この一年、台湾の出版社は次々と塗り絵市場に進出している。2~3カ月前のピーク時には毎月30~40種の塗り絵の新刊が発売された。
オンライン書店「博客来」の「全館リアルタイムランキング」のトップには『ひみつの花園』をはじめとする数々の塗り絵本が名を連ねる。
誠品書店の「暮らし・レジャー」部門の売上ランキングでもトップ10の全てが塗り絵だった。
不思議な秘密の花園
すべては『ひみつの花園』の大ヒットから始まった。
『ひみつの花園』はイギリスの絵本作家ジョハンナ・バスフォードが初めて出した塗り絵本で、2013年に発売され、2014年末から世界中で売れ始めた。イギリスからアメリカ、ヨーロッパ、ブラジル、韓国、日本、台湾まで、世界中の人々が、この作家が描いた図案に夢中になっている。特にブラジルと中国大陸では、それぞれ100万部、300万部も売れている。
台湾でも昨年の10月に誠品書店が輸入版の販売を開始すると、すぐに売上トップになった。そして遠流出版社が台湾版の版権を取得して今年2月に発売してから10月までの間に、すでに50万部近くを売り上げている。市場にあふれる海賊版の韓国語版や簡体字版を合わせれば、さらに大きな数字になるだろう。
「あきれるほどのブーム」と形容する人もいる。「うっかり騙された」という遠流出版の王栄文董事長も、ただただ驚くばかりだ。
遠流出版は創設40年になるが、わずかな期間でこれほどの部数を重ねる本は非常に少ないという。そこで、同社では創設から40年間で出版した最も重要な図書40冊の中に『ひみつの花園』を加えることにした。
「白地に黒い線だけの図案が並び、文字はわずかしかないこの本がなぜ売れるのか、董事長は理解できないと言います」と遠流出版三部の汪若蘭編集長は笑う。その後、董事長も塗り絵にはヒーリングの効果があることに気付き、自分のフェイスブックでも、社員のストレス解消のためにスポーツ施設だけでなく、塗り絵のための空間を設けてはどうかと企業経営者に呼びかけている。静かに塗り絵をすることで、社員はひととき頭を空っぽにしてリフレッシュできるのである。
出版のブルーオーシャン
非常に目が利き、『ひみつの花園』の版権取得に動いた汪若蘭は、実は美術史が専攻で、塗り絵に興味を持ったのは絵画への興味からだった。
2013年、遠流出版はアメリカで流行していた「ゼンタングル(Zentangle®)」を導入した。ゼンタングルの本を出版しただけでなく、教室を開いて受講生を募り、出版のために汪若蘭も自らゼンタングルを学んだ。「ゼンタングルの原則は同じ線やパターンを繰り返し描いていくというもので、実は非常に簡単なのです」と言う。
汪若蘭によると、ゼンタングルの教室に最初に集まった受講生の多くは時間に余裕のある中年女性が多かったが、しだいにデザインなどを学ぶ若い学生も増えていったという。「一般の受講生の他に、台湾各地の張老師基金会(カウンセリングを行なう団体)とも連携し、カウンセラーのための講座も開きました」
ゼンタングルを導入したことで、汪若蘭は多くの人が絵に興味を持っており、そこに歓びや達成感を感じていることに気付き、よりハードルの低い塗り絵本に興味を持つようになった。「ゼンタングルは自分で構図を考えて図案を創作していかなければなりませんが、塗り絵本ならその必要がありません。それに中のページだけでなく、表紙や帯まで色を塗ることができるのです」
大人の塗り絵は、海外では7~8年の歴史を持つ。当時はブームにはなっていなかったが、ロングセラーになっていた。
『ひみつの花園』台湾版を出すまでの間、汪若蘭は半年にわたってネットで塗り絵の本を調べており、2013年に『ひみつの花園』を見つけた。「モダンかつクラシカルで、ディテールにこだわった細密な図案という点で『ひみつの花園』は他の塗り絵本とは異なっていました」と言う。
大きな市場が見込め、優位な位置に立った遠流はさらに追い撃ちをかけている。8月には他の国々と同時に『ひみつの花園』の続編である『ねむれる森』の台湾版を発売、大胆にも初版で9万部を刷った。
汪若蘭の観察では、台湾では若い女性と中年女性に塗り絵のファンが多いという。
若い女性では高校生や大学生もいる。博客来の売上統計では、今年1~8月に女子大生が買った本のトップは『ひみつの花園』、男子学生でも6位に入っているが、これはガールフレンドへのプレゼントの可能性が高いと汪若蘭は見ている。
メディアによる相乗効果
塗り絵本の売上にはマスメディアも大きく貢献している。
まず、韓国ドラマにおけるプレイスメント・マーケティングが挙げられるだろう。例えば韓国ドラマの「プロデューサー」では、ヒロインが塗り絵をするシーンがしばしば登場するし、「ディア・ブラッド~私の守護天使」でも吸血鬼の主人公が血を欲する気持ちを塗り絵で抑えようとする。
また、韓国のアイドルグループSHINeeのKeyは、祖母を亡くした悲しみを癒すために塗り絵をした作品をフェイスブックで発表し、多くのファンがこれをきっかけに塗り絵を始めた。
遠流出版で企画主任を担当する高芸珮は、自分もKeyの作品がきっかけで塗り絵を始めたという。「はまっていた時は毎晩、手が痛くなるまでやっていました」と話す彼女は、塗り絵はリラックス効果があるせいか、寝る前にやるとよく眠れるという。
台湾のバラエティ番組「SS小燕之夜」では、ゲストに塗り絵をしてもらい、その色使いで性格診断をするという内容があり、これが放送されると塗り絵本は一週間で1万部以上売れた。
