北港媽祖を迎える爆竹
雲林県の北港朝天宮は、早くも日本統治時代に「台湾媽祖信仰の総本山」と言われていた。1929年に台湾総督府が発行した台湾地図にも「北港媽祖」が示されている。
蔡相煇によると、1940年に日本の総督府が調査したところ、北港朝天宮の信者は150万人で台湾総人口の25%を占めており、台湾の宗教の中で最大の信者を擁していた。
今日はオフィシャルな統計はないが、政府観光署のデータによると、昨年朝天宮を訪れた観光客はのべ681万人を超え、やはり台湾一の数を誇っている。
媽祖は分霊が多く、毎年北港朝天宮に「謁祖」する巡礼団は3000を超え、白沙屯媽祖の巡礼もその一つである。朝天宮は巡礼に来た神輿を迎え、香を分け与えて持ち帰らせるが、その過程はすべて伝統の儀式にのっとって行なわれる。政府文化部は「北港進香」を重要民俗文化資産に登録している。毎年旧暦の3月に行なわれる「北港朝天宮迎媽祖」は北港の年に一度の一大イベントで、「北港の小過年(小正月)」と呼ばれている。雲林県小港鎮の北港工芸坊の蔡亨潤が「小港の人々は、春節に帰省できないとしても媽祖様の生誕日(迎媽祖)には必ず帰らなければならないと言います」と言うように、北港の人々は媽祖を非常に大切にしているのである。
北港朝天宮の「迎媽祖」は「犂炮」「炸轎」、それに陣頭のパフォーマンス、人の乗った芸閣(山車)などの特色があり、さまざまな出し物や武術が披露され、非常に迫力がある。
北港の「犂炮」は、台東の炸寒単爺と台南の塩水蜂炮と並んで台湾の三大炮(爆竹祭り)と呼ばれる。北港の人々はスピーディに爆竹に火をつけるために、農具である鉄の犂を火鉢の上に置いて熱し、爆竹にその上を滑らせて、導線に火がついたら神輿の前に投げる。このことから犂炮と呼ばれるのである。蔡相煇によると、巡行には祝いの意味の他に、疫病を駆逐する意味もあり、医療の発達していなかった当時は、爆竹の硫黄の臭いが疫病を追い払うとされ、爆竹の盛大な音で神輿を迎えたのである。今も、神輿が廟を出るとすぐに犂炮が放たれる。
北港の「迎媽祖」の祭典で、最も多く爆竹を浴びせられる神は「虎爺」である。虎爺は発音が「好額」(hó-gih、富裕の意味)と同じで、民間では爆竹を浴びるほど旺盛になると言われているからだ。虎爺会の男性たちは虎縞模様の鎧を着ている。一人は扇を手に吹哨隊を率い、虎爺の神輿を担ぐ者は七星歩(武術の足の動き)で進み、太鼓の音に合わせて「風来虎嘯」という掛け声をかける。彼らが虎爺とともに爆竹を浴びる勇者のイメージは外国人も魅了している。2008年に虎爺の神輿を担ぎ、爆竹を浴びたフランス人のエドワール・ロケットは「おもしろい台湾文化です。今年新しい虎将軍の制服を受け取りましたが、思い出のつまった古い制服の方が好きです」と言う。
芸閣(山車)の上の舞台では、子供が役に扮して歴史物語を演じる。子供たちは山車の上からお菓子やおもちゃを投げるので観客から歓迎され、「台湾版のディズニーランドのパレード」と呼ばれている。
ディスカバリーチャンネルは、大甲媽祖の巡行を世界三大宗教祭典の一つに挙げている。