湾へ来て感じたのは、台湾の農家はより自由で、自分の土地で夢や理想を実現できるということだ。特に宜蘭の若い農家‧頼青松さんの「私はこの農村風景を子孫に残すために農業をしています」という言葉に感動した。自身も環境にやさしい農業をしたいと考えていたのである。

「社会や未来のために何が残せ、何ができるのか考える。これが台湾人から学んだことです」と田中さんは語る。

今年、田中さんは家の事業を正式に受け継いだ。ここから少しずつ、コミュニケーションを通して同じ理念を持つ仲間を作り、穏やかかつ力強く世界を変えていきたいと考えている。

いつも妻の日高亜矢さんが作った茶葉の帽子をかぶって登場する森本健太郎さんは、茶農家の三代目だ。東京で働いていたがUターンし、有機栽培への転換に加わることとなった。

彼の茶畑では農薬や化学肥料を使わない自然農法を行なっており、草花や虫や鳥と共生している。夏にはホタルの姿も見られる。

台湾では桃園の茶農家‧林和春さんとの交流がきっかけで世界的に有名な台湾の「東方美人」茶と出会った。この茶はウンカという虫が葉を喰うことで化学変化を起こし、甘い蜜のような香りを持つようになる。有機栽培の茶葉はどうしても虫に喰われるためランクを下げられてしまうことに腹を立てていた彼は、東方美人の話を聞いて、虫食いの茶葉を「森のかほり茶」として売り出すことにした。妻がデザインした茶箱のコンセプトは、良い茶を虫と共有するというもので、多くの消費者を惹きつけている。

互いの「関係人口」になる

こうした交流が、双方にどれだけのメリットをもたらすのか、疑問を持つ人もいるだろう。

日本では、6次産業(第一次産業が食品加工や流通販売にも業務展開する経営形態)を推進して自治体が産業に新たな道を探り、農産物の輸出に力を注いでいる。

だが、ビジネスより、友好関係の方がより多くの可能性をもたらすのではないだろうか。

林事務所のCEOで台湾塾の活動に協力したこともある林承毅さんによると、高峰由美さんは双方向の交流を目指しているが、背後にはより深い意義があると語る。「台湾にとって宮崎は日本を意味し、宮崎にとって台湾は外国です。宮崎は国内の東京ではなく、世界への出ていこうとしているのです」と言う。一地方が海外へ出ていく時、中央の政策に頼らないことで、より多くの可能性が広がる。台湾塾は宮崎と台湾を互いの「関係人口」にするものなのである。

継続する物語

台湾塾は2015年10月に終了したが、人と人とのつながりは終わっていない。

高峰由美さんの計算によると、彼女が交流した人や台湾塾で台湾に来た人、そして台湾から訪ねてきた人を合わせると5627人になるという。これは冷たい数字ではなく、台湾塾を通してできた「関係人口」であり、将来的に無限に広がっていく人のつながりである。

穀東倶楽部を創設した頼青松さんは、宜蘭県の環境にやさしい農業の代表と言える存在だ。日本に留学し、帰国して農業を始めた。食と住の安全を追求するその理念は都会の人々の共感を呼び、海南島や香港、マレーシアなどからの訪問も受け、最後は日本人もやってきた。

「日本の農業技術や制度は台湾より進んでいると考えられていて、私も日本に学びに行きましたが、その日本人が私のところへ訪ねてくるということが大きな励みになります。日本人が台湾に学びに来るなら、私たちはアジアへ出ていけるのではないでしょうか」と言う。

そうして2015年、彼は「東アジアスローアイランド生活圏フォーラム」を開催し、宮崎、京都、香港、海南島、マレーシアなどの専門家を招き、農業での試みをシェアした。「首都同士の都市外交は私たちにとっては遠い存在ですが、地方と地方、農家と農家のつながりは築けます」と言う。こうしたつながりを通して、農業の可能性を考えていこうとしている。

政府も動き出した。2019年4月、台湾の花蓮、高雄、台中、台東、台南の農業改良場と農業試験所が「農業付加価値サンプルセンター」を立ち上げた。宮崎県のフード‧オープンラボに倣ったもので、政府が加工設備や技術を提供し、衛生や安全面の規範を指導して、農家が農産物加工品を試作できる場である。

