荒廃から復興へ
当初、火災を経た「大院子」は、焼け跡も生々しく、雑草やツルに覆われていた。樹齢百年のガジュマルが気根を枝のあちこちから伸ばしている。木漏れ日の漏れる隙間に過去の光景がちらつくような気がした。工事用ヘルメットをかぶった郭淑珍は、火災で焼けた本館は顧みず、手で枝や草を払いながら、どんどん奥へと進んだ。落ち葉が厚く積もり、通路も定かではない。枯葉を踏みしだく音が、まるでこの建物の経てきた物語をささやくかのようだった。
「これはROT(民間事業者が政府所有施設を改修し、管理‧運営する方式)プロジェクトで、落札の過程で少し手間取りました」と、別棟のあった場所に新築されたガラス張りの別館に座り、郭淑珍は当初を振り返る。だがその目は庭の草花にも注意深く注がれ、隅の鉢植えにも水やりを忘れないようスタッフに言いつけている。「これらの草花は我が家の庭から株を分けてきました」和平東路一段の静かな路地内にたたずむ「大院子」は、1355坪の広さながら、長く神秘のベールに覆われてきた。空高く伸びたフウの木、マツ、ガジュマルなどが、日本統治時代の1931年に建てられた402坪の本館を取り囲む。2012年に台北市「歴史建築」に指定された大院子は、日本の海軍士官接待宿泊所として建てられたのが、後に日本人小学校になり、1952年に台湾大学の所有となって教職員宿舎として用いられていた。
2015年にROTを請け負ってから4年半、郭淑珍は「元通りに」を原則に、細部にまで厳しく施工監督を行った。「古いうえに火災にも遭い、鉄骨の梁は取り換える必要がありました」解体した元の建材は建物の裏に置き、当時をしのぶ手掛かりとした。「高所から見ると本館の屋根の広いことがわかります」本館の持つ堂々としたたたずまいは残したかった。「こんなに長い木材を見つけるのは近年ますます難しくなりました」高い天井に天井板はつけず、長い梁の掛かる様子が見えるようにした。「猫の道も残したのですよ」屋根裏には猫が歩けるような棒が渡してあり、そこに上ればメンテナンスの足場ともなる。
「基礎から屋根までほぼ建て直しました」床板は腐っており、歩くのも危なかった。「公共建築として安全は第一です」礎石だけを残し、鉄筋コンクリートで強化した。耐性を持たせるために、床は人造大理石を銅線で枠取りした施工で、シンプルで滑らかな感じが出せた。屋根瓦は元の形通りに焼き直した。見ても違いはわからないが、細部にこだわる郭淑珍は白っぽくなってしまったとこぼす。壁面の装飾も室内外ともにできる限り復元した。「このタイルも元の通りに作ったのです」アーチ形の窓枠や、台湾大学の建物によく用いられているスクラッチタイルも再現させた。
別館のVIP室へ行く廊下は、元通りのアーチ形通路で、まるでタイムトンネルを抜けるような感じだ。木製の引き戸を開けると室内は床から天井までヒノキの香りに満ち、すがすがしい。「こうしたすりガラスは今では見かけません」戸棚のガラス戸が半世紀前の柔らかい光を放つ。「この手洗い場や便器は子供サイズです」長い年月乾ききっていた洗い場の水垢に再び水がほとばしる。
「窓枠はみなヒノキです」と、郭淑珍はいとおしげに窓枠をなでた。当時すでに上げ下げ窓の技術が用いられており、窓をどの高さに開けても固定できる。この窓のために、ほぞ継ぎのできる職人を彰化と嘉義から見つけてきた。予算にはこだわらず、家業の建築業を生かして建物を再建させる腕は、郭淑珍に並ぶ者はいないだろう。
「残せるものは、わざわざ取り壊したりはしません」まだらになった外壁もそのまま残して植物のツルをはわせ、長く使われなかった古井戸で庭の草木を潤す。本館と別館をつなぐ渡り廊下も朽ちていた部分だけを修築した。思わず足を止めて往時をしのびたくなる風情だ。
「大院子」の広々とした空間は、大型の展覧会やイベントにふさわしい。