十二碗菜歌の饗宴
個人の博物館なので資金も人手も限りがある。それでも、オープンしてから2年余りで、イベントを数多く成功させてきた。「エコミュージアムの精神に基づいて、単なる展示や研究ばかりでなく、地域のリソースを組み合せて、地域に根差した運営を行うことで、博物館も活力を生み出すことができます」と簡館長は話す。
まず当初は、館長自ら出動して、近隣の永和地区で碗盤鑑定団と題した鑑定イベントを実施した。地域のお母さんたちに呼びかけて、家にある年代物の食器を持ちよってコミュニティセンターに集まり、その食器にまつわる思い出の物語を語り合った。館長は持ち寄った食器の年代を鑑定し、その美しさと価値をみんなで鑑賞したのである。こういったイベントに参加したお母さんたちは、これを機に碗盤博物館の最大の支援者になり、その後のイベントでも積極的に活動に参加してくれるようになった。
宜蘭県は台湾オペラ「歌仔戯」の故郷であり、中でも員山の結頭份がその発生の地と言われる。流行歌などがなかった時代、歌仔戯の歌詞を記載した歌仔冊が今で言う流行歌の歌本で、百年近く受け継がれてきている、食に関する有名な歌がある。ある女主人が意中の人をもてなした宴を詳細に記録した「最新十二碗菜歌」という歌で、そこには日本時代初期の食卓のセッティング、前菜から酒煙草までの設えから、各料理の作り方に至るまで生き生きと記録されている。また、料理一品毎の意味合いまでも歌われている。
そこで、碗盤博物館では歌仔戯と年代物の食器を用い、歌詞の内容を合せて、結頭份地区のお母さんたちに手料理を準備してもらうイベントを催した。去年11月、目と耳と舌を楽しませる賀宴「台湾の伝統美食の宴、私たちの十二碗菜歌」を開催で、百年前の宴会の文化が再現された。
2013年11月1日の夕刻、多くの人が碗盤博物館に集まった。円卓には赤いテーブルクロスが掛けられ、席ごとに皿や碗、盃や箸がセッティングされた。蒸籠からは湯気が温かく立ち上り、博物館全体が昔の大飯店に変身した。
椰子を胴とした台湾楽器、椰子弦の音色が響き渡り、これに銅鑼や太鼓がにぎやかに加わった。員山郷結頭份地区の歌仔戯研修コースの団員が、それぞれにポーズをとって舞台に並び、十二碗菜歌の内容を歌う。「円卓を出して、盃に象牙の箸を並べましょう。卓は冷菜と豚の丸焼きで軋み、皆さま一緒にどうぞ」と、歌う歌を聴きながら、卓に満載した料理を楽しむ。
厨房では地域のお母さんたちが、張り切って歌仔冊の記録を基に、昔の料理を次々に盛り付ける。冬菜(漬物の一種)とダックの炒め物にエビの炒め物、客家風の蒸し鶏などが次々と提供される。歌舞音曲の賑やかな中で、客人は互いに杯を交わし、料理を勧め合いながら、懐かしい昔に立ち返ったかのような宴が続いた。
「十二碗菜歌」のイベントは、大変な好評を博して、碗盤博物館としては毎年実施する年度イベントに昇格された。今年11月は宜蘭県文化局が後援することとなり、農村生活の素晴らしさを楽しむイベントの一つとして毎年続けられる。
いただきます!
この年度イベントには参加できなくとも、事前に団体見学を予約すれば、館内で昔ながらの腰掛に座って食事を楽しめる。ここで出されるのは、お母さんたちの郷土料理である。この他に、お皿や碗への絵付け体験や、昔のおもちゃの体験エリアがあるし、また古い食器愛好者向けに、手持ち食器の交換エリアもある。ここはお互いの眼力を競い、お宝を探す場となっている。
読者の皆さんは、補修されたお皿や印を入れたお碗を見たことがあるだろうか。土器のような温かみある粗陶の碗に盛り付けた甘辛タレの肉そぼろ飯に、昔懐かしさを感じることはないだろうか。金継ぎや共継ぎなど、継ぎで補修された食器を見ると、物を大切にする昔の人の気持ち、そして継がれた皿を記念として愛おしむ人の気持ちがうかがえるだろう。また、昔は嫁取りなどの宴会に、隣近所は手伝いに駆けつけたものだが、足りなければ家の大切な食器も貸してくれたものである。しかし、宴が終わった後には、あちこちから借りたために、印がなければどの家の誰の皿なのか分からなくなってしまう。そこで、大切な家の食器にはそれぞれの屋号や姓氏を入れたのである。伝統的な農業社会における、ご近所同士の密接な関係性が見て取れる。
碗盤博物館に足を踏み入れると、そこに展示されているのは古い皿や碗だけではないことが分かることだろう。そこには昔懐かしい悠然とした時の流れがあり、農村社会の助け合いの人情が記録されている。この数多くの古い食器を見ながら、共にあの懐かしい時代を振り返ってみようではないか。