財団法人農業科技研究院産業発展センターの林恒生副主任は、宮崎の方法を参考に、台湾にふさわしい形にしたと言う。日本と台湾では加工サービスの目的が異なる。「日本の目標は地方創生で、人口を地方にとどめることですが、台湾の出発点は製品に販売ルートを開き、そこから産業集落を形成して地域の特色にしていくことです」

従来、食品加工は経済部、食の安全は衛生福利部の管轄だったが、今は省庁を越えた法改正により、乾燥や粉砕、ローストなどの初級加工が農家の小規模工場でも行なえるようになった。こうすることで、過剰に採れた作物の問題を解決でき、多様な商品が作られることで、地方発展の新たな契機にもなる。

取材当日、南投県の農家の湯英華さんが胚芽米の糠をローストしに来ていた。加工室に入る前に、まず食品安全のための基本ルールを学ぶ。全身に作業着を着て、頭に衛生用ヘアネットをかぶり、マスクをつけ、手を30秒間洗う。農業改良場の研究助手‧蘇致柔さんが一つひとつ手順を説明する。湯英華さんは、家で採れた米を使って煎餅を作り、農村旅行に来た人に手土産として販売できればと考えている。蘇致柔さんは、このニーズを聞き取って開発に協力し、農家の試作を重ねて改善していく。

その日のローストの過程でも機械の操作を学ぶほか、時間や温度などのデータも記録し、後の参考にする。農家の人々は、こうした実践を通して食品加工について学べ、食の安全性も確保できるようになる。

偶然のおしゃべりがきっかけとなり、多くの人が集まって台湾塾の旅が始まった。台湾と宮崎という海を隔てた二つの土地に交流が生まれ、互いが関係人口となり、台湾と日本の友好関係が深まっていく。

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農業連線‧台日共好

宮崎‧台灣塾

文‧鄧慧純 圖‧莊坤儒

這是一場非典型的交流計畫,由日本九州宮崎縣政府支援、宮崎縣產業振興機構顧問高峰由美發想的「台灣塾」,面對台灣不了解的宮崎,和宮崎也不甚熟悉的台灣,不談出口,不談數字,不談交易,先從當朋友開始吧!


位在九州東南部的宮崎縣,人口約100萬,氣候溫暖宜人,產業以農作為主,是日本境內少數可生產芒果、荔枝的地方。除坐擁豐富的自然景觀,這邊亦是日本神話的起源地,物產跟環境都與台灣相似,若要比擬的話,許多人會說宮崎像極台灣的台東。

先當朋友吧

2016年10月,宮崎台灣塾塾長高峰由美在臉書留下「給親愛的台灣朋友們」一則訊息,她寫道:「台灣塾的目的並非只是想促進日本對台灣的出口,而是想深入認識並理解台灣,當台灣與日本成為具互信關係的合作夥伴之後,有哪些施力點?台灣塾要探索這種可能性。」

國際行銷是高峰由美的專長,每年藉著物產展,她來到台灣無數次了。熱愛台灣的她,還當起背包客環島旅行,只為了看到台灣更多的面貌。旅遊途中與原住民農家青年聊天,談到日本商品傾銷台灣市場,對台灣本土產業與商品造成的威脅,台日之間缺乏平等往來的關係,「這席話是我成立台灣塾最大的動機!」高峰由美說。

台灣和日本不只地理距離接近,兩國關係互動密切,但她心中思慮著:是否有其他形式能打破物產展單向的貿易形式,創造雙方共好的成果。

起初宮崎縣政府並不了解高峰由美想做什麼,但仍全力支援。她在2014年密集訪台,宣言要認識100位朋友,建立與台灣的連線。2014年底,台灣塾開張了。

之後的一年間,七次的互動交流,日本塾生到台灣參訪農家,台灣人也被邀請到宮崎,了解當地農事與制度。

任職於宮崎縣產業振興機構的藤藪志保,在計畫中協助企劃及聯繫工作,她印象深刻地回憶著,2015年4月從宮崎來台灣的參訪團,大家走訪了宜蘭、桃園後,回到台北舉辦發表會,每位塾生都要上台介紹自己的故事,讓台日雙方更熟悉彼此。宮崎的夥伴們還決定要用中文打招呼,所以大家不斷地練習「大家豪(好),窩(我)是○○○……」,發音或許不準,但是心意、笑果滿分。當天台下的觀眾熱烈的反應,讓宮崎的朋友得到信心,大家都說台灣人很直爽、親切。