これほどの勢いには出版社も驚き、対応に追われている。汪若蘭も「これほど売れるとは想像もしていませんでした」と言う。10万部を超えた頃から、紙の調達が間に合わず品切れが起り、書店からのオーダーに追われることとなる。そして台風の前に配本するために、全社を挙げて大急ぎで対応しなければならなかった。
モノクロがカラーに変わる
塗り絵はもはや国民的運動となったかのようである。色を塗っていくだけなのでハードルが低く、老若男女だれでも楽しめ、しかもストレス解消やヒーリングの効果もある。
中でも、働く中年女性の多くが塗り絵に夢中になっている。美しい図案に惹かれてという人もいるが、そのストレス解消や癒し効果を信じる人も少なくない。
アウトドア用品のマーケティングディレクターを務める45歳の林瑩華は、仕事のプレッシャーが大きいので、塗り絵で頭と心を空っぽにしたいと考えて始めた。
彼女は最初ゼンタングルを習い始めたのだが、何回か教室に通った後、自分には合わないと思い、塗り絵をすることにした。「自分の好きな図案を選び、好きな色を塗っていくだけなので、思い通りにできます」と言う。
林瑩華はさまざまな塗り絵の道具も揃えている。塗り絵本は5冊あり、48色の水性ペンに76色の油性ペンを使い分けて楽しんでいる。「寝る前の1時間、カラーペンの箱を開けて色を選び、塗っていくと、頭の中が空っぽになり、余計なことを考えずにすみます」
遠流出版でも、一時期、会社で塗り絵をする人の姿が見られたという。編集のための原稿や素材がなかなか来なくてイライラしている時や、腹の立つ電話を切った後、それに昼休みなど、ストレス解消のために塗り絵に熱中する。
高齢者にとっても、塗り絵は寂しさを紛らわすひとときとなる。
高雄で一人暮らしをする82歳の蘇さん(女性)は、すでに塗り絵が手放せなくなっている。
蘇さんの娘は台北に暮らしていて、高雄にいる母親が一人で寂しい思いをしないように、いつも小説を送っていた。母親は小説に夢中になってゴミ出しも忘れてしまうほどだ。
数カ月前、彼女は母親が手芸が好きなのを思い出し、試しに一番よく売れている塗り絵本を3冊選んで送ってみた。母親は1カ月ほどそれを放っておいて塗り絵を始めなかったが、いざ始めてみると夢中になってしまい、どんどん上手になったという。「母はまる二日かけて『ひみつの花園』の中の一枚を完成させ、その達成感で大満足したようです。今は私が高雄に訪ねていっても、私がいることなど忘れてしまったかのように塗り絵に熱中しています」と言う。
失った童心を取り戻す
今では植物や昆虫、鳥、建築、都市、それにゴッホの名画などさまざまなテーマの塗り絵本が出ている。さらには映画の「ハリー・ポッター」や「聶隠娘(邦題:黒衣の刺客)」をテーマとした塗り絵もあり、誰でも好みの図案や内容を選ぶことができる。
塗り絵ブームによって、さらに色鉛筆やカラーペンなどの周辺グッズも飛ぶように売れ、品不足になるほどだ。
スマホにも塗り絵アプリが登場した。ある香港の塗り絵ファンは、カラーペンは買ったものの、もったいなくて使う気になれず、スマホのアプリで塗り絵を楽しんでいる。
塗り絵は孤独な作業だが、一人で『ひみつの花園』の手入れをしていても決して寂しいことはない。遠流出版のフェイスブック上の塗り絵ファンページには2万人の会員がいて、多くの人がそこに塗り絵の作品や感想を発表している。台湾の人気メイクアップアーティスト凱文(Kevin)はアイライナーを使った塗り絵作品を発表し、多くの人を驚かせた。
そのフェイスブックにはこんな経験談も寄せられている。恋人と別れて鬱状態になり、自傷行為までしていたが、塗り絵の力を借りて少しずつ心を立てなおすことができたと言い、たくさんの「いいね!」が寄せられた。
汪若蘭は、塗り絵にはアートセラピーの効果があると説明する。塗り絵というのは線で囲まれた一つひとつの枠の範囲中に色を塗っていくという作業である。「制限された一定の空間に色を塗っていくという作業によって、他のことを考える余裕がなくなり、それによって心を静めることができるのです」という。
ヒーリング効果の如何は人によって異なるだろうが、手を動かして色を塗っていくという作業を通して、大人は失った童心を取り戻し、また単調な生活に色とりどりの世界を取り入れることができる。それだけでも楽しく、心の慰めになるのではないだろうか。
遠流出版の汪若蘭・編集長は『ひみつの花園』のカントリースタイルに魅力を感じて台湾版の出版権を取得し、台湾にも塗り絵ヒーリングのブームを巻き起こした。
フェイスブックの『ひみつの花園』ページには、ファンの作品が多数寄せられており、互いに参考にしあうことができる。(劉惠娜提供)
フェイスブックの『ひみつの花園』ページには、ファンの作品が多数寄せられており、互いに参考にしあうことができる。(張雯雯提供)
高芸珮は、塗り絵の本を開くとすぐに集中し、頭の中を空っぽにできるという。
上手になるには、まず道具から揃えたい。塗り絵の流行で色鉛筆などの周辺商品も売上を大きく伸ばしている。
華山芸文特区の「ひみつの花園ショップ」では、多くの子供たちが塗り絵を体験している。(遠流出版提供)
白黒の本がカラフルになれば、暮らしにも彩りが増していく。
映画『黒衣の刺客(原題:聶隠娘)』も塗り絵ブームにあやかり、『刺客聶隠娘美術原画唐風着色集』を発売した。(Spot Films提供)