古い歌を集め、家を建てる
タロコ語には「芸術」とか「産業」といった語彙はない。アーティストが創作の素材と考える織布や採集、植物染めなどは、もともと原住民族の生活そのものなのである。原住民アーティストにとって、芸術とは生活であり実践である。「芸術は真実であり、そこから多くの問題や疑問が見え、それを突破し変えていく必要があります」東冬‧侯温は、原住民芸術家は集落で多くの問題に直面するが、それが創作の力にもなると言う。集落に暮らす原住民アーティストはクリエイターであるとともに、地域に種をまく役割も果たし、集落が直面する問題とその背景を理解し、創作を通して声を上げていかなければならない。
帰郷はロマンチックな選択のように思えるが、故郷で暮らしていくには、集落が存続していかなければならない。実際に集落に暮らしてみると、現代化の波の中で伝統は消失の危機に直面しており、東冬‧侯温はその根本的な原因を探ろうとしてきた。彼は、すべての根源は集落の古い言葉の中にあると考える。これらの言葉は中国語や他の言語で説明することはできない。そこで彼は集落の年配者を訪ねて古い歌を録音し、一緒に歌って楽譜に起している。例えば「相見」は、山を越えて他の集落の祭典に参加し、主客が互いに掛け合いで歌う喜びの歌だ。「織布歌」は女性たちが織機を抱え、その音に合わせて歌う。「男子英勇歌」は、狩猟に出かけていた男たちを集落の人々が喜びをもって出迎える歌である。児路ではこれらの歌に伝統楽器の演奏や儀式、舞踊などを合わせてエンバイロメンタル‧シアターの形で各地で上演し、祖霊への祈りを広めている。
タロコ族はもともと農耕と狩猟を生業とし、狩猟のエリアが不十分になると移転してきた。また屋内葬の風習があり、死者を家の中に埋葬してきたが、土地を休ませるためにも移転が必要となる。こうしてタロコの集落は移転を繰り返してきたため、家屋は現地に生えるヒカゲヘゴや桂竹、籐などを用いて建てられている。狩猟や伐採が制限され、生計を立てる方法も変わり、今は移転の必要がなくなったため、伝統家屋も鉄筋コンクリートへと変ってきた。
銅門の最後の伝統家屋が消失するのを見るに忍びなく、彼は若者たちとともに集落の年配者に学んで少しずつ伝統家屋を建て始めた。年配者とともに山に入って植物に触れ、それぞれの特性や使い方を学んだ。竹を縦に真っ直ぐに割る方法も練習し、それから家の建て方を学んだ。壁もベッドもすべて天然の素材で、家の中には竹の香りが満ち、安心感が得られる。
児路では東華大学の王昱心先生を招いてワークショップを開いた。オオシャコガイではなく陶土を使って美しい珠を作ることで、伝統工芸に新たな命を吹き込む。