從交流看見差異

台灣塾的交流,也體現彼此的見與不見。

來自日向市的橘農田中伸佳,在台灣的發表會上,堅持用不甚流利的英語發表,會前他死命地練習,還說學逗唱帶動現場氣氛,猜想他應該是團隊裡的開心果,但他說的卻是一個不快樂的農夫的故事。

家族擁有廣大的柑橘園,雖然在自然的環境中工作,但田中伸佳卻不快樂,感覺自己像是個生產機器,他想要多與消費者互動,想要實踐友善環境的種植,卻礙於現實難以實現。

日本農業協同組合(簡稱農協JA)有專業的分工,農家只需專注在生產,後續的銷售通路都由JA負責,嚴整的規矩,讓有心想突破改變的農家苦無伸展之處。

參加台灣塾是契機,田中伸佳藉此學習英文、多方閱讀,並認識了許多新朋友。來到台灣,他發現台灣農民的自由度高,能在自己的土地實踐夢想的理念。他也深受宜蘭青農賴青松的話語感動:「我是為了要將這個風景(農村景觀)留給子孫而務農的,」友善耕作的理念,正呼應田中伸佳心中一直以來想做的事:生產對環境友善的橘子。

「比起眼前的金錢,我們可以給社會未來留下什麼,或者可以創出什麼,這是我從台灣人那兒學到的,反而讓我覺得我在台灣遇到的農家觀念比日本先進。」田中伸佳說。

今年田中伸佳正式接棒家族企業,偌大的果園要改變還得一步步來,但他打算慢慢溝通,聚集理念相投的人,建立起模式,溫柔且堅定的改變世界。

幾乎每次出場都會帶著妻子日高亞矢設計的茶葉帽,搞笑登台的森本健太郎,是茶農第三代。他早早就離家赴東京發展事業,卻因為健康因素返回宮崎,剛好遇上家族茶園轉為有機耕作的時機,因緣際會的接下家業,並創立「もりもっ茶」品牌。

森本健太郎的茶園不使用任何農藥或化學肥料,採直接從大地獲取能量的自然栽培方法,是跟花、草、蟲、鳥共生,夏天還會有螢火蟲光臨的茶園。

來到台灣,與桃園茶農林和春交流,森本健太郎才發現揚名世界的台灣茶「東方美人」,是因小綠葉蟬吸食茶葉後產生化學變化,才帶有特殊的花果蜜香。知道這個訊息,森本健太郎狀作氣憤地揮了拳頭,有機栽培的茶葉難免有蟲來分食,他不甘心用心栽培的茶因此被認定為次級品,想到東方美人的例子,靈機一動,用被蟲咬過的茶葉製成「森のかほり茶」,搭配妻子設計的茶盒,和蟲蟲一起共享好茶的概念,吸引許多理念相投的消費者購買,也是從台日交流中開啟的新創意。

成為彼此的關係人口

或許有人會疑惑,這樣的交流能為雙方帶來多少獲益?

因應全球性的少子化與高齡化議題,日本政府近年高舉一級生產、二級加工、三級銷售三者相乘綜效的六級產業化大旗,各地方政府積極為在地產業找出路,而向海外出口是其一的解法。

但比起在商言商的交易,透過交朋友建立的關係或許能成就更多的可能性。

林事務所執行長、曾協助媒合台灣塾活動的林承毅說:「高峰由美的想法是要做雙向交流。」但這背後更深層的意義在於:「宮崎對台灣來說就代表著『日本』,日本這個符號在台灣有其先天優勢;台灣對宮崎來說,就是『國外』,宮崎不選擇往東京(國內)發展,而是走向國際,要讓宮崎被世界看見。」在這樣的相互作用下,地方選擇走向國際,與他國作連結,不一定要依附中央的政策,反而更有戰力。台灣塾的效應讓很多宮崎人認識台灣,也讓「宮崎」、「台灣」兩個地名,成為雙方只要瞥見都要多看一眼的特殊存在,成為相互的關係人口。

