台湾のコーヒー栽培史
台湾はコーヒー栽培に適しているのだろうか。農業試験所嘉義分所所長の方怡丹さんによると、北緯23.5度から南緯23.5度の間は「コーヒーベルト」と呼ばれる。コーヒーは茶と生育条件が似ており、1884年にイギリス商人がアラビカコーヒーの木を台湾に持ち込んだ記録があるそうだ。
嘉義分所の副研究員でコーヒー研究を専門とする張淑芬さん曰く、日本政府が1902年に現在の恒春熱帯植物園でコーヒーを栽培し、アラビカ種が台湾に最適であるとわかったとのこと。雲林県古坑郷にある標高約300メートルの荷苞山で苗木が栽培され、華山などにも広く植えられたが、第二次大戦後は、台湾にコーヒー市場がなくなり、大部分の生産地は荒れ果ててしまったという。
コーヒーの国際価格が高騰していた1950年代、台湾にもコーヒーブームが再来、さび病に強いハワイの品種や栽培技術が台湾に導入され、斗六にコーヒー加工場が設立されたが、その後、政府による台湾でのコーヒー普及の働きかけがなくなり、台湾コーヒー産業は冷え込んでしまう。
1999年の921大地震は台湾に深刻な打撃を与えたが、コーヒーにとっては飛躍のチャンスだった。方さんによると、政府は被災地復興のため「一郷一特色」政策を推進し、古坑郷はかつてのコーヒー産業を発展の主軸に据えた。2003年、雲林県が開催した第1回「台湾コーヒーフェスティバル」が評判を呼び、古坑郷は「台湾コーヒーの故郷」となった。
農業部の統計によると、台湾の現在のコーヒー栽培面積は約1,178ヘクタールで、コーヒー豆の生産量は1,000トンを超え、主に屏東、南投、台東、嘉義で生産されているという。
2021年、台湾はACEと共に初のプライベート・コレクション・オークション「典蔵台湾精品咖啡国際競標 (Taiwan PCA)」を開催し、コーヒー界のアップルと称される米国のブルーボトルコーヒーをはじめ、米、仏、日本などから14ヵ国のバイヤーが入札に参加した。2023年には、「コーヒー業界のアカデミー賞(オスカー)」と呼ばれるCOEコンペティションへとレベルアップしたことで、台湾のコーヒーの品質が国際的なバイヤーに認められたことがわかる。
「台湾がわずか20年で高品質のコーヒーを生産できるようになったのは、主に農家の頑張りのおかげ」と方さんは語る。農家自身の研鑽と、中央・地方政府によるコーヒー豆評価制度やコンテスト開催で、品質が向上し続けたという。
例えば阿里山では、コーヒー農家が「嘉義コーヒー産業発展協会」を結成し、相互交流を図っている。同協会の監事であり、「卓武コーヒー (Zhuo-Wu CAF'E)」の主人である許定燁さんは、「皆で共通価値を探し求め、分かち合う」という精神が産地の品質を向上させるのに役立っていると語る。また「鄒築園 (zouzhouyuan)」農園の主人・方政倫さんは、同協会の理事長だった頃、コーヒーのマッチング会を開催し、最終選考まで残ったものの受賞できなかったコーヒーも「努力すればチャンスがある」と入札に参加できるよう働きかけた。
コーヒーの実は、ウォッシュド(水洗式)、ナチュラル(乾燥式)、ハニー製法などの処理方法によって風味が異なる。