民間としての台北館
上海万博は、中国にとっては2008年の北京オリンピックというデビューに続く第二のビッグイベントである。一方、海峡を隔てた台湾にとっては世界にその存在を知らしめる千載一遇のチャンスであり、また台湾海峡両岸交渉における相互信頼のモデルでもある。また今後台湾が世界の舞台に再び立てるかどうかの試金石ともなる。
国際博覧会の審査などを行なうBIE(博覧会国際事務局)の規定では、万博に「国家館」として参加できるのはBIE条約加盟国に限られている。しかし、我が国は1970年に大阪万博に出展した後に国連をはじめとする国際組織から脱退した。以来、台湾は外交的に難しい立場に置かれ、その後の万博開催国も中国の阻害があって、我が国に参加を要請することはなかったのである。
台湾との交流が頻繁な日本でさえ、2005年の「愛・地球博覧」開催の際には「イラ・フォルモサ」という名でのレストラン出展しか認めなかった。美食や特産物を通して台湾を紹介するだけで、他の国々のように正式なパビリオンは出せなかったのである。
だが、今回の上海万博では状況が大きく変化した。40年という時を経て、台湾は再び正式に出展を招請され、しかも「台湾館」「台北館」それに「震旦館」の3つのパビリオンを出すことができたのである。なぜ、このようなことが可能になったのだろうか。
上海万博のテーマは「都市」である。台北市は大阪市やソウル市と同様、アジアの重要な都市であり、「ベストシティ実践区」への出展申請がBIEに認められた。一方の「震旦館」は「台湾資本企業」として上海万博局に申請し、黄浦江西岸の18の企業館の一つとして出展できることとなった。都市と企業という点で、台北館と震旦館には特に問題はない。
だが、国家主権の象徴である「台湾館」はそうはいかない。主権国家としての出展資格は認められず、都市館でも企業館でもない台湾館をどう位置付ければ政治的問題を克服できるのか、両岸交渉における双方の知恵が試された。
今回、台湾館の出展を可能にした交渉の中心的人物は対外貿易発展協会の王志剛董事長だ。その話によると、中国は2009年5月17日に我が国に万博出展を正式招請してきた。これは重大事項であるため、馬英九総統が国家安全会議を招集して検討した結果、「台湾は必ず参加すること」「対外貿易協会が民間の身分で参加すること」「国格は決して矮小化されてはならないこと」、また「民間の身分であるため政府は出資せず、建設と運営の費用はすべて対外貿易協会が調達すること」という四つの原則が決まった。
スイス館の赤い外壁は大豆繊維と樺の樹脂でできており、発電機能も持つ。緑の屋上はスイスの国土を表現しており、入館者はリフトで上がることができる。