故事還在繼續

檯面上,台灣塾終止於2015年10月,但檯面下,人的連結卻是細水長流。

高峰由美稍微計算了一下,「到目前為止,我所協助、交流的人,實際上因台灣塾來台的人,以及計算從台灣來訪的客人加起來是5,627人。」這個數字不是KPI(編按:關鍵績效指標),是透過台灣塾而建立的關係人口,未來可能無限延伸的關係脈絡。

穀東俱樂部的創辦人賴青松,可說是宜蘭友善耕作的代言人。從日本學成歸國後,他返鄉務農,以提供居民安全、健康的食物為理念,他的作法啟發許多城市人追隨,也引起鄰近國家的好奇,中國大陸的海南島、香港、馬來西亞不約而同到宜蘭深溝村來拜訪,最後才是日本找上門。

「按道理講,日本農業技術、制度上都比台灣先進,以前我是到日本去學習,可是如果連日本人都跑來找我,對我是很大的鼓勵。」「如果日本可以主動走到台灣來,台灣或許可以走向全亞洲。」賴青松在心底籌謀。2015年底他發起「東亞慢島生活圈論壇」,邀集了日本宮崎、京都、香港、海南島及馬來西亞各地的專業人士,分享他們的農業嘗試。「首都式的雙城外交,對我們來說太遙遠了。但我們可以做的是地方跟地方的串聯,農民跟農民的連結。」透過人的連結,共思地方農業可能的未來,成為當下的進行式。

另一則故事發生在官方機構。2019年4月,在台灣花蓮、高雄、台中、台東、台南的農改場及農試所共六處成立「農產加值打樣中心」,仿效宮崎縣成立Food Open Lab的做法,由政府提供加工設備、技術,並輔導農民衛生安全規範,農民可先嘗試打樣再做後續市場評估。

財團法人農業科技研究院產業發展中心副主任林恒生說:「台灣是參考宮崎縣的形式,再因地制宜。」台日兩地加工服務的目標不同,「日本的目標是希望靠地方創生讓人留在地方,台灣的出發點是為了讓產品有通路,進而形成完整的產業聚落,成為在地的特色。」

以往,食品加工歸屬於經濟部管轄,食品安全又另屬衛福部規範,而今,正透過跨部會修法,將乾燥、粉碎、碾製、焙炒等初級加工分別出來,使農友可以在自家工廠進行初級加工,如此一來,協助農友解決產量過剩的問題,同時開發多元化產品,帶動鄉鎮發展的新機會。

採訪當天,我們見習來自南投的農友湯英華拿胚芽米糠來焙炒。進入加工室前,關於食品安全的SOP不可少,穿戴整套的工作服、髮網、口罩,洗手30秒,農改場的助理研究員蘇致柔逐一叮嚀。湯英華笑稱,因為喜歡吃餅乾,所以想試著把自家生產的稻米做成米餅,當作農旅的伴手禮。蘇致柔接收到需求後,親自研發,並帶領農友親自試做,再討論改良之道。

當天焙炒過程,除了設備的操作外,並記錄下相關數值,如時間、溫度等細項,作為農友日後的參考。整套流程透過實作讓未來農友自建食品加工室時可為依循,也為食品安全把關。

從一席話的啟發,到一群人一起走,一趟台灣塾的奇幻旅程,讓台灣與九州宮崎兩個原本隔海遙遙相望的兩個島,牽起了交流的緣分,成為彼此的關係人口,成就台日共好的現在進行式。

Forging Agricultural Ties:

Taiwan Juku

Cathy Teng /photos courtesy of Chuang Kung-ju /tr. by Scott Williams

“Taiwan Juku” was anything but a typical exchange program! Dreamed up by Yumi Taka­mine, a consultant with the Miya­zaki Enterprise Promotion Organization, and supported by the Miyazaki Prefectural Government, it didn’t focus on exports, business transactions or numbers, but on forging friendships between Taiwan and Japan’s Miyazaki Prefecture, which were previously largely strangers to one another.


 

Located in the southeastern part of Japan’s Kyushu Island, Miyazaki Prefecture has a population of roughly 1 million, a comfortable climate, and a largely agricultural economy. One the few places in Japan capable of growing mangoes and lychees, its produce and scenery are similar to Taiwan’s. In fact, many people say it strongly resembles Taitung.

Make friends first

In December 2016 Yumi Takamine, who headed the “Taiwan Juku” program, posted a note on Facebook for her “dear Taiwanese friends,” explaining, “The goal of Taiwan Juku isn’t simply to stimulate Japanese exports to Taiwan, but to deepen Japan’s understanding of Taiwan. What synergies will arise when Taiwan and Japan become cooperative partners sharing a trusting relationship?”

Takamine, a specialist in international marketing, had visited Taiwan many times for agricultural expos, chatting with young Aboriginal farmers about the dumping of Japanese produce on the Taiwan market, and the lack of equality in the Taiwan‡Japan relationship. “It was these conversations that motivated me to establish Taiwan Juku.”

She wondered if there was another approach that could disrupt the one-way street of expos, one that was good for both sides.

While the Miyazaki Prefectural Government didn’t immediately understand what she was proposing, it lent its full support.

Taiwan Juku “opened for business” in late 2014, with seven mutual exchanges over the following year. Japan­ese participants in the program visited farms in Taiwan, while Taiwanese visited Miyazaki, each seeking to better understand local farming methods and systems.

Shiho Fujiyabu, who works at the Miyazaki Enterprise Promotion Organization, recalls traveling to Taiwan with a group from Miyazaki in April 2015. She says they first visited Yilan and Taoyuan, then returned to Taipei for a meetup, during which all of the particip­ants took the stage to relate their individual stories and foster mutual understanding. The Miyazaki contingent had decided to introduce themselves in Mandarin, which led to every­one practicing how to say, “Hello, every­one. I’m….” Encouraged by the audience’s enthusi­astic response, they commented on the friendliness and directness of Taiwan’s people.

Exchanges reveal differences

The Taiwan Juku exchanges also demonstrated differences in things each side chose to reveal.

Orange grower Nobuyoshi Tanaka insisted on addressing the meeting in his less-than-fluent English, and used the four basic skills of traditional cross-talk to liven up the atmosphere. Listeners might have assumed he was the joker of the group, but the story he told was that of an unhappy farmer.

Tanaka’s family had large citrus orchards, but he was unhappy working there because, even though he was outdoors, the work made him feel like nothing but a piece of machinery. He wanted to interact more with consumers, and to implement environmentally friendly growing practices, but circumstances made that difficult.

The Japan Agricultural Cooperatives’ division of labor strictly delineates responsibilities within the production chain. Farmers are expected to focus entirely on crop production, which ties the hands of those like Tanaka who want to do more.

Tanaka saw his participation in Taiwan Juku as an opportunity to practice his English, learn new things, and make new friends. He found himself especially moved when a young Yilan farmer named Lai Cing-soong told him: “I farm so that I can pass these farmscapes on to my children and grandchildren.” Lai’s statement resonated with Tanaka’s own long-held desire to produce oranges in an environmentally friendly way.

“Rather than simply making money, says Tanaka, “I can leave something for the people of the future, or I can create something. That’s what I learned from people in Taiwan.”

Tanaka formally assumed control of his family business this year. Considering the large size of his orchard, he’s going to have to take any conversion of growing methods step by step, but he doesn’t mind. He plans to gather a group of like-minded people, devise a plan of action, and work gently but resolutely to change the world.

Kentaro Morimoto, a third-generation tea grower, got big laughs when he took the stage wearing a “tealeaf” hat designed by his wife, Aya Hidaka. 

Morimoto doesn’t use any pesticides or chemical fertil­izers on his tea plantation. Instead, he uses “natural farming” methods that enable the flowers, grasses, bugs and birds to coexist. He even has fireflies visiting in the summer!

After arriving in Taiwan, he met with Taoyuan tea grower Lin Ho Chun and learned that Taiwan’s famous Oriental Beauty tea owes its flavor to the bite of an insect called the tea jassid, which causes chemical changes that give rise to the tea’s unique flavor. The information inspired Morimoto to brand his insect-bitten tea, which had previously been classed as a lower-quality product. His wife then designed packaging for the brand around the concept of sharing the tea with the bugs, attracting many environmentally minded consumers.

Developing a relationship

But what benefits does this kind of exchange offer?

Relationships built on friendships open up a much broader range of possibilities than business-oriented transactions.

Takashi C.Y. Lin, CEO of Hayashi Office and a facilitator of the Taiwan Juku events, says, “Takamine was interested in bilateral exchanges.” He then explains the underlying significance of such exchanges: “To Taiwan, Miyazaki is Japanese. To Miyazaki, Taiwan is ‘international.’ Miyazaki doesn’t necessarily want to sell [its goods] to Tokyo; it wants to go international, to be internationally recognized.” When a place chooses to step out into the larger world and forge ties with other countries, methods that don’t necessarily accord with central government policy may provide a more effective means of doing so. Taiwan Juku has turned Taiwan and Miyazaki into each other’s preferred partners.

The story continues

Although Taiwan Juku wrapped up its formal opera­tions in October 2015, the interpersonal connections that it helped to shape remain.

Takamine thinks for a moment, then says, “So far, Taiwan Juku has enabled me to help 5627 people conduct exchanges, including Japanese visiting Taiwan and Taiwanese visiting Japan.” This figure isn’t a key perform­ance indicator, but rather is the number of people who built relationships through Taiwan Juku, and who will likely further extend their interpersonal networks in the future.

When Ko-Tong Rice Club founder Lai Cing-soong returned to Taiwan after completing studies in Japan, he took up farming in his wife’s hometown with the goal of providing locals with safe, healthy food. Many urbanites were taken with his methods, which in turn sparked curiosity in neighboring nations, drawing visitors from mainland China’s Hainan Island, Hong Kong, and Malay­sia to his farm in Yilan’s Shengou Village.

“I went to Japan to study when I was younger. Now, having Japanese people coming here to see me is very encouraging.” In late 2015, he dreamed up the “East Asian Island Time Seminar,” and invited experts from Hong Kong, Hainan, and Malaysia, as well as both Miyazaki and Kyoto in Japan, to share the agricultural ideas they were trying out. “We don’t have anything to do with formal diplomacy between capitals, but we can connect smaller places to one another, link farmers to other farmers.” For them, connecting people and thinking together about the likely future of local agriculture is a way forward.

In official institutions, another story is unfolding. In April 2019, six agricultural research and extension stations opened “agricultural value-added prototype centers” modeled on Miyazaki’s Food Open Lab. The centers help farmers develop new products and evalu­ate the market for those products, while the government provides processing equipment and technology, and assists with hygiene and safety standards.

Lin Heng-sheng, deputy director of the Business Promotion Center of the Agricultural Technology Research Institute, says that Taiwan has adapted the Miyazaki model to local needs, and notes that Taiwan and Japan have different goals for the processing of agricultural produce. “Japan’s objective is to use rural renewal to keep people in rural areas. Taiwan’s is to enable the distribution of local products, and through that encourage the formation of production hubs that become local highlights.”

On the day we visited the center, we saw a Nantou farmer named Tang Yinghua roasting rice bran. Following food safety practices, on the instructions of Su Chih-jou, an assistant researcher with the Taichung District Agricultural Research and Extension Station, we donned uniforms, hairnets and facemasks, and washed our hands for 30 seconds before entering the processing room.

The entire roasting process is being tested to provide farmers building their own food processing rooms with a template to follow, and to ensure the safety of the resulting product.

Beginning with conversations and then developing into groups working together, Taiwan Juku bridged the seas between Taiwan and Miyazaki Prefecture, forging connections that are still growing. This is a story that looks sure to continue